第194話、怒らせたら誰よりも怖いけれど。自分のためだと思うとむず痒くなる



タクヤが率先して見に行く事を決めたのは、一度集まった時、弥生……ではなくさつきが連絡を取っていた、特別病棟の患者たちのために働く医者や看護師のいる詰め所だった。


氷ドームができる前に、この病院の従業員はほとんど外に出されてはいたのだが。

それでも特別病棟の患者のために残ってくれた人がいたのだ。

彼らも一応能力者である以上危険がないとも限らない。

安全が確認できるまで、竜脈による能力低下の結界のある特別室に待機してもらっていたのだが……



「くっ」


たどり着いたその場所には既に、誰もいなかった。

部屋のリノリウムの地面が下から突き上げるように破られている。

おそらく、赤い異形が竜脈を壊して上がってきたのだろう。

危険があればすぐに連絡するようにと言っておいたはずなのだが、その暇もなかったのだろうか。


「……いや、この匂いは」


残滓のように感じられる何者かのアジールと、なんらかの……催眠を催すタイプの香りがした。

まるで死を誘うと言われる花のような香りが。

タクヤは、それを忘れずに覚えてから……その部屋を後にした。



次にたどり着いたのは、『風間真』の病室だった。

カーテンが閉め切ってあって薄暗い部屋に、そっと足を踏み入れる。



「……よかった、無事でしたか」


そこに、晶がずっと気にかけていた稲葉歌恋の姿はちゃんとあった。

外の廊下はまるで早朝のように冷え込んでいたが、ここは変わらず暖かく、歌恋も心なしか安らいだ表情で眠っているように見える。

タクヤはその事に安堵し、他の部屋はどうだろうとその場を離れようとして。



「なっ!?」


突如背後に感じた、引きずるような圧迫感。

誰かの手が、タクヤの服の裾を掴んでいる。


いや、誰かではない。

そこには一人の少女しかいないはずで。



「いっしょに逝こうよ」


燃えるように熱を帯びる背中。

初めて聞く少女の声に、タクヤは答えるよりも早く。


―――凍り付く世界。

タクヤはそこでようやく振り向く。

そこには、先程までいたはずの稲葉歌恋の姿はなく。

変わりにいたのは、時とともに凍り付く赤い異形の姿だった。

そいつは今にも膨張し、破裂する寸前のようにも見えて。


タクヤは、転がるようにの力によって部屋から飛び出す。

それからすぐに、止まっていた時は動き出して。



「……っ!」


爆発に備えて伏せるタクヤ。

しかし、いつまでたっても何も変化はなく。

慎重に部屋の扉を開けると……ぬっと、赤い異形が現れて。

這い回るスライムのような動きで廊下を滑るようにして逃げていくのが分かった。

開け放たれた部屋には誰もいない空虚なベッドがある。



「くそっ!」


晶になんと言えばいいのか分からないままに、タクヤはそれの後を追う。

と、丁字なった廊下のところで、カナリと合流した。


「タクヤさんっ、今のっ!」

「ああ、なんとしても捕まえるんだ!」


二人は頷きあい、駆け出す。

赤い異形は、やがて一般病棟に続く、上階の渡り廊下までやってきた。

後に続く二人。



「あ……」

「あの子はっ」


だが、その渡り廊下に足を踏み入れたか入れないかのうちに、二人の足は縫いつけられたかのようにその場に止まってしまった。


そこに、ひとりの少女がいたからだ。



―――仲村幸永。

黒い翼を持つ、人ならざる美貌を持つ少女。

赤い異形はさらにスピードをあげて、少女に向かって駆け寄っていって。



「惜しかったなぁ。外れだ」


少女は確かにそう呟いた。

そして神秘的な造作で振り挙げる手には、小柄な太陽のような炎の固まりがあって。

それが、無慈悲な鉄槌のごとく降り降ろされた瞬間。


中空に浮かぶ渡り廊下が吹き飛んだ。





           ※      ※      ※




音すら感じ取れないほどのすさまじい爆発。

