第267話、還る場所はないけれど、這いつくばっても行かなくちゃ


それは。

階段を上りきるか切らないか、という頃合いだった。


どんっ。


「きゃっ!?」


背中に軽い衝撃。

前方へのベクトルに足を取られて赤い地面に転がるカナリ。

それに続くのは、苛烈なる炎のアジールで。


再度の混乱。

訳も分からず、カナリは倒れたままに振り返る。


階段の中程、薄闇の中。

手のひらに赤い炎持って、立ち尽くすちくまであってちくまでない人物の姿が目に入る。


「どうしてっ!?」


すべてに対しての疑問が、口からついて出る。

曖昧なそれに、ちくまであってそうじゃない人は答えない。

だからカナリは、両手を使って置き上がって、すぐさま駆け寄ろうとした。

その手のひらにあるものが自分を害する可能性など微塵も考えてはいなかった。


それでも、いやな予感は止まらない。

何かをしようとしている。

止めなくちゃいけない。

その思いだけで、空いた手へと自身の手を伸ばそうとする。


だが……。


「……もうこれ以上やめてよ。この子をどれだけ苦しめて傷つけて、泣かせれば気が済むの?」


わずかに芝居がかった、だけど怒り以上の何かとてつもない強い感情を秘めた言葉に、カナリの手はびくりと止まる。


顔を上げれば、そこには初めて見るちくまの泣き笑いの表情。

それは、ずきりと痛みを持ってカナリの心を締め付ける。



(ああ……)


