第106話、操縦席視点で見せられたものは……


ケンは、ぼぅっと……ただ前を見ている。

授業を聞いている風でもなく、マチカを認識した様子もなく。

その、いつもより薄い気がする紫がかった瞳には、おおよそ生気というものがなかった。

その様は、生きることに何一つ意味を見い出せないでいるかのようで。



マチカは、何故そう思い至ったのかも分からぬままにかぶりを振る。

おそらく、ケンは操られているのだろう。


カーヴ能力は意外と精神に影響を及ぼすものが多い。

となると、意識の戻った自分自身に疑問が残るが。

マチカは、それをふまえて行動に移すことにした。


まずは術者……トランを探す。

たとえどんな能力だとしても、その能力者さえ討ってしまえばいい。

それが可能かどうかはともかく。

そう思いつつも、まずは教室の外に出るべきかと、手を上げようとしたが。


いつの間にそれほどの時間、思考に没頭していたのか。

降って沸くように鳴り出す、授業の終を告げるチャイムの音。


それならそれで都合がいい。

ケンをなんとか引っ張って、コウやヨシキを見つけ出し態勢を整えよう。

そう思いたち、立ち上がろうとして。



「……っ!?」


ふいに耳朶に、頭に、心に響かんとするそれは。

静かに『始まり』を告げる、オーケストラの音色。

記憶の途切れる寸前に聞いたものと同じもので。



それが、お昼の放送であると理解するより早く。

二度目のはずのそれは、マチカに劇的な変化をもたらした。


見えない何かに、全身をぎゅっと握り締められて。

軋む痛みとともに、身体の自由が奪われる。


この音色が、あのトランと名乗った男の能力……その発動の始動キーか。

そう理解するより早く。

その支配の力はゆっくりとマチカの精神へと、染み込むように侵食していって……。


その瞬間。

何かがぶつりと途切れ、切り離されるような感覚。





(あれ……?)


てっきり精神まで奪われ、操られるのかと思ったが。

惚けたように我に返ったマチカがそこにいる。


だが、それだけだった。

口もきけず、マチカの身体は、精神からの命令を無視するかのようにぴくりとも動かない。


それはまるで、マチカの身体に精神が閉じ込められてしまったかのようで。

マチカの身体の中に別の小さな自分がいて、その瞳を通して外を覗き見ているようで。


巨大ロボの操縦者の感覚とは、こんな感じなのだろうかと。

のんきな事を考えていたその時。


まさしく、巨大ロボ自体に意思があるがごとく、マチカは立ち上がった。

それと同時に、できることならあまりしたくない角度で口角が、頬の筋肉が持ち上がる感覚。


それは、あまり好まれないだろう部類の笑みだ。

何かを企んでいるかのような、何かを憎んでいるかのような。


直接見ることができないのに、そんな笑みを形作っているのが分かったのは。

隣に座る奈緒子が、引きつった顔をしつつ遠巻きにしているのが横目に入ったのもあるだろう。


奈緒子が、自分に引いている一端はこれかと。

否が応にも納得させられていると。

そんなマチカの目の前を、どこかぼぅっとした……意志薄弱な夢遊病患者めいたケンが、通り過ぎようとしているのが分かって。


そんなケンに、操られているという部分を引いても、やっぱりどこか違和感を覚えるマチカ。

しかしそう思いつつも、声をかけようとしたマチカの精神を無視する形で飛び出したのは、マチカ自身の足だった。



ぶつかる! と思うも時既に遅し。

差し出された足に全く気づく様子もなく歩きだしていたケンは、がっと軽くない音を立て、前のめりに転んでしまう。



(ご、ごめんっ! 大丈夫っ!?)


マチカは咄嗟にそう謝った。

だが、その声は自身の体に閉じ込められ、こもって外に出ない。



「あら、ごめんなさい。気付かなかった、わ!」


その代わりに、一拍遅れて紡ぎ出されたのは。

意味は似ていても、伝わるものはまったく違う、そんな言葉だった。


あえて作ったかのような、それでいて敵意のこもった、これほどまでに嫌味な声色があるだろうかと思うような、そんな声。


自分はこんな声を出せたのかと、変に感心していると。

言うことを聞かぬ身体は、更なる暴挙を加える。

なんと、倒れたままのケンの背中に足を置いたではないか。



(ちょ、ちょっと! 何してるのっ!?)


精神のマチカの非難もどこ吹く風。

ぐっと力のこもる足。

呻くような声をあげるケン。


突然の行動の意味が。

あるいはそうさせる意図が分からず、混乱するマチカ。

それでも、自身が無理なら周りに助けてもらおうと辺りを見回す。


……そしてそこで初めて、この状況を理解した。



クラスの皆は、見てみぬふりをするものがほとんどだった。

その中に数人、媚び諂うという言葉が似合う笑みを浮かべて見守っている女生徒たちが数人。

思わず縋るように奈緒子を見るも、遠巻きに引いて見ている状況は変わらなかった。

見たくないものを見せられてその表情は歪んでいたが、それでもマチカの事を止める素振りは見られない。



(ケンは、いじめられている?)


それも、マチカという女生徒を中心として。



「いい加減目障りなのよ。さっさと消えてくれない?」

「……ぐっ」


マチカの身体はまたしても勝手に動き、その足が脇腹の下の柔らかい部分に入る。

呻き転がるケン。

横向きになることで……あるいはマチカが顔を近づけたことで、二人の視線がかち合った。

いや、正確には合わそうとしても合わなかった、と言うべきだろう。


ケンは、マチカの方を見ていなかった。

その視線の先に、確かにマチカがいるのにも関わらず。

その青紫色の不思議な色合いの瞳は、決してマチカを映すことはなくて。



(……っ)


どうしてだろう。

そんなケンに、マチカは嫌悪感を覚えてしまった。

全く自分を見ようともしないケンに、イライラしているのがよく分かって。



「……私はあなたを許さないから」


ぼそっと。ケンにだけ聞こえるような、そんな言葉。

なんの偽りもない、本音の言葉。


一体、マチカは……彼女は何を許さないのだろう?

幼き頃の拙い約束のことだろうか。

明日遊ぼうの約束をして、すっぽかされたことだろうか。

それから再会して。そんな約束すら、すっかり忘れられていたことだろうか。


思い当たるのは、それくらいだ。

なんて思ったところで、精神のマチカははっと首を振る。



もう、何年も前の子供の頃の話だ。

マチカだってそんな事もうとっくに忘れ去っていて。

今のケンとは、特にわだかまりがあるわけじゃない。


だからきっと、彼女が口にした『許さないこと』とは、きっと別の事なのだろう。

マチカはそう思い自分を納得させようとしていたが。


それでも心のどこかで理解していた。

忘れ去ったふりをして、それでもずっとずっと気にしている自分のことを。



「……」

「もう来なくていいから」


そんな事を考えていると。

何事もなかったかのように立ち上がり、のろのろと教室を出て行こうとするケン。

明らかに苛立った様子でマチカが声をかけるも全く反応はない。

それは、マチカの知るケンとは似ても似つかない、別人のような行動で。



(別人? でも、まさか)


何故かその時、その言葉がひどくしっくりきた気がした。

操られていれば、別人に見えるのは当然のはずなのに。



それが、今の状況を打破するために考えなくてはいけない事なのだと。


マチカは何故だか、確信めいたものを覚えていて……。



             (第107話につづく)






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