誰かに突き飛ばされる感覚を受けてそのまま特別病棟の方に倒れ込んでしまったカナリ。

そのおかげで爆風に巻き込まれずにすんだカナリは、すぐに頭を降って起きあがったのだが。


「……っ」


先ほどまで視線の先にあった世界はなくなっていた。

見えるのは橙に染まろうとする空。


夏の終わりを思わせる生暖かい風。

カナリのいる三歩先からは、地面がなく。

遙か向こうにちぎられたかのような痛々しい口を開ける一般病棟側のフロアが見える。

眼下を見下ろせば、今まで目の前にあったもののなれの果てが残骸となって山をなし、丁寧に手入れされていた庭園を占拠していて。



「タクヤさんっ? タクヤさんはっ!」


そこで気づく、今までそこにいたはずのタクヤの姿がない事実。

あの瞬間、突き飛ばしてきた手。



「タクヤさーんっ!」


カナリはしゃがみ込み、叫ぶ。

反響している声が辺りに届くとすぐに瓦礫の方から反応があった。

ガラガラとコンクリートの崩れる音がして、その中からタクヤが姿を現す。


どうやらひどい怪我をしているらしかった。

カナリの声に答えるようにあげる手からも血が滴り落ちている。


「今、そっちへ行きます!」


何故自分を犠牲にして助けるようなことをしたのか。

それを問いただすのは後だった。

カナリはそう叫ぶと、躊躇いもなくその場から飛び降りる。

建物で言えば地上三階位の高さがあったが、もうおかまいなしで。



「タクヤさん、大丈夫!?」


そんなわけはない。

体中の火傷跡。

耳からだって出血している。


何故タクヤだけがこんな怪我をしなければならないのか。

タクヤの守るべきものは自分ではないはずなのに。

そんなカナリの考えが何となく伝わったのだろう。



「ごめん、もっとうまくやるべきだったね」


困惑ぎみの疲れた笑み。

カナリはそれに答えようとして。



「全くだ。ちょっとやりすぎたか」


カナリでもちくまでもない、第三者の声。

……幸永の声。

瞬間、爆風とともに跳ね上がる瓦礫。



「きゃあっ!?」

「ぐっ!?」


吹き飛ばされるカナリと、くぐもった声を上げるタクヤ。

爆風が去れば、そこには無傷で立つ幸永の姿があって。



「また庇ったのかよ。オレが言うのもなんだけどさあ」

「タクヤさんっ、どうして!」


幸永に言われて気づく、爆風に紛れて飛んできた瓦礫からカナリの身を守るようにして立つ、タクヤの姿。



「僕のほうが体が大きいからですよ。逆だったら双方ダメージを受けるだけです」


それは、問いかけに対しての答えとして、至極正しかっただろう。

だからと言って納得できるはずもなく。


「言うねぇ。あんたには死んでもらっちゃ困るんだけどなぁ。どうせまだ話してないんだろ? そこの正咲の可愛い可愛いファミリアさんに、伝えなきゃいけないことをさ?」


言って、カナリの方を見て婉然と微笑む。



「……え?」


突然のその言葉に、きょとんとしてタクヤを見るカナリ。

視線のあったタクヤは、しかし頭を振り、


「例えそうだろうがあなたには関係ない。これは僕たちの問題なのだから」


そうはっきりと言った。



「つまんない答え。前言撤回ー。いいよじゃあ。あんたには死んでもらうから」


気を悪くしたような、不満そうな顔をする幸永。

さらに言葉を続ける。


「安庭の方に行けばあんたに教えられなくても知ってる奴はいっぱいいるらしいからな。『時の舟』の使い方知ってる人くらいさ」

「あ……」


それは白々しいほどの、カナリに聞かせるためだけの台詞だった。

事実、それはカナリが欲しているもので。



「そういうわけで、あんたは退場だ」


このわずかな間で何度体験しただろう。

何度見ても魂を掴まれ引きずられるほどの、AAAを凌駕する圧倒的な赤炎色のアジール。


こちらに水平に向けられた手のひらには、小さくても破滅的な威力を秘めた火球が渦を巻いていた。


あれを受ければ骨も残らないだろう事が、本能で分かる。

