第184話、悪辣なそれは鏡写しの自分なのか
『……だ、黙ってたって、なんのこと?』
あくまでも、平常をつとめて……美冬は言葉を発する。
どうやら会話はすでに始まっているようだったが。
不意に降ってきた、美冬が黙っていたことが気になったのは確かで。
それは、疑念と言うほどだいそれたものではなかったが。
それを知りたいという欲求が、混乱の極みにあった慎之介の思考を落ち着かせる。
『とぼけないでくれよ、美冬さん。柳一さんから聞いたんだ。時の扉を開く際に発生する代価に、生けるものの命が必要だ……って』
『……っ!』
「なっ……」
そんなことは当然柳一からは聞かされていない。
だが、それが真実であるならば捨て置ける問題じゃなかった。
おそらく、目の前にいる自分と同じように美冬を問いつめていただろう事が容易に想像できた。
これは……この映像は、これから起こる未来の映像なのだろうか?
その時慎之介はそう考えていて。
本当にそこにいるのが自分であると、そんな錯覚に陥っていた。
あからさまに顔を青ざめ、言葉を失う美冬に対して、目の前の『慎之介』は構わず言葉を続ける。
『オレを騙してたんすね。オレがそういうのキライだって分かってて……だけど黙ってさえいれば馬鹿なオレはそれを気づかず時を渡るだろうって、そういう魂胆っすか?』
辛辣な言葉だった。
明らかに目の前の慎之介は怒っていた。
未だかつて美冬にこんな口の聞き方などしたことなかったのに。
『そ、それはっ……で、でも、しんちゃんさっき時の扉使わないって……だからっ』
『未遂だ、っていいたいんすか? 本当にそうっすか? オレの言葉に従うふりをして、こんな異世に閉じこめて、いざとなったら無理矢理連れていこう、って、まったくこれっぽっちも考えなかったっすか?』
『は……うっ』
美冬の言葉を遮るようにして慎之介がまくし立てると。
美冬はまるで呼吸困難にでもなったかのように息を吐き、その青い瞳に涙を浮かべる。
その様子に慎之介の心が音を立てて軋んだが。
一旦紡がれてしまった言葉を止める術はもうなかった。
『……やっぱり、そのつもり、だったんすね』
『で、でもっ、私はっ! しんちゃんに生きてて欲しかったからっ、それが、私の全てだからっ!』
『オレが死ねば、美冬さんも死ぬ。……美冬さんの言葉は正しいんだと思うよ。こうして生きている以上、死という運命から逃れようとするのは生あるものの当たり前の欲求だし。……たとえ他のものがどうなろうとね。事実、世界はそうして動いているんだと思うっす』
『私はっ、そ、そんな事一度も思ったことないよっ。ただ、しんちゃんに無事でいて欲しいっ、ただそれだけなのっ! し、信じてよぅ、しんちゃんっ……』
幼子のように。
美冬は涙を一杯に浮かべて、そう訴える。
すると目の前の『慎之介』は、そんな美冬をあやすように柔らかい笑みを浮かべた。
『もちろん、美冬さんのことは信じてるっすよ。美冬さんがそんなこと思ってないって事くらいさ。……だけど』
間を置くように、『慎之介』はそこで言葉を止める。
その先に続く言葉への潜在的な恐怖なのか、美冬の身体が、びくりと震えるのが分かった。
『オレのほうの気持ちはどうすればいいっすかね? 美冬さんがよくても、オレはよくないんすよ。美冬さんを道連れにする覚悟なんてオレにはない。オレにはそれが、ずっと重荷だった。……オレは、そんな事一度も願ったことなんか、なかった』
『……!』
「……」
それは、決定的な言葉だったのだろう。
打ちひしがれたように言葉を失った美冬の輪郭が陽炎のように揺らめく。
一方の慎之介も、目の前の自分が、美冬を傷つける言葉を発したこと、分かっているのにも関わらず、何の反論もできなかった。
だってそれは図星で。
慎之介自身の本音、だったからだ。
ずっと受け身になることを傍受し、ただ流され美冬の望むとおりにと思っている一方で。
一蓮托生になってしまったことが慎之介の苦痛であることに間違いはなく。
口にしようと思っていたけれど、それができずにずっと胸に秘めていた思いで。
曝け出したくはなかったと思う一方で、いつかは向き合わなければいけないことであると、慎之介は分かっていた。
大切に思うからこそ、比翼の鳥に……お互い寄りかかってばかりではダメなのだと、そう思っていた。
だから……愚かにも慎之介はその時、辛いことをかわりに言ってもらえて、どこか安堵している部分があって。
やがて顔を上げた美冬の表情とその言葉に、絶句する羽目になる。
『……あははっ。そっかぁ。私、自分のことしかかんがえてなかったんだね~。ごめんね、しんちゃん。ずっと辛い思いさせちゃって。……でも、大丈夫。ちょうどよかった。今、あたしの異世にいるでしょ? ここであたしが落ちれば、あたしとしんちゃんの契約はなかったことにできるからさ。そうすれば、しんちゃんがあたしのこと重荷に思うこと、なくなるから』
それは、場違いなほどに明るい、脳天気なことばだった。
そんな美冬はほとんど満面の笑顔で。
「ちょっ、何を言い出すんすかっ!」
思わず叫ぶ慎之介。
第一、慎之介の話はまだ途中なのだ。
最後までちゃんと話を聞いて欲しいと思っていて。
美冬が慎之介にとって大切な存在だからこそ、こうして痛い部分、腹を割って話すべきもので。
ここで話を止めてしまったら、何の解決にもならないじゃないか。
ただ美冬を傷つけただけで終わってしまう。
当然この話には続きがあるのだ。
無理矢理笑顔なんて浮かべて早とちりないで欲しいと、そう思ったわけだが。
『わかった。美冬さんの言うとおりにするよ。……そうすれば、お互いが辛い思いすること、もうないっすもんね』
目の前の『慎之介』は、慎之介の意志とはまったく噛み合わない、そんな言葉を口にした。
自分もこんな顔をするのだと思える、吐き気をもよおすような笑顔で。
ゾッとした。
それと同時に、今更ながら慎之介は気づかされる。
美冬の目の前にいる『慎之介』は、自分自身ではないのだと。
どうして気づいたのか。
そんなこと、それこそ一目瞭然だ。
早とちりした美冬が口にした言葉。
それを、何も言わず肯定する……この世で一番愛しい人を手にかける、なんてこと。
慎之介にはたとえ異世だろうと絶対にあり得ないことだからだ。
『オレの能力はあまり強くないから……随分と長い間苦しい目に遭うかもしれないけど……許してくれるっすよね、美冬さん?』
腐りきった笑みを隠しもせずに、そいつは言う。
最早、確信を持って言えるだろう。
……そいつは偽物だと。
(第185話につづく)
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