第82話、それはまるで、魂ごと人格が入れ替わったかのような……
―――知己と法久と榛原がそんなやり取りをしていた少し前のこと。
知己がすぐに法久との長電話に入った一方で、ちくまとカナリは初めて会うスタック班(チーム)に対し、宣言通り自己紹介を始めていた。
「おはようございまーす。はじめましてっ。スタック班(チーム)のみなさん! 僕は新しくネセサリー班(チーム)に入ったセン……じゃなくてちくまって言うんだ。よろしく~っ!」
「えっと、その……同じく、カナリです」
とは言ってもノリノリで自分を紹介しているのはちくまのみであり。
カナリのほうと言えばいつもの強気な態度もなりを潜め、どこか緊張した様子でただちくまに続くだけの状態であった。
昨日のことが尾を引いているというのもあるだろうが。
目の前にいるのは実際に芸能人な美少女ばかりなせいもあっただろう。
「くすっ。ご丁寧にどうも。私は真光寺弥生。スタック班(チーム)のリーダーをしているわ」
「キミがウワサのカナリちゃんかぁ。あたしミサト! 小柴見美里だよ。よろしくねっ」
それに対し、リーダーらしくちくまとカナリを交互に見やって穏やかに挨拶したのは弥生だった。
美里の方は伝説の7人の一人であり、AAAクラスの力を持っているカナリに興味津々らしく、朗らかに笑顔を見せていた。
「それでさ、えっと。ここで待ち合わせでいいんだよね? 何か困ったことでもあったの?」
そして、自己紹介もそこそこにちくまはそう言葉を続け、そんな弥生たちに隠れるようにベンチに座って俯いたままの晶に視線を向ける。
その隣には、そんな晶をあやすように何かを話しかける仁子の姿もあった。
「晶ちゃんのことだよね? うんと、その……なんて言えばいいのかなあ? あんまりおしゃべりしてくれる子じゃないからはっきりとはしないんだけど。ミサト的に判断すると、知己にーちゃんのすっごいファンで、恥ずかしいみたいなんだよね~」
「ふーん。なんか分かる気はするけど……」
ちくまはそんな美里の言葉を聞いて、昨日のライブ会場へ行くまでの道すがらの出来事を思い出す。
そう言えば、知己を見て驚き嬉しさのあまり卒倒しているファンの人もいたなーと。
「……っ」
と、ちくまがそんなことを考えていた時だった。
それまで借りてきた猫のように大人しかったカナリがその晶を見たとたん、弾かれたかのように駆け寄っていくではないか。
「……カナリさん?」
ちくまはそれを見て、急にどうしたんだろうと思う反面。
自己紹介を先にするのは僕だと言わんばかりにその後を追いかけていく。
「晶ちゃーん、平気だってー。ああ見えて意外と中身は普通の人だからさー。あ、うーんと。やっぱりちょっと変わってるかもしれないけどー」
内から来る衝動のままに駆け出していったカナリの耳に飛び込んできたのは。
そんな年中日向ぼっこでもしているかのようなのんびりとした仁子の声だった。
「……」
しかし、そう声をかけられた当の本人の晶は、俯いたまま顔を上げようとしなかった。
ベンチに腰掛けると足がつかないほどの小柄な短いおかっぱの少女。
カナリはその姿に、見た目以上に幼さを感じるとともに。
目に入る膝小僧が僅かに震えているようで。
何かに怯えているかのように見えて。
気づけばカナリは内なる衝動に突き動かされるかのように、口を開いていた。
「あの、えっと……大丈夫?」
その衝動は……ちくまと会った時よりも、美弥に会った時よりも。
ネセサリーを見たときよりも。
大きな懐愁と親愛の情によるものだと、カナリは自覚していた。
「……っ」
晶も、そんなカナリの言葉に何かを感じ取ったのか、今まで何を言われてもまるで知己を視界に入れるのを避けるようにしていた顔を上げる。
そして、二人は知り合いなのかなと仁子が思い込むほどには互いにじっと見つめあって……。
「お姉さん誰? 新しく入った人?」
「……っ!」
僅かに揺れる黒の瞳でじーっと見つめながらそう言ったのは晶だった。
カナリはその言葉に酷くショックを受けたかのように、一瞬だけ言葉を失う。
「……あ、えっと。ご、ごめんなさい。自己紹介もしないで。わたしはカナリといいます。この度新しくネセサリー班(チーム)の一員になりました」
だが、すぐにカナリは愛想笑いを浮かべて誤魔化すようにそれに答えた。
カナリはそんな晶の言葉を耳に入れるまで、確かに彼女を知っていると思い込んでいた。
なのに、今はそう思っていたのが嘘であるかのように、晶とは初対面である実感をさせられている。
まさしく何かの抑止力が、カナリに大事なことを思い出させないように。
記憶の紐をぎゅっと縛られているかのような感覚がそこにあった。
どうしてなのだろう?