これほどの力を防ぐなり迎撃するためにはどれだけの時間を必要とするだろう。


時間だけで見れば大したことはないかもしれないが。

その大したことのない時間ですら目の前の少女は待ってはくれないだろう事は明確だった。


だとしたらかわすしかない。

それができるかどうかはまた別問題だが。


しかし。

カナリがそんなことを考えている視線の先に、またしてもタクヤが立ちふさがった。

かわすことなど露ほども考えない仁王立ちで。



「……へえ?」


それを見た幸永は感嘆の声をあげる。

彼女も気付いたのだろう。

タクヤが、カナリの能力発動のための時間稼ぎをしようとしていることに。


そんなの、当然享受するわけにはいかないことだった。

やめさせようとカナリは手を伸ばしかけて。



ビュッ!


カナリの頭上から、ちくまの右肩すれすれに黄金色の軌跡が疾った。

それは、寸分違わず幸永のかざしていた火球に命中する。



「おっ!?」


なんだか興奮したように声上げる幸永。

それは、火球に何の影響も与えていないように見えたが……



雪崩のように木霊する風泣きの音。

一撃、二撃などと数える猶予すらなく。



「お、おっ、おっ?ち、ちょっと待っ!」




軌跡の暴風雨が幸永を襲う。

それは、反撃の許されない圧倒的な数の暴力だった。


いたって単純。

故に防ぐすべはなく。

百撃ったところで火球はついに弾かれ幸永の腕を離れ、五百当たって畏怖すべき力を秘めていたはずの火球が大気の塵と化す。



それでも無数の一矢は止まらず。


そう……それは矢だった。


黄金の穂を羽にした。

たが、その見た目の美しさとは裏腹に威力は凄まじく。

軌跡だったそれはやがて流星となって、最早余裕のなくなっている幸永ごと大地を穿った。

粉塵が舞い上がり、金の風があたりを包む。



そして……。


もはや呆けるしかないカナリのすぐ側。

天から降りたったのは、美里だった。



「……っ」


凄まじいまでの戦慄。

それは、あれほどの力を放ちながら美里に気づけなかったからに他ならない。


今まで会った誰とも違う力を持った少女。

風にたなびく黄金の髪が、幻想の徒を思わせる。



「ひとつ~、そのほうがかっこいいから」


変わらず楽しげに、歌うようにそう言う美里の言葉の意味が、最初は分からなかった。


「ふたつっ、カナちゃんに怪我なんてさせたら、美里怒るよ~」


美里は、カナリに笑顔を見せながら、そう言う。

それでようやく、美里がカナリの発したタクヤの行動に対しての『何故』に答えていることを知る。


「みっつ! 相手に悟られないようにバッチリ照準をさだめるためっ」


それが、タクヤが両手を広げた意味だったのだ。

タクヤの肩を標準に、あるいはその姿を幸永から隠すために。



「おつかれ~。タクヤ。うわっ、ずいぶんやられたねぇ」

「いくつかは美里さんの攻撃でのも混じってるんですけどね……」


お互いに笑顔。

まぁ、タクヤのほうには存分に嫌みも混じっていたが。




「すげえなぁ、あんた。やっぱここに来て良かったよ」


……と。

えぐれた地面の中から、翼をはためかせてゆらりと現れる幸永。

さすがに無傷ではいかなかったのか、額から血を流しつつ、興奮さめやらぬ、といった顔で。



「オレの目的は、あんただった。オレはあんたと戦うためにここにきたんだと思うよ」


本当に嬉しそうに幸せそうに幸永は唄うように言う。



「よっつ。……ヒーローは必ずピンチに訪れるのさっ!!」


まるで返歌をするかのように。

美里は叫ぶ。

幸永と同じ、強いものと戦える喜びに打ち震える笑みをたたえて。


相対する二人。


そして。

二人の少女の人知を越えた戦いが始まった……。




             (第195話につづく)












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