第185話、ほんとの気持ち、伝えるために進化する


なのに……。



『うん、平気だよ』


美冬さは全く疑う素振りすら見せずに、頷いてそいつに一歩近づいた。



「なに言ってるんすか美冬さんっ! そんなこというやつ偽物に……っ!」


聞こえていないことも構わずに慎之介はそう叫ぼうとして……言葉に詰まる。


美冬の澄んだ青い目。

それは、目の前のそいつに向けられているわけじゃなかった。

ただ、そこには強い決意の炎が宿っていた。


慎之介は悟る。

美冬は目の前のそいつが偽物であることを、慎之介とほぼ同じタイミングで気づいていたって事を。


分かっていて敢えて一歩前に出たのだ。

自らを犠牲に、慎之介の重荷を下ろすために。

苦痛を和らげるために。



「ふざっ……」


それを目の当たりにした瞬間。

慎之介の心の底にある何かが熱く沸騰した。


許せなかった。

当たり前のように、慎之介のためにと命を投げ出そうとする美冬が。

そしてそれ以上に、それをただ見ているだけの自分が。



「ふざけんじゃねえぞっ!!」


慎之介が本気の本気で怒ったのはその時が初めてで。

その煮えたぎる感情が、今まで無意識のうちに自身で決めつけていた限界を突破させる。


気づけば、目の前の暗闇といくつもの映像はどこかに吹き飛んでいて。

全身から溢れる水が、さらにまとわりつく『紅』たちを吹き飛ばしていた。



身体のダメージは、思っていたほどはなかった。

全身を鈍器で殴りつけられたような酩酊感は残っていたが。

パワーアップした自身の能力と、センの能力が、慎之介にぶつかる前に互いを打ち消すように消滅したから、なのかもしれない。

それはきっと……意図的なもので。




「馬鹿なっ! 戒めを破るだとっ? オマエにそんな力はなかったはずだ!」


柳一のデータにはなかったのだろう。

覆う藍色のアジールへと波紋のように伝わる水が、慎之介を包んでいるのが分かる。


動揺するのも当然だ。

慎之介自身だってこんな力を持っているなんて今の今まで気付かなかったのだから。



でも、それでも。

自分の能力を過去、法久に見てもらった時に言っていたのだ。

『スキャンステータス』で示された能力情報は、あくまで本人の都合によるものであると。


その時は言っている意味がさっぱり分からなかったが。

今ならちょっと、それが分かる。

今まで自分が、ここまでだろうと思い描く限界が示されていたのだと。


そして……ついでにもう一つ、情けなくも気づいたことが慎之介にはあった。



「はぁ、ほんと自分の駄目さ加減に腹が立つっすよ。テンパっててあこがれの人が本物かどうかも気づかないなんて」

「……っ!」


呟くと、『紅』を再び集合させ、体勢を整えていた柳一……の偽物が言葉を失うのが分かる。

もしかしたら、慎之介が『紅』に取り込まれているうちに入れ替わった可能性もあるが。

少なくとも、目の前にいる奴はどうしようもないくらい偽物であることが今の慎之介にははっきりとわかった。


それは、人と『紅』の中に流れる水の違いだ。

というか、目の前の偽物はまわりの『紅』たちと水の流れ方が同じだった。


推測するに、目の前の偽物自体も柳一の能力のひとつ、なのだろう。

美冬のところにいた、慎之介の偽物と同じように。



「……さっさとこの異世をとくっす。さもないとっ!」


偽物だと分かったからなのか、相変わらず沸騰しているからなのか、さっきとあまり状況は変わらないはずなのに、やけに落ち着いている自分を自覚する。

右手を振り上げ、自らのアジールを高めて手のひらに水の渦を発生させると、さっきまでの威厳さというかカリスマ性はどこへやら、動揺を隠すことなく、そいつは叫ぶ。



「ははっ! 一度『紅』を破ったくらいでいきがるんじゃないっ! 『紅』の学習能力をなめるなぁっ」


そして、素早く『紅』たちに隊列を組ませ、指揮し、こちらに向かってくる。



