第98話、忘れ去られた天使が忘れているもの



そして……。


賢とジョイの二人は、道中たいしたトラブルもなく、賢の家へと到着する。

それは、この辺りの家々の中では近代風な一軒家だった。

 


「ふーん。なんだかあったかい感じのお家だね。ケン一人で住んでるの?」

「うん、まあね。両親が俺に残してくれたものなんけど……あ、ちょっとここで待っとって」


ほぅと息をついて見上げながらそう言うジョイに、賢は頷いてそう答えてから、

今更ながら一人暮らしの男の家に、女の子を入れるという事実に気づかされて。

慌てて家の様子を確認するために先に家に入るが……。



「……あれ?」


ここ最近帰ってないし、散らかっているだろうなと思って入った自宅は。

それでも何故か思っていた以上に散らかっているどころか誇りも溜まっていなくて、賢は首を傾げる。



(あ、そか。僕だって2、3日はトランの能力にかかっていたわけだから、記憶にないけどここにも帰ってきてるってことか。ホントに一体何をさせたいのか、わけがわからんとね)


初めに我に返って逃げた時は、がむしゃらに逃げようとしていたが。

こうして何度考えても相手の意図がつかめず、戸惑うことしかできない。


それでも、街から出ようとしたら殺されかけたのだから。

少なくともこのまま何も起こらず、平々凡々と日々が過ぎていく……なんていうことはないのだろう。

 


そんな事を考えつつ、ざっと見渡して問題のないことを確認すると。

賢は玄関のドアから顔だけ出してジョイを呼んだ。



「どうぞ。我が城、我が拠点へ~」

「はーい、おじゃましまーっすと」


少し気取って賢がそう言うと、ジョイは待ってましたとばかりに賢の家へと入っていく。


目の前にすぐ見えるのは二階に上がるための階段、そしてリビングらしき部屋に続くガラス張りのドア。


ジョイは、下駄箱上にある雑多な置物やら花瓶やらを興味深げに眺めながら、勝手知ったる他人の家というよりは、洞窟を前にした探険家のような瞳で、家主を置いて玄関に上がる。

 


「……」


賢は、そんなジョイの後ろ姿を見て、不意に何かのひっかかりを覚えた。

そんなはずはないのに、ジョイがこの家を訪れるのが初めてじゃないような、そんなひっかかりを。

 


「ねえ、ケンの部屋はどこ? 二階? 探検してもいい?」

「……だ、だあっ。いきなり何をいうかなこの子はっ!? 今本持って茶でも用意してやるけん。大人しく居間で待ってなさい」


だが、好奇心に目を輝かせてジョイにそう言われて。

賢は我に返り二階への階段を大文字になって塞ぐと、そうまくし立てた。

何にせよ、自室に入られるだけでなく尚且つ探検されるとなったらたまらない、とばかりに。



「ぶぅ、しょうがないなあ」


ジョイは、それにちょっと不満そうに唇を尖らせていたが。

それでも人様の家にいる自覚はあるのか、言われるままに大人しくリビングへと続くガラス扉を開けて、中に入っていく。



「わわっ、何これっ!」


そして、リビングにある剥製の置物か何かに惹かれたのか、そんな黄色い声がして。


「全く。猫みたいな子ばい。……あれ、猫なんだっけ?」


今更ながら、そう言えばファミリアなんだよなと思い起こされる。

今の姿を見ていると、そうは見えないよなあ……なんて賢は思いつつ。

家の中ではなるべく目を離さないようにしよう、なんて心に決めて。

本をとりに階段を上がっていった……。




                 ※



 

「ほら、これが『深花のふるさと』とね」

「へえ。絵本だったんだね。じゃあちょっと見せてもらうよ」


それから。

外はすっかり日も沈み、夜の闇に包まれて。


賢のお手製で簡単な夕食を取った後(とはいってもレトルトだが)、リビングの中央にあるガラステーブルに子供向けのA3サイズの絵本を置くと。

賢はどふっとそのテーブルを囲むようにしつらえてある紺色のソファへと、沈み込むように座り込んだ。


一方、対面にちょこんと座っているジョイは、子供のように身を乗り出して絵本を広げると。

ふむふむと頷き、台詞を口にしながら随分と熱心にそれを読み始めた。


あかつきの歌姫と言われているだけはあり、その呟くような声であっても澄んで美しく。

さほど声を張っているわけでもないのに、文字ひとつひとつが賢の耳朶にはっきりと残る。

 


それは地方によくあるような、昔々の四方山話とは少し毛色の違う、ごく最近の時代の物語だ。

 

