第99話、その音楽に歌がないからって悪いものとは限らない
―――次の日。
それでは早速学校に向かおうか。
そう思ったところで、ジョイがふと思い出したように口を開いた。
「あ、そうだケン、昨日別行動してて思ったんだけどさ、このカッコじゃちょっと学校にいづらいんだよね。制服とかあまってたりしない?」
「いや、いくらなんでも女の子の制服は……て、そうだ、ちょっと待つとね」
玄関前に立つ、昨日とは色違いの(ちなみにカーキ色)クラウンの服装をしたジョイに、賢は一旦ないよと言いかけてから思い直すようにそう言うと、そのままダッシュで階段を上がっていってしまう。
「……?」
どうする気なんだろう?
ジョイがそう思っていると。
僅かに感じるのは、おそらく賢のものであろうアジールの気配と、話し声。
「あれ、誰かいるのかな?」
一人暮らしだと言っていたはずなのにどういうことだろうと。
やっぱりあれだけ部屋に行くのを拒否していたのは、何かがあるんじゃないのかって、ジョイが半ば本気で思いかけていると。
しばらくして、賢が二段飛ばしで階段を降りてくる。
その手には、ハンガーにかけられたまごうことなき昨日見た若桜高校の制服(女子用)があった。
「どうしたの、それ? しかもさっき、誰かと話してなかった?」
「なんだ、聞こえてた? ちょっとね、今遠いとこにいる友人のばい。今使ってないから、借りていいかって聞いたら、この通りたい。サイズはまあ、あうんじゃなかとね」
賢はそう言って服とジョイを見比べながらそれをジョイに差し出す。
「か、借りたって、だからどうやって?」
「あれ? あ、そか。ジョイは僕の能力知らなかったんけ。それじゃ、見せたるけん。……どこでもるーぷぅ!」
本当は、『隠家範中』という名の能力だが。
賢がそう言っておどけつつ、指先で玄関先の壁に円を描くと。
そのまま壁が切り取られたかのように、ぽっかりと黒色の穴をのぞかせた。
「こうして小さな異世の入り口を作ったり、あらかじめこういう空間の裂け目を作った場所同士をつなぐ、そんな能力ばい。なかなか便利でしょ? 戦闘にはあまりむかんけどね」
「ふぅーん、そっか。確かにべんりだねー」
どこか聡いとこのあるジョイは、あまり向かないといいつつも。
その力の片鱗みたいなものを何となく感じ取っていたが。
本人が向かないと……イコールそういう使い方はしないと言っているのだからそうなのだろう。
ジョイはそう言って頷くと。
それじゃあ早速とばかりに、その場で服を脱ごうとして。
「こ、こらあっ。なんばしょっとねっ! 部屋の中で着替えてきなさい!」
「は、はーい」
何だかお母さんのような怒り方をする賢に気圧されるように、すごすごと客間に入っていくジョイ。
「……」
あんな調子で大丈夫なのか、そもそも着替えはちゃんとできるのか?
