第83話、姐さんと呼ばれるには若い、青薔薇のサムライガール



そして、次にその異変に気づいたのは仁子だった。

突然の冷たい風に含まれる殺気はもちろん、パートナーを危険に晒したくない一心で、恐怖を押し込むように縮こまる美里が目に入ったせいもあるが。


仁子がこの場に何かが起きていると気づいたのは。

今まで気にしないふりをしながらも、それでも肌に感じていた知己の、たった一人の兄であるその存在を表すアジールの気配が消えたからだった。

 

はっとなって見上げた風吹く視線の先。

知己のいた場所には、冷たく蒼いアジールの奔流が渦巻いている。

研ぎ澄まされた刃のような殺気とともに舞い来るのは、幽かな薔薇の香りか。

 

 


「知己さん……じゃない?」


それから呆然と呟いたのはちくまだった。

その視線の先には、その言葉通り知己の姿はなくて。

完全な別人がいるようにちくまには見えた。


いつの間に姿を現したのか、いつのまに姿を消したのか。

気づけばそこには、青白い薔薇の細工が眩しいバスタードソードの切っ先を大地に滑らせ、無為の構えで幽鬼のように立つ、青いショートヘアの少女がいる。



「な、何? 何が起こってるの?」


着ている服は、知己と同じものだった。

腕に掛かる班(チーム)のリーダーの証が、それを示している。

カナリはそう呟くも、突然のことに混乱を隠せない。


知己は一体どこに行ってしまったのか。

目の前にいる人物が誰なのか。

遠めに見ると、どこか知己と似たような印象を覚えるのと。

記憶のどこかで……その知己が色褪せたかのような人物に、またもや見覚えがあるような気がするせいもあるだろう。


一同がこわばったままその人物との無言の対話を続けていたのは。

長いようでいてほんの僅かな時間だったのかもしれない。

 

 

「このアジールは、コーデリアの……っ」


その沈黙を破るようにそう言った弥生は。

言ってから激しく自分の言葉に違和感を覚えていた。

何故ならそれは、ありえないはずのことで。

そのまま弥生が呆然自失していると、そのありえないことに答えをつけるように、その人物が初めて口を開いた。



「ふふっ。懐かしい面子がそろってるじゃない。腕が鳴るわね」


血のように赤い唇からこぼれ出たのは。

やはり知己ではなく、心底まで響くような、低い少女の声だった。

男装の麗人……そんな表現が当てはまる、そんな声とその佇まい。



「姫も喜んでるわ。……強者の血に」


蒼い髪の少女は、そう言ってその場に似合わない笑みを見せて。

まさしくその剣が自分の一部であるかのように、青銀の刃を目線に添える。



「……っ!」


その先……中心にいるのは、カナリだった。

それは偶然なのか。

それともその強者に最もふさわしいものをカナリとしたのかは分からないが。

まだ距離はあるものの、切っ先を突きつけられる形となったカナリは、驚きとともに僅かにたじろぐ。

その少女から湧き出るカーヴの力は、知己のものと比べたらやや弱いが。

その『気』が明確に向けられているせいもあるだろう。

 


「得物もない彼女に刃を向けるというの? お姉さんらしくない」


と、そこですっとカナリを庇うように前に出たのは晶だった。

彼女のことも知っているかのようにそう呟く晶の手には。

いつの間にか一対の、先端首周りが極端に細くなった、ドラムスティックのようなものが握られている。

それは、蒼髪ショートの少女の持つ剣に比べれば、得物と呼ぶにもおこがましいくらいに頼りなさそうに見えたが……。

 