穂高と呼ばれる山に住む、『深花』と呼ばれる人ならざるものと、若桜の町に住む子供たちが心を通わせ仲良くなっていく様を、その子供の一人の母親が温かく見守るというもの。

 


「―――ぼくたちは、なにがあっても、はなればなれになってもずっとともだちだよ。もしそれをわすれそうになったら……ここにくればいいんだ。ゆうひのえがおまぶしい、このばしょに」

 

物語は、大きな事件もなく。

その友情を深め、真っ赤な夕陽に染まる、若桜の町並みを見渡せる場所を写した挿絵を最後に。

幸せなまま手をつなぎ、子供の一人がそう誓うところで終わっている。


ジョイは、最後のセリフまで読み終えると。

感極まったようにほうと息を吐いて、その余韻に浸っているようだった。

 



「……どうだった?」


賢は、そんなジョイを見ながら無粋とも言えなくもないそんな言葉を口にする。



「うん。とてもいい話。……なんかね、書き手の愛情が伝わってくるみたい」

「そーんよか」


そう言って、物語の世界の思いを馳せるように瞳を閉じるジョイに。

賢は肯定も否定もせずにただそう頷く。

 

実のところ、そんなジョイを前にして口にするのは憚られていたが。

賢自身はあまりその話が好きではなかった。


何と言うか、お話とはいえあまりに都合が良すぎるんじゃないかと感じていたからだ。

そんな風に何も波風立つことなく、幸せのまま終わるなんて。

普通はありえないだろうと。

人生の機微の分からない子供の頃から、賢はそう思っていたくらいで。

 

 

「う~ん、このお話を読んだらますます『深花』さんに会いたくなっちゃったよ」

「え? それは、いくらなんでもお話とよ? 空想の生き物じゃなかとね?」


賢はそんなジョイの言葉を受けて、何を言い出すんだよ、という顔をする。

だが、ジョイはそんな顔をしている賢がそれこそ不思議でたまらない様子で言葉を返した。



「えー、そうなの? だってボクみたいなのがいるんだし、『深花』さんがいたっておかしくないと思うよ?」

「う……いや、まあ。そう言われれば否定も何もできんばい。『深花』がいないって証拠があるわけでもないしね」


人の心に入り込み、棲み込むという化生。

確かに、目の前にいる猫にも人にもなれて、歌を歌い小さな奇跡とも呼べる事象を起こすジョイにしろ、空間に穴を開け、異界のスペースを作り出す自らの能力なんぞを真面目に考えてしまうと、そう言う力を持った存在がいても、不思議ではない気もする。

言われてみればその通りかもしれないなと、変なところで賢が感心していると。ジョイはさらに言葉を続けた。

 

「それにさ、これを書いた人にも話を聞いてみたいな、ボク」

「これを書いた人……そんなの無理じゃなかとね? ファンが作者に会わせてくれといっても、そう簡単に会わせてくれるとは思えんばい」

「でも、この本って自費出版みたいだよ? この町でしか売られてないみたいだし、地元の人じゃないかなあ」


言われて賢が本を手に取り改めて見てみると、それは確かに手作りの本であることが分かった。

背表紙をめくって作者の目の前でもないか探してみると。

その左隅に小さく、『花・鳥・風・月』とだけ書かれている。

 


「ん、確かに手作りばい。だけど、これって……名前かなあ。団体名? なんか見覚えのある気もするけど」


何かもっと身近というか、自分の立ち位置みたいなものに近い場所で、それを聞いたような感覚がともにあったのだが、賢はそれを思い出すことはできなかった。

単純に度忘れのような気もするから、そのうち思い出せるかもしれないが、 

こうなってくると余計に気になって仕方がないのは、ジョイも同じようで。

 

「ホント? んじゃ思い出したら教えてね」

「わかった、頑張ってみるとね。自分でもこのままじゃ気持ち悪いしな。……それじゃあちょっと早いけど、もう寝るばいね。ジョイの布団、客間に用意するからちょっと待っててくれな」


明日のために今日勝て、とばかりに賢がそう言って立ち上がると。

何だかジョイは不満そうな顔をする。 


「えー? せっかくひとりぼっちじゃないのに、別々に寝るの? 主……じゃなく、カナリはいっしょに寝てくれるのに」

「な、なんばいいよっと!? 僕はマスターじゃなかとねっ。てゆーかそんなこと言って俺の部屋を漁る気ね?」

「う、バレたか……」


さっきまでの不満そうな顔はどこへやら、そう言って舌を出すジョイに。

賢は半ば呆れつつ部屋を出たのだった。



(もしかして惜しいことをしたんじゃなかと? いやいや、僕には心に決めた人がっ!)


なんて密かに葛藤しながら……。




             (第99話につづく)







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