第13話、ささやいて、ときめいて


二人と一匹は、内容のあるようでない、日々の何気ない話題を肴に目的の駅へと到着する。




「駅についたな」

「ぇえっ! も、もう? なんか、早すぎるのだっ」


あまり実のないような会話をしているうちに、一緒にいられる時間が終わってしまったようで、美弥は思わず声をあげてしまった。


もっと、知己が頑張るぞって気持ちにさせるような、恋人としてふさわしい会話がしたかったのにと、美弥はちょっぴりブルーになる。



「ん? どうした、何か言いたそうだな?」


当然のように目ざとくそれに気づいた知己は、改札口の脇で振り返り、美弥の目線からはずいぶん高い所でスマイルを一つ浮かべる。


それは、何だか喩えるなら向日葵のような笑顔だった。

その笑顔が、美弥にしか見せない笑顔だと美弥が知ったらどう思うだろう?


仕事場で見せるしかめ面に近い、口の端を持ち上げたような笑顔とも、歌を聞いてもらえる感謝の笑顔をとも、かわいいものを見てニヤケてしまう笑みとも違う、たった一つの笑顔。

もちろん、美弥の大好きな笑顔だった。

左目の頬にある泣きぼくろが一際目立って、色気すら感じてしまうような……ドキドキするような笑顔だ。


何か、期待感も含まれたその笑顔に応えるべく、美弥は忙しなく考え込んで。

はっと思い出したように、いつも散歩の時に持ち歩いているポーチとは別にしてあった包みを、知己に手渡す。


「あぅ。その、おにぎりつくったのだ。お昼にどうかなって。かさばるかなって思ったからおにぎりだけだけど」

「おぉ、サンキュー、助かるよ。にしても今朝の今でよくそんな時間あったな」


知己は一瞬だけ驚きの表情を見せた後、感心したようにそう言って橙色のハンカチで包まれたおにぎりを受け取る。


「うん、おにぎり握るだけなら対して時間かからないし」

「そうなのか? 結構たくさんだけど。流石、家庭のプロだな」

「えへへ」


少し大げさともとれる知己の誉め言葉に、美弥は照れ笑いを浮かべるが。

励ますつもりが逆に励まされているみたいな事実に再度はっとなって、そうじゃないだろって感じで美弥は首を振る。



「それで、そのっ。えっと……あ、そだ。九月の事なんだけど」


またまた考え考え、出たのはそんな言葉だった。


「九月? ああ、それって『あおぞらの家』毎年恒例の月見キャンプのことかな」

「う、うん、そうなのだ。いつもの海で夜に光るくらげと月を見ながら、浜辺でバーべQをするのだ。今回は美弥が料理を取り仕切るから、そのぅ」

「9月4日だろ、分かってる。己も絶対参加するから。今から二ヶ月とちょっと、か。それまでには今回の事件にカタをつけたい所だな」


口篭もる美弥を制するように、分かっていると言いたげに、知己はそう答える。

後半は呟きに近かったが、それには確かな意思があった。


「そ、そんなかんたんにOKしてっ」


確かに、『あおぞらの家』で暮らすようになってからの恒例行事だし、美弥にとって大事な想い出の日ではあるが。

仕事の都合も考えず即答されると、美弥としてもそれでいいのかと思わざるをえない。


「大丈夫さ、問題ない。這ってでも行く。だってその日は、己にとって一番大切な日だからな」


でも、知己はそんな事を言って、たった一つだけの笑顔を見せてくれる。



「知己……」


美弥だけじゃない、知己にとっても大切な日だから。

その言葉と笑顔はそんな意味も含まれていて。

互いが互いに見つめあい、美弥が思っていた恋人らしい良い雰囲気が二人を包んで……。



しかし、そんな時だった。

駅の場内アナウンスが電車の到着を知らせたのは。



「あ、電車来た……しゃあない、己もう行くわ」


知己は、こんな時こそ一瞬で移動ができてしまうような便利なカーヴ能力が、自分にあればいいのにと思ってしまう。

移動が一瞬で済むならば、その移動時間の分だけ一緒にいられるからだ。


「あぅ。えっと、その、あの」


残念なのを隠しもせず、頭をかいて苦笑する知己に。

美弥は焦って言いたかったことを伝えようとするが、それは言葉にならない。


仮に、時間があったとしても、いつの間にやらさっきまであった良い雰囲気が、駅前の雑踏にかき消されてどこかにいってしまって……。

おいそれと言えるものでもなくなっていた。


あぅーとか、うぅーとか、唸りながら何も言えないでいる美弥に、知己は何を思ったのだろう。

ため息をつくように、再び苦笑をもらすとすっとしゃがみ込んで。


きくぞうさんのつやつやのテールを梳き、首もとをかいてやりながら、語りかけるように言う。



「きくぞうさん、美弥のことよろしく頼むな」


聞くぞうさんはそれに答える事は無く、心なしかそっぽを向いているような気もしたが、無意識なのか犬の性なのか、今までよりいっそう尻尾をぱたぱたさせてそんな知己に身を委ねている感じだった。