「……バレたからってあからさますぎじゃないっすかね」


もはや完全に別人の域まで達してしまっている柳一の偽物。

それが意図的なものなのか、動揺によるしくじりなのかは分からないが。

慎之介にはもうそんなことはどうでもよくて。



「【瀑布連砲】っ!」


右手、左手に収束した水の力を一つにねじり合わせるようにして打ち出す。

繰り出された螺旋を描く水の奔流は、いつもと何ら変わらない様子で先頭に立つ『紅』に命中する。

だが、全く効いた様子もなく、そいつはそのまま突っ込んできた。



「無駄だっつってんだろうがヨォっ!」


それを見て喜色の表情を浮かべる偽物。


慎之介は内心ため息をついた。

どうやらまだまだ舐められていたらしい。


『紅』とセンが戦っていたあの映像のように、『紅』の学習効果で水の反撃が返ってきたのならば、この戦いはもっと長引いていたはずで。




「石梳きし酉の息吹きよ、成り代わりて攻せよ……っ!」


ため息のかわりに繰り出したのは、即興で創り出した力ある言葉……『フレーズ』だった。


本来なら、センのような特殊なタイプの能力者が使役するもの。

たとえるならば、ボーカリストの力、なのだろう。


だけどその時の慎之介は、自身にもそれが使えるのだと確信めいたものがそこにあった。

そこには、センたちだけしか使えないものならば、『フレーズ』などと体系化されて、慎之介たちが知識としてその存在を知り得ている理由が分からなかったから、

といった細かい理由もあったが。


その時はそこまで深くは考えていなかった。

敢えて俗っぽく言い表すのならば、ボーカルだけが歌を歌うなんて決まりはないだろうってところで。



「な、なんだとっ!」


なんてことを考えている間に聞こえてくるのは、偽物の驚愕の叫び。

それは、全く歯が立っていなかったはずの水の力が、『フレーズ』を口にした途端、先頭にいた『紅』のどてっ腹に易々と風穴をあけ通過したから、なのだろう。



「何故だっ、オマエの水の力はすでに学習ずみのはずっ? ……だ、だかっ。どうあがこうと再び学習すればいいだけのことっ!」


気づいているだろうか?

ただの水だった慎之介の力が、わずかに色を濃くし、全く別のものに変質していることを。


それが硫酸などと言われるものであることを。

たとえそれを『紅』が学習しようとも、この世に存在する水溶化合物の種類が、星の数ほどあることを。


そして。

叫ぶその言葉がもう手遅れであることを。



「乾坤一擲っ!」


慎之介は叫んだ。

一番好きな言葉を。


能力名(タイトル)がそれでないことをちょっぴり残念に思っていたのはもう過去のこと。

まるでこの時をずっと待っていたかのように。

筒状だった力の奔流が形を変える。

細く、鋭く、その言葉の通り。

落ちた水の一滴が、大岩を貫くほどの力を持って。



「な……にぃぃぃィィィィッ!」


まるで連鎖するように次々と『紅』たちを貫いていった一滴は、ついには偽物にまで到達し、浸食を始める。

魂消る声を上げる偽物の化けの皮を剥ぐかのごとく。



「ギッ、ギャアアアァッ!」


偽物は他の『紅』たちと同じように赤黒く変色したかと思うと、硫酸によってドロドロと解けていく……。



「ここは戦場っす、悪く思うなとは言わない。……復讐したいのならいつでも受けてたつっすよ」


ついて出たその言葉は、溶けて消えた『紅』に対してなのか。

この状況をどこかで見ていただろう本物の柳一に言ったのかは、慎之介自身でも正直分からなかったが。



ただ、気づけばやさしい銀世界へと戻ってきていて。

慎之介はふらつきながらも、すぐさま走り出した。

美冬のもとへ。


本当に伝えたかった話の……続きをするために。




             (第186話につづく)






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