なんてことまで賢が考えていると、まもなくして着替えは終了したらしい。
初めに顔だけをちょこんとのぞかせ、タイミングを見計らうかのように、ジョイは部屋から出てくる。
「じゃ~ん。よかった、ぴったりだよ。どうかな?」
「……あ、うん。合格、うん。似合ってるばい。つーか、逆にさっきの服より目立ってるのは気のせいかな」
賢はどもりながらも視線をジョイにロックオンしたままで、しみじみとそう頷く。
アップにした金の髪は、毛先だけが墨で染めたような黒で、紺色のセーラーににじんで消えるように見えるのもあるだろうが、何しろその容姿が人ならざるものがごとく整っているのに、アクティブな部分も同時に消えないのだから……ジョイの着ている服がいかに強力な戦闘力を誇るシロモノであるのか、賢は分かりすぎるほどに実感してしまった。
「そう? ま、似合ってるならいいよね。それにこの服、思ったより動きやすいよ?ほら、くるくる~っと」
「だから、そういうのをやめなさいっての! くるくる禁止っ。目立ってしかたなかばい」
プリーツならではのふわりと浮かぶ感覚が気に入ったのか、調子に乗って回りだすジョイに、昨日今日ですっかりしつけママ属性が身についてしまった賢はぴしゃりとそう言い放つ。
「いいじゃん、けち~」
ジョイはぶうぶう言いながらも、それでも言えば言うことを聞いてくれるわけなのだから、身の程を弁えているというかなんというか、なんだかんだ言って世を渡りなれているんだろうなあと思わずにはいられない賢である。
きっと、こっちがハラハラドキドキするのを分かってやっているに違いない、と。
「それよりほら、行くばい。あんまりのんびりしていると遅刻するとよ」
「うん! それじゃ、行こっか」
それでも。
こういうのも悪くないよな、なんて思いながら、
賢はジョイと連れ立って、自宅を後にしたのだった……。
それから。
やはり何事もなく、普通の登校風景としか思えない時間を過ごして、二人は若桜高校へとやってきていた。
途中で他の生徒たちとも一緒になって、注目はされても実はジョイが全くの部外者であると気づかれていないようなのが、気になることといえば気になることではあったが……。
「なんだかんだでここまで来たけど、ジョイはこれからどうすると? いくらなんでもこのまま授業に出るわけにもいかないし」
「あ、うん。とりあえず、図書館で待機兼調べ物、かなあ。あのつるつるの人が何をしようとしているのか探りたいきもするけど、みつかったらやだし」
賢はジョイにそう言われ、良く考えてみたらリスクはほとんど変わっていないんじゃないかと気づいたが。
まあ図書館なら大丈夫なのかな、なんて賢は納得する。
今の姿ならあまり違和感はないし、いざとなったら隠れる場所も多いだろうと。
「そーんよか、んじゃこっちはこっちで普通に授業受けながら彼奴が何をしようとしているのか見極めることにするばい」
ようは、トランから何かリアクションを起こすまで待つ、ということになるのだが。
相手が何をしたいのか未だに分からない以上、そうするしか今のところ術がないのだから仕方がなかった。
「うん、わかった。それじゃ放課後にね」
「うん、今度は寝過ごさないように」
「はーい」
ジョイは、賢の釘刺す言葉に気のいい返事をして、自分が部外者であることに対して、まるで躊躇することなく校内へと入っていって。
「……よし、僕も行くばい」
文字通り戦場に向かう戦士のように、気合を入れなおし。
賢はそれに続いて校舎の中へと歩いていくのだった……。
☆ ☆ ☆
そして……時刻は正午。
それまで止まっていた時計が動き出すように、物語は動き出す。
それは、ジョイが図書館でカーヴ能力や『深花』についての調べものを一旦終え、
なんか食べようかなと、学食なる場所へと足を向けようとした時だった。
聴こえてくるのは、昨日聞いたものと同じ……管楽器を中心としたオーケストラ、『動く城のテーマ』。
「……っ?」
それが耳に入った瞬間。
心臓が波打ったかのような感覚に陥り、ジョイははっとなる。
(どういうこと? 昨日聞いた時は、ボクには何も影響がなかったのに……)
しかも、いつもなら何らかの危険が迫れば分かるのに、その感覚すらまるでなかったのだ。
(うかつだったぁ。これが流れる時間は分かってたんだから、このときだけは賢のそばにいなきゃいけなかったのに……)
どうして、それを思い至らなかったんだろうと、自己嫌悪に陥るジョイ。
それでも、一刻も早く賢の所に戻って、再びこの能力にかからないようにしないといけない。
「―――嵐にも咲き誇る花になれ……闇夜に舞う鳥であれ。
―――海原を巻き上げる風になれ……満ちて欠ける月であれ。
汝に与えしは森羅の法、花鳥風月……っ!」
そう思ってジョイは、自らの心のうちに侵食しようとしているその音を消そうと。歌声とともに自らの力を発動する。
……だが。
ドクンッ!!