「ふふ。変わらないわね。だから私が相手をしますって? まあ、それでも構わないけれど」


蒼髪の少女は、とても嬉しそうにそう答える。

少なくとも、晶の持つ一見脆弱なそれが、見た目通りのものではないと知っているような口ぶりだった。



「えっと、二人は知り合いなの?」


すると、やはりあまり状況がよく分かっていないのか、それでも敢えてやっているのか。

刺すような殺気を向けられているのにも関わらず、その場にそぐわない朗らかな様子でそう呟くちくま。


既に全く動揺していないようなその様子に、カナリはその度胸というか、図太さみたいなものに呆れ以上に感心するともに。

まるで当たり前であるかのように、守るように前に立つ晶の行動にも驚いていた。



「ああ。そう言えば自己紹介していなかったわね。私は黒姫瀬華よ。炎の子……確かちくまといったかしら?」

「え? あなたも僕のこと知ってるの? あ、さっきの前世の知り合いってやつ?」

「ふふっ。まあ、知己の背中でいつも見ていたから……っ!」


それは間違いなく、カナリにしろ晶にしろ気を抜いていた瞬間だった。

和やかといえる会話をちくまとしていた蒼髪の少女が、突然その姿を消したのだ。


いや……消えたのではない。

目視できなくなるほどの速度で、カナリのほうへと近付いていたのだ。

そのことにカナリ自身が気づいたときには、目の前に青白い刃が迫っていて……。



「……『夢影衝』っ!」


その刃が振り下ろされるまで、カナリは全く反応できなかった。

ただ、それと同時に切られた、という感触もまるでなくて。


それにより瀬華が幽鬼のごとくカナリをすり抜けたのだと分かるとともに。

瀬華が斬ったのはカナリではなく。

いつの間にかそこにいた、赤い粘土細工のごとき肉塊であることが分かった。


それは少し前、長池慎之介を襲った赤頭巾と同じようなものに思えたが。

(それを知るのはここにいるメンバーではちくまのみであるが)


その赤い残骸が何を意味するのか…、その場にいる者たちが理解するよりも早く。

再び瀬華は縮地と呼べるスピードでその場から消えた。



その姿を目で追えたものが、その中に何人いただろう?

もしかしたら、その姿を目視できたのは次に狙いをつけられた当人のみだったのかもしれない。



「『流樹萌牙』っ!!」

「……くっ!」


 突然の吼えるような呼気と、何かと何かがぶつかり合うような音が聴こえてきたのは、少し下がるようにして、カナリの背後にいた美里の目前だった。


今までの蒼く凍えるアジールとも違う、翠緑の力迸る地の構えからの斜めにかち上げる瀬華の、大自然の力秘めし乾坤の一撃。


それを止めたのは一本の細腕。

いや、ただの腕ならば、そのまま剣に両断されていただろう。

その腕は鋭利な刃と化した、黄金色の手刀だ。

 


「……タクヤっ!?」


そこで我に返ったように、そう叫んだのは美里だった。

そう。そこにいたのは、いつの間に金箱病院に来ていたのか、昨日まで本部にいたはずの稲穂拓哉だったのだ。


拓哉は、十字を形作る状態で受け止めた刃の重さに耐えつつも。

聞きようによっては悲痛とも取れる主……美里の言葉に苦笑を浮かべる。

拓哉としてはファミリアとして精神の繋がっている主の危機を察して飛んできたわけで。

主である美里に降りかかる危険を全てその身で受けるつもりでいるのだが。

美里自身がそれをあまりよく思っていないのがよく分かる。


そもそも本部の留守を言いつけられたのも、そんな背景があったわけなのだが……。

 



「木? いや、時の眷属か? 味方なら味方らしく、隠れてないで欲しかったわ。おかげで無駄な力を使っちゃたじゃないの」


瀬華は酷く残念そうに、そして唐突に向けていた刃を下ろす。



「あれっ。 ……あの、味方?」


一方の拓哉も、相手……瀬華を敵だと思っていたらしく。

構えはそのままに拍子抜けしたような声を上げるしかなかった。

 


……と。

その時だった。


ボフッ!っと、突然何かに火がついたような音があたりに木霊したのは。

見ると、瀬華の身体を覆うように白い煙が上がっていて。

 

それが風に流された時には既に、まさしく手品でも見せられたかのように瀬華の姿はなく。


変わりにそこにいたのは……知己だった。




               (第84話につづく)







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