だからちくまの代わりに今この人がいるのだろう。

カナリは本能を持って、そう悟る。

いや、ここにきて、ようやく自分が何をしようとしていたのか、気づいたと言ってもいいかもしれない。

気付けばカナリは、伸ばしかけていた手を下ろしていて。



「そっか。そうだよね。なんでわたし、そんな事にも気づかなかったんだろ」


自分のことばかり考えていた。

せめてこの想いだけは届きますようにと。

相手のことなど、全く考えていなかった愚かしい自分に。


「ごめんなさい。……そもそも、資格なんてないはずなのにね」

「そんな事ない。これは私の我が儘だから」


それなのにも関わらず。

自身の罪を気づかせてくれた張本人が弁護の言葉を紡いでいる。


「これはあの子の気持ちじゃない。私の勝手な言い分なの。だから……」


そこで言葉を止め、ちくまは炎浮かびし手のひらを降り下ろす。

そう、お互いを隔てる階段とフロアの継ぎ目を狙うようにして。


地面が抉れ、階段が塞がれる音。

カナリは動けない。

行くことも戻ることもいけないような気がしていて。


「さよならは言わないわ。だって約束したもの。平等に公平に戦おうって。……まだ、勝負はついてないんだから」

「……っ」


友達の誓い。

お互いだけに通じる秘密の魔法。

初めて聞く言葉のはずなのに。

聞いた瞬間、そんな確信めいた盟文がカナリの頭の中を駆け巡る。


それはまさしく。

カナリにとっての希望だった。

自分が存在していい……その証だった。

先の見えない使命を明るく照らす、斜光だった。



「そんな約束した覚えないんですけど」


浮かぶのは同じ笑み。

あえての、意地の悪い呟き。


「そりゃそうよ。それは未来の話だもの」


返ってきたのも、からかい半分のその言葉で。

そこには、使命を果たして終わらない。

そんな強い意志が込められている。

そのことがお互いの心に染み渡れば、もう進むことに迷いはなかった。


「負けないから」

「望むところ」


たとえそれが叶わぬ幻想だとしても構わない。

ただ、お互いの、使命を果たすために。

二人は、何でもないような別れの言葉を糧にして、走り出したのだった……。





          ※      ※      ※




そうして。

時はあるべき姿へとその身を変える。


知己たちが金箱病院へと辿り着いたのは。

全てが終わり、あるいは始まろうとする、まさしく何者かに操られているかのような絶妙なタイミングだった。



「……ううむ。氷ドームどころか氷のかけら一つもないじゃないか」

「おかしいでやんすねえ。映像では確かにはっきりと写ってたでやんすけど」


金箱病院の入り口。

ぐるりと塀で囲まれたその場所において、いわゆる夜間救急搬入口へとやってきた知己たちだったが。


知己が訝しげに、法久が首をひねるのも無理はなかったのだろう。

異世の産物ではなく、現実の世界に出現し、金箱病院を丸ごと包み込み覆っていた氷ドームが、跡形もなくなっていたのだから。


法久の力でそれを見たのは、ここへ来るために電車に乗ったその直前だった。

朝早くに出てまだ昼前なのだから、単純に考えれば、その数時間の間に膨大な量があっただろう氷が溶け消えてしまったことになる。



「なんだよ。せっかく久しぶりの出番なんだし、派手に行こうかなって思ってたんだけどな」


何せ知己はずっと黒姫の剣の中にいたわけだから。

それなりにフラストレーションは溜まっていたのだろう。

おどけた調子の中に、ありありと不満めいたものが伺える。


案外、そんな知己にせっかく作った氷ドームを壊されたら叶わないなんて思って克葉はそれを消してしまったのかも、なんて益体もないことを考える麻理だったけれど。



「とりあえず中に入ってみるかな。やけに静かなのも気になるし」

「そうでやんすね」


この中で何かが起きているだろう事はほぼ間違いないのだろう。

普通ならば日の高く上りだしたこの時間帯ならば。

ここには多くの人が行き交っているはずの場所で。

だけど今病院を支配するのは廃墟か真夜中かと思えるくらいの無人の静寂のみだったからだ。


もっとも、その一番の理由は。

医者や患者の避難の意味を持つ転院故で。

何より問題なのは、知己たちにその連絡がなかったことなのかもしれない。



「あ、待ってください知己さん。みんなでぞろぞろ回っても効率悪いですし、分かれて探索しませんか?」


と、法久の言葉に頷いて先陣を切ろうとする知己に声をかけたのはマチカだった。



「……え?」


それに対し、なんだか驚いた様子で振り向く知己の姿がある。


「いや、しかし。それは危険すぎないかな? 己にはわざわざ戦力を分散させるメリットは感じられないけど」

「それは、力の大半を失った私が足手まといだからですか?」


「い、いや。そういうわけじゃないって。己が心配なだけでさ。ほら、奈緒子ちゃんも麻理ちゃんも能力者同士の戦いなんて今までそんなに縁がなかっただろうし」


急にそんな事を言われて、しどろもどろの知己。

一見筋は通っているように思えるが、どうにも嘘をつけないタイプなのだろう。

そんな知己の言葉は、結局の所足手まといであると思っているに等しい。


実際問題、それは代え難き事実なのだから困りもので。

そう思っていないのなら、知己はここに来る前に二手に分かれることを提言しただろう。

若桜へ行く前に、カナリやちくまたちにそうしたように。



「でも、それでは来た意味がないのと同じです。私も含めてここにいるものは覚悟してきてるんです」

「……ううむ」


そんなマチカの言葉は、知己を困らせることにしかならないのかもしれない。

眉を寄せ腕組みして考え込む知己。

何かいい折衷案はないものかと必死に頭を巡らせている様子が手に取るように分かる。


「奈緒子ちゃんや麻理ちゃんは? どう思う?」


そんな知己はやがて顔を上げ、なんだか助けを求めるかのような顔でそう聞いてきた。


「私はそれこそ足手まといの素人なのでどっちにしても誰かについて行くしかないんですけど」


若桜高校はカーヴ能力者の卵が通う学校でがあるが。

その内情は信更安庭へ通えるほどの=前線に立てる資質を持つ者からあぶれてしまったものたちが集められる場所にすぎない。

まぁ、中には大器晩成型の……例えばマチカや賢のような人物もいるにはいるのたが。


若桜で習うのは基本の基本にすぎず、確かに奈緒子にとっては酷な話だろう。

でも、マチカのいる意味がないという心情も分からなくはなかった。


知己にはそんな気持ちは微塵もないだろうけど。

そんな知己の心配性な部分は、覚悟を持った人間に対して失礼千万なことだった。

まるで、自分がいなければ負けるだろうって決めつけているように思える。



「この病院自体そんなに広くなさそうだし、わざわざみんなでぞろぞろと移動する必要はないんじゃないかな。みんな携帯持ってるんだから、何かあったらすぐ連絡すれはいいんだし、こまめに時間と集まる場所を決めておけば効率も悪くないと思うけど」


だから……自然と麻理はそんな事を口にしていた。

お互いの折り合いがつくだろう、その案を。



「お、おお。もっともな意見。己はそれでいいけ」

「え、ええ。私もそれで構いませんわ」


それに頷く知己とマチカ。

だけどなんだかちょっと二人の様子がおかしい。

なんだかうろたえているようにも見えて。

その事に麻理が首を傾げていると。



「麻理って見かけによらず大胆っていうか強気だよね。なんか戦いになれたベテランって感じ?」

「ううむ、これじゃ誰がリーダーなんだか分かんないでやんすねえ?」


ちょっぴり尊敬の眼差しの混じった菜々子の言葉と。

未だ抱きしめたままの腕越しに伝わる法久のどこかからかうような声が耳に届いて。

はっとなって麻理は、あたふたと慌て出す。


「あ、いや、これはそのっ。口が滑ったというかなんというか……」


素が出ないようにって極力気をつけていたはずなのに。

そもそも根本的に違うのだからそりゃぼろも出るわと思わずにはいられない麻理である。


「いやいや、むしろ忌憚ない意見大歓迎だよ。むしろリーダー変わってもらおっかな。どうもこう、己って上に立つタイプじゃないし」

「え、遠慮しておきます」


朗らかにそんな事を言う知己に、どの口が言うのよなんて間違っても言えるはずもなく。

苦笑いしてうつむくしかない麻理がそこにいて……。



             (第268話につづく)






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る