カナリは同じように仁子にも頭を下げつつそう考える。
「くあっ、先を越されちゃったよーっ! 同じくっ、ネセサリー班(チーム)に新しく入ったちくまだよっ、よろしくっ」
「よろしく~。私は聖仁子です~。で、こっちはあなたたちよりちょっと早く入った新人さんの沢田晶ちゃんだよ~」
しかし、それもなんだか無茶苦茶悔しそうなちくまと、仁子ののほほんとした会話に追いやられてしまった。
加えてそれどころでなくなったのは、仁子に促されるようにしてちくまに頭を下げた晶が、その吸い込まれるかのような黒の瞳でちくまをじーっと見つめていたからだろう。
「わたし、お兄さんのこと、知ってる」
「……なっ」
そして、そんな晶の言葉を聞いてカナリは思わず絶句した。
それと同時に生まれるムカムカするような気持ち。
表面的には自分のことは知らない風だったのに、というのもあるのだろうが。
「え、そうなの? 僕、ぜんぜん晶さんのこと知らないよ?」
「うん。しょうがないの。だって生まれるよりも前のことだから」
「ふーん? そうなんだ。さすがに生まれる前は覚えてないなあ」
でも、そう言うのって何かいいかも、と笑顔を見せるちくま。
晶もそれにつられるように僅かに笑みを浮かべている。
その、なんだか妙にいい雰囲気に。
自分でも分からないままに、カナリは心のうちのムカムカが大きくなっているのを自覚していた。
「な、何が生まれる前は、よっ! そ、そんなものあるはずないでしょっ」
相手が初対面とかは既にどうでもよくなって、思わずカナリがそう言うと。
晶はびっくりしたように瞳をぱちくりさせた後、何故か柔らかく微笑んでそれに答えた。
「生まれる前……前世はちゃんとあるのよ。来世に希望が持てるのと同じなの」
「……」
その、外見やその声にしては大人びた、まるで諭し包み込むような晶の言葉に。
カナリはやはりどこか覚えがあるような気がして、黙り込んでしまう。
自分に姉、どころか身内などいないはずなのに。
彼女がお姉さんであるかのような、そんな気がしたからだ。
言っていることはよく言えば夢見がち、とも言える内容なのにも関わらず。
もしかしたらこの子は、この人は自分を知っていて知らないふりをしているのかもしれない。
カナリは漠然とそう思っていたが……。
「んー。晶ちゃんなんだか調子戻ってきたー? もう知己さんのところに行けるー?」
「……あぅ」
しかし、相変わらずスローモーな仁子のそんな言葉に。
さっきまでの大人びた雰囲気はどこへやら、再びしゅんとなって俯いてしまった。
「晶さん、もしかして知己さんのこと、怖いの?」
「……っ」
そして、そんな晶に対して、ズケズケと心のうちに土足で入り込むようなちくまのセリフ。
どうしてそうデリカシーのない言葉が吐けるのかと、カナリが思わず頭をかかえていると。
知己のほうがいまだ電話が続いているらしく、とりあえずはいいかと戻ってきた美里が口を開いた。
「知己にーちゃん怖い? そうかなあ。ミサトたちにはやさしいと思うけど?」
「うーん。まあ、知己さんの能力に萎縮しちゃうのはあるかも」
さらに続くのは、やはり戻ってきた弥生のそんな呟き。
「あれ? 晶ちゃん、知己さんに会うのが恥ずかしいんじゃなかったの~?」
それらを聞いた仁子は、何で突然そうなったと言わんばかりに首を傾げる。
「あの、その……」
そして、矢継ぎ早にそう言われて、オロオロと慌てだす晶。
その様子を見ているとなんだか可哀想になってきて、もう止めてあげたほうがとカナリが口を開きかけた時。
それでも晶はぽつりと、みんなの問いに答えるように。
それでいて独り言のように呟いた。
「だって、あのお兄さんが笑いかけてくれるんだよ? すごいことなんだよ? 初めて見たんだよ、目の前で……」
その呟きに含まれるものはなんだろう?
喜び、幸せ。
あるいは、悔しさ……虚無感、だろうか。
カナリには、そんな晶の言葉を。
『今まで何をしても、一度だって自分に笑いかけてくれることなどなかった』
という意味でとったが。
「にぃ……じゃなく、知己さんも幸せ者ね~。身近にこんな熱心な、可愛いファンがいるんだから~」
それはどうやら違うらしい。
そんな仁子の言葉から判断すると。
『憧れていた、有名人の身近にいられて、生スマイルを見られるなんて夢みたいだ』と言うことらしかった。
「うむむ。晶ちゃんがそこまで知己さんのファンだったとは。やはりネセサリー侮りがたし」
それから、まるで自分もそうであるかのように唸るのは弥生。
「なんだ、そうなんだ。ならいいじゃん。知己さんのこと好きなんでしょ? もっと近くに行こうよ!」
「え? あぅ、その」
そして一連のやり取りを聞いていて、理解したのかそうでないのか。
元気良くそう言って晶に手を差し出すちくまだったが。
それでも晶はあたふたと狼狽するばかりでその手を取ることもなく、そこから動こうとはしなかった。
「……」
カナリはその行動を見て、そうは言ってもちょっと大げさすぎじゃないのかと、思わずにはいられない。
やはり、仁子の言うような理由ではなく、もっと他に晶が知己に近づけない理由があるようにも見えるのだ。
と……。
カナリがそこまで考えかけた時、突然異世に入り込んだかのように。
辺りの空気、風の向きが変わったのが分かった。
それまで晩夏のぬるやかだった風が、辺りを蒼の世界に染め上げていくかのような冷たい風になって。
カナリたちのほうへと吹きすさんでくる。
「これはっ」
その風の中にあるものに、誰よりも早く反応したのは美里だった。
人より危機感知能力の高い美里は、その風に含まれ、紛れるようにしている殺気から身を守るように両腕をかき抱く。
それから、沸き起こる危険信号を表に出さないように。
美里はきつく口を結んでいて……。
(第83話につづく)
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