それが何だか、美弥には面白くない。

言いたくて言えないことがあるってこと、察してほしいって。

半分いじけたようになって唇を尖らせていると。


まるでその事すらお見通しだったみたいに知己が顔を上げて。


美弥が映る、優しく揺れる混じりけのない黒の瞳が、伸び上がるように近づいてきて……。 


よけるヒマも受け入れる準備も、リアクションを取ることすらままならなかった。




それは、ついばむような、触れてるだけのキス。

微かに、ほんの微かに感じるのはカモミールフレイバー。





「……じゃあな、また何かあってもなくても連絡くれよな」


知己は照れ隠しなのか、そうとだけ言って。

余韻冷めやらぬままに改札口の向こうに消えていく……。





「……」


明らかな不意打ち。

いや、知己からすれば普段遠い距離を縮めるのにしゃがんでいたわけなのだから、

確信犯だったのだろうが……あんまり突然のことで、美弥は言葉無く固まってしまっていた。




そんな美弥がようやく我に返ったのは。

よろしく頼むと言う言葉通りに、石化しているがごとく動かなくなった美弥を、

きくぞうさんがずるずると引きずり出してしばらくたってからのことだった。



「うぅ~~、なんか、なんかっ……ずるいのだっ」


ほんの一瞬だったはずなのに、まだ知己の感触が残っているような気がして。

美弥は顔がどんどん紅潮していくのも、激しい胸のドキドキも抑えられそうになかった。

それに美弥が改めて自覚すると、ますます恥ずかしさがこみ上げてきて……。

美弥は完全に茹蛸になった顔を隠すようにきくぞうさんを抱き上げ、その四肢に顔をうずめた。



「何で、分かったのだ。美弥の思ってること」


自分のことを察してくれない、なんて大間違いで、

美弥にとってできすぎだと思えるたった一人の恋人は、もったいないくらい、

自分のことを想ってくれているんだと感じる瞬間だった。


―――何にも知らない君と……って。

歌にあるみたいに、本当は全てを承知していて。

それを知らないのはやっぱり自分だけじゃないのかって、美弥は思う。


そうだったらどんなにか幸せだろうって。

でも、たとえそれが叶わない思いであっても、やっぱり知己には無事でいて欲しいって。

あの笑顔で笑っていて欲しいって、美弥は願わずにはいられなかった。

きっとその願いも、知己には伝わっているとは思うけれど……。




『むふふふふ。役得ですねえ~。主さまのか・ほ・り』

「あわわっ」


美弥がそんな事を考えていると、すぐ至近距離からそんな酔ったような声がして。

美弥は思わずきくぞうさんを手放してしまう。


一方放り出されたきくぞうさんは、中空でくるりと身体を捻り、危なげなく地面に着地すると、ただの犬とは思えないにんまり笑顔を美弥に向けた。



「き、ききくぞうさんっ? いつ帰って……はっ!? まさか、今のみ、見てっ?」

『ええ、そりゃもちろんですよ。いいアングルでいいもの見させていただきました。……恭子さまにもいい土産話ができましたってとこですか』


半ばパニックになって目を回しつつ、驚きの声をあげる美弥に、きくぞうさんはさらに追い討ちをかけるようなセリフを吐く。


「ま、待つのだっ、そ、そんなのダメっ、ダメなのだっ!」

『何がダメなものですか。だいたいマイペースにもほどがあるんですよ、あなたたちは。もっと迫りなさい、誘惑しなさい、大胆に! 男をケモノにしてこそ、一人前の女なのですから!』

「あわわわっ!? い、一体でこでそんな事覚えてくるのだっ、きくぞうさんはっ!」


これ以上何か言われてはたまらないと、美弥は慌ててきくぞうさんを捕まえ口を塞ごうとするが、きくぞうさんは飼い主を飼い主とも思わない態度で、巧みに美弥の手をかいくぐってそれをかわす。



『ふはははっ、そうカンタンにわたくしを捕らえられるとお思いですか、このダメ主人! さあ、できるものなら捕まえてごらんなさーいっ!』

「ま、待つのだーっ!」


毒舌を置き土産に、颯爽と駆け出すきくぞうさんを、美弥は怒りだか照れだか分からないくらいに赤い顔で追いかける。


実は、そんなきくぞうさんの声は、直接美弥の頭に響くもので。

端から見れば独り言を叫びつつ愛犬を追いまわしている図になるわけなのだが。


それも、いつもの平和な光景だと言えば、そうなのかもしれなかった……。



           

             (第14話につづく)








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