第417話、少しづつ受け入れても、この傷はもうなおらない
気が付けば。
黒い……昏き少女は。
何か都合の悪いものを遠ざけ逃げるように。
自身と同じ、迫り来る闇と同化し、がむしゃらに駆け出していた。
少女……ひとりのファミリア、そのまがい物として生を受けた彼女は。
今の今までたった一人の、一番大切な主を守るために生きてきたはずなのに。
主の命を脅かさんとするものを、今までのように排除しただけだったのに。
涙が止まらない。
何か、自分を形作り留める大きなものを、失ってしまったような気がして。
怖くて、悲しくて、寂しくて、苦しくて。
主に会いたいと、ただそれだけを思い、足を動かす。
そこから感情がせめぎ合いわやくちゃになって。
どこをどう通ったのかも分からなかったけれど。
黒き少女は、気づけば波打ち寄せる、その一日が暮れゆく浜辺に、しばらくぼぅと立ち尽くしていて。
「主さまっ……!」
不意に思い立つように。
助けを呼ぶように、たったひとつの拠り所をかき集めるかのように声を上げる。
それは、波音にもかき消されてしまいそうな、小さなものであったが。
黒き昏き少女の、『たったひとり』の大切な主は。
偶然か必然か。
その声を聞き逃すことはなく。
明日のためのキャンプパーティーの準備……その最終確認に来ていたらしい彼女は。
はっとなって顔を上げ、ぼぅっとして立ち尽くす黒き少女に、そのまま軽い足音立てて駆け寄ってくる。
「……? どうしたのだ、きみ。こんなところで……って、すっごく怪我してるじゃない!」
黒き少女は、その全身を赤色に染めていたから。
慌てふためき、救急セットを取り出そうとして、それより先に救急車を呼ばなければと思い立ったが。
もう働くことを止めてしまったのか、携帯が繋がらなくなっていることを思い出し、とにもかくにもまずは様子を見る……手当をしなければと。
黒き少女をそっといたわり、軽く触れるように看ていって。
「……んん? これ血? りんご? よくよく見ると怪我はしてないのかな」
ここ最近、そういった事に慣れるようになっていた彼女は、すぐに黒き少女が取り立てて大きな怪我をしていない事を察し、ホッと胸を撫で下ろしかけたわけだが。
「……主、さまっ」
「えっ? あるじさまって……ええぇっ!? も、もしかしてきみ、きくぞうさんなのだっ……」
黒いつやつやのツインテール。
文字通り今は濡れている、大きな大きな真っ黒の瞳。
闇色の太陽に灼かれたような、その肌。
そして、彼女を……屋代美弥を『主さま』と呼ぶ、たったひとりの存在。
やっぱり、喋られるくらいなんだから、人の姿……少女の姿にもなれるのかと。
一体今までどこに行っていたのかと。
美弥がいつものように連絡した結果、知己が探しているはずだけど、会わなかったのかと。
……それら全ての聞きたいことは。
「……っ、うわああああああああああーんっ!!」
初めて耳にする、恥も外聞もない、いつものきくぞうさんならば絶対にしないような。
大きな大きな声を上げて泣き出してしまったから。
それらすべては。
後回しにすることにして。
「……大丈夫、なのだ。きくぞうさん。美弥はここにいる、のだ」
気が済むまで、自分なんかの胸でいいなら泣けばいい。
すべてを出し切って、出し切って、すっきりしたら話を聞こう。
だから今は……と。
美弥はただただ、きくぞうさんを。
ぎゅっと抱きしめるのだった。
そんなきくぞうさんが、泣き疲れ果てて、眠りに落ちるまで。
正しく、彼女の……たったひとりの、家族であることを、証明するみたいに。
※ ※ ※
そうして、次の日。
美弥は秋の誕生日会にかこつけた、海辺のバーベキューパーティ会場である、
桜咲中央公園に備え付けの合宿場とも言える、美弥自身に宛てがわれた部屋のひとつで目を覚ました。
「うう? あ、朝なのだ……って、だ、誰っ!? って、あ、そか。きくぞうさん、女の子になっちゃったんだっけ」
いつもは自身に与えられた仕事上、朝には強いはずなのに。
どうしてか未だ眠り足りないのに抗うようにして起き上がると。
同じベッド、目前に黒髪ツインテールのたいへん可愛らしい少女が眠っているのに気がつかされる。
あれから、泣き疲れて眠ってしまったきくぞうさんを、背負って宿舎に戻ったわけだけど。
とりあえず『あおぞらの家』の子供たちや、恭子などには遊び疲れて眠ってしまった友達の子と誤魔化したのが功を奏したのか、特に問題なく受け入れられて。
赤いもので汚れた服を着替えさせたり、一向に目を覚まさないきくぞうさんを寝かしつけるのに多少手間取ったものの、やはり子供たちの世話でなれていたのもあって、そのまま一緒に床につき、詳しいことは明日にしようと言うことになったわけだが。
「おはようございますっ! 主さまっ。今日のばーべQ、楽しみですねっ。わたくしも参加させてもらえるとのことで、とっても楽しみですっ」
何か、大きなものを無くしてしまったみたいに。
それまでずっと、きくぞうさんに取り付き、蝕み、楔打ち傷つけていたものがなくなってしまったかのように。
憑き物が落ちた様子で、正しくもぶんぶんと尻尾を振っているかのような、快活な喜びを伝えてくる。
「今日の夕方だから、まだちょっと時間があるけど、きくぞうさんが待ち遠しいのはよおく分かったから、ちょっと落ち着くのだ」
「主さまっ! ぞうさんはつけなくていいですっ。キク、とお呼びくださいっ」
「あ、うん。わ、わかったのだ」
どうやら、昨日の涙もろもろのことなどすっぱりさっぱり忘れ去ってしまっているようで。
記憶喪失ではないのだろうが、何だか聞くに聞けず、そのまま抱きつかん勢いのきくぞうさん……キクに、戸惑うしかない美弥がそこにいて。
「と、とりあえず朝ごはんの前に恭子さんにおはようのあいさつをしなくちゃなのだ。きくぞ……キクのこと、もう一度ちゃんと話さなきゃ、だし」
「了解ですっ、お供しますっ!」
恭子ならば、そんなキクのことも、電話が繋がらなくなったことで状況の分からない……具体的に言えば入れ違いになっているかもしれない知己のことも分かるはずだと。
目を離すと、どこかへ飛んでいってしまいそうなくらい元気いっぱいなキクのほっそりむくむくな手をとって。
美弥は、自身に宛てがわれた部屋を出て、恭子の元へと向かうのだった……。
(第418話につづく)
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