第154話、くじ引きから始まるクオリティ・オブ・ライフ
―――時は戻って、7月半ば。
山鳩の鳴き声すら聞こえる、早朝の金箱病院の中庭で。
「みんな、ちょっと集まってくれる? くじ引きしましょ、くじ引き!」
真光寺弥生はその場にいる一同を集めたかと思うと、開口一番そんな宣言をした。
それは……なんというか、突拍子もないものと言えばそうだっただろう。
知己や法久たちと別れてからはや数日。
何の進展もない我が班に焦りを覚えた果て、と言ってもいいかもしれない。
けれど、結果だけ口にして、そこまでの過程をすっ飛ばしてしまえば、伝わるものも伝わらないんじゃないだろうか、と聖仁子は思う。
長年の付き合いである仁子自身は、そんな行き当たりばったりな弥生の言動にも慣れているので、理解できなくはなかったが……案の定朝早くに集められた他メンバーのリアクションは、当然のように微妙だった。
いかにも真面目一本槍そうなカナリは、その言葉を理解しようとして、範疇を超えているのか、眉を寄せたまま固まっているし。
理解しているかいないのか、その隣にいる能天気が服を着ているかのようなちくまは、ただただ変わらぬスマイルを浮かべている。
まあ、新参のふたりのリアクションは、こんなものだろう。
すでに慣れている方たちは、それはもうひどかった。
もともと無口な沢田晶は、いつもより一層無口……というか、ゆらゆらと可愛らしく船をこいでいるし。
小柴見美里などは、稲穂拓哉の背中ですっかり寝こけている。
タクヤはタクヤで、そんな美里しか気にしておらず。
しっかり聞いていて、弥生の言葉を理解している風なのは。
知己がいる時はどこかに雲隠れしていたけれど、今は当たり前のように美里の頭の上にいる白ネコの『こゆーざ』さんだけで。
何だかちょっと呆れたような鳴き声をあげていて。
とはいえ、仁子自身だって朝の五時前ともなると流石に頭のもやが抜けてなかったし、視界もぼうっとしていた。
いつもぼうっとしてるって見られているから、あまり変わらない気もするが。
こんなに早く起こしやが……ではなく、ここは我が班のリーダーである弥生を補佐するべく、何故いきなりくじ引き、などと言い出したのか、それを分かりやすく説明せんと、仁子は口を開くことにした。
「は~い。今の言葉を訳すと~。『こちとらひとり寂しい女やもめだっちゅーのに、いちゃいちゃしてんじゃねーぞゴルァ!! いつもいつも一緒に行動しやがって見せ付けてんのか!? リーダー特権でお前らの仲を引き裂いてやる、グヘヘへっ』…………こうなるの~」
まるで、スイッチを入れて明かりが灯るかのように。
その場の空気すらガラリと変え、巧みに弥生の心情を代弁する仁子。
当然のごとく、その意訳には自信があった。
大好きな人に長い間冷たくされて、フラストレーションがたまらないわけはなく。ついこう叫んでしまっても、仕方のないことなのだと。
しかし、仁子が満足気に頷く中。
文字通り目の醒める大軍の士気すら暴落しそうな仁子の大喝に、その場はパニックと化していた。
仁子の大魔神のような変わりように、晶は捕らわれたウサギのようにしゃくりをあげているし。
冷や水を浴びせかけられ、フライパンを頭越しにどつかれたかのごとき衝撃を感じた美里は、そのまま地面の叩きつけられるという最悪の目覚めを経験させられ。
タクヤとこゆーざさんは、本能のままに戦闘体勢をとっている。
その一方で。
「ち、ちょっと、ちくまのせいで怒られたじゃない!」
「え、えええ! ぼ、僕のせいなのっ!?」
なんてやり取りすら聞こえてくる始末。
「まあまあ、弥生っち。そんなに怒らないで~」
「って、よっしーが言うのそれを!? 勝手にひとの心情を代弁しないでよっ! ……じゃなくて、それはよっしー自身の本音でしょうがっ!」
なだめるように、朗らかに仁子がそう言うと。
猛然とツッコミを入れてくる弥生。
「またまた~。遠慮しないでいいのよ~」
「だからどっちなのよ!? 意味わかんないわよっ、たくっ!」
かっと目を見開いて叫ぶ弥生。
ちょっと面白い。
彼女はどんな変化球でも剛速球でも、こうやって真っ向から打ち返してくれるから仁子は好きだった。
それは、普通でいられる自分を自覚する瞬間。
「で~? くじ引きなんて言ったのは、現状に変化をつけたいから~?」
「……何よ。わかってるんじゃない。そうよ、そういうことなのよ。あのさ、いっつも同じ組み合わせで別れて行動してるでしょ、私たちって。それがね、今の停滞の原因のひとつだって考えてるの。たいしたことじゃないかもしれないけど、行動メンバーをチェンジすれば、何か変わるかなって、そう思ったのよ」
「ふーん」
何事も起こらないのなら(新人のスカウト、という意味ではダメダメだけど)、それでいいじゃないとも内心思う仁子であったが、それは口にしなかった。
いろいろおふざけ? かましたが、弥生が焦っているのは事実だからだ。
『使えない奴』なんて思われでもしたら。
それこそ自分たちは生きる価値すらなくなってしまうのだから。
「くじ引きかぁ……僕、やったことないかも」
「そう言えば、わたしもたぶんないわね」
「僭越ながら僕もですねぇ」
「あはは、そうなんだ。そっか、うん。いーんじゃない。やよちゃん、ホントになにか起こるかもしれないよ?」
くじ引きなんて、やったことある、ないの話題にのぼるほどのものでもないように思えるけれど。
このメンバーじゃしょうがないんだろうなぁ、なんてまたしても内心ひとりごちる仁子である。
「そう? 晶ちゃんもいいかな?」
だが、弥生はまんざらでもないらしく、意味もなく照れながらそれまでだんまりを貫いていた晶にも許可をとる。
そんな晶も頷いたので、その突拍子もない案は採用決定なのだろう。
弥生の口にした、ちょっとした変化。
それが、大きな変容の始まりになればいいと、仁子は思う。
平穏を望む気持ちがあるのは間違いはない。
だけど、それ以上に。
心の奥底から沸き立つゾクゾクが。
これから起こるかも知れない何かを心待ちにしていた……。
(第155話につづく)
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