「……え?」
その歌声はまるで届かない。
それどころかジョイの意識を飛ばすような勢いで、その音は強くなっていた。
ジョイはその事実に焦り恐慌してしまう。
森羅の法で打ち消せない邪なる音など、あるはずがないと。
絶対の自信があったからだ。
ジョイは、それがどうしても信じられなくて。
それでもこの音はなんなのかと、必死で頭を巡らせる。
「……まさか」
出てくる答えはそう多くなかった。
この音こそが究極にして随一のカーヴ、『パーフェクト・クライム』であるか。
あるいは、根本的からその考えが間違っていて。
その音がジョイにとって自分を害する邪なものではない、という可能性だ。
しかし。
そう考えている間に、その音はだんだんとフェードアウトし、その終わりを告げてしまう。
「……」
意識もあり、どこもおかしくないことを確認したジョイは。
結局なんだったのだろうと、顔を上げる。
すると、突然視界に入ったのは。
荒れ果てた手入れのまるでされていない庭園だった。
いや……突然現れたわけではない。
ジョイ自身が、吸い込まれるように、ここまでやってきたのだ。
―――ここをね、お花でいっぱいにしてほしいの、ジョイ。
―――あなたがここにいるのが分かるように。
―――あの人が、ここにいるのが分からないように。
「……っ!」
それは唐突だった。
ジョイに向かって語りかける、そんな声が聴こえてきたのは。
ジョイはそれにびくりと身体を震わせたが。
それと同時に、あの音がなんだったのかを、そこではっきりと理解する。
それは。
自分の願いを……叶えるものなのだと。
「……お花、たくさん。育てなきゃ………」
そして気づけば、ジョイは。
制服のまま地面にしゃがみこんで。
まるで誰かに踏み荒らされたかのような、土を優しく返し始めた。
そんな自分の行動を見つめる瞳は、変わらず澄んでいて。
ジョイが、あの音で正気を失ってしまっているわけではないのが分かる。
なぜならその音は、単に邪であると決め付けるものではなかったからだ。
ただただ純粋に他の全てのことは廃しても、一つの願いを叶えようと導くメロディ。
―――歌のない、残酷な音のカタマリ。
それが正しいのかそうでないのか。
かけた相手も、かけられた相手も分からないのかもしれなくて……。
そして同じ頃。
同じ音を、午前中の授業を終えた賢は耳にした。
「……ぐっ!?」
途端に内から聴こえるのは、大きな大きな自分の心臓の音。
それからすぐに、賢は自らの心中に侵入しようとする音を感じ。
立ち上がりかけた腰を自席に落とすと、胸を押さえて顔をしかめた。
(くそっ。わかってたはずばい、こうなることはっ)
本当ならばジョイに近くにいてもらい、対処なりをお願いすべきだったのだが。
それを分かっていて、賢にはできなかった。
ふと、強烈な視線を受けて、しかめ面のまま顔を上げれば。
そこには今まで授業をしていた梨顔トランがいる。
ねめつけるように、ひどく愚かなるものを見るように。
賢のことを教壇から見下ろしているのだ。
賢がジョイに側にいるように言わなかったのは、トランという存在がここにいるからに他ならない。
トランがジョイにことを知らないのは、もはや数少ないアドバンテージなのだ。
彼女をトランに近付かせるよりも、完全に心囚われる前に、ジョイのほうに向かおうと賢は考えていた。
後は、一度逃げ出そうとした賢を注視しているトランを、どう振り切るかだけだ。
賢は、負けない強い視線をトランに返しつつ、無理矢理にでも立ち上がる。
そしてその場から離れようと、一歩踏み出そうとして。
「どうしたのカナ? そんな怖いカオして。おトイレでもガマンしてたのかい?」
ギリギリまで授業しててゴメンネとばかりに気色悪く片目を瞑るトラン。
他の生徒たちもそれに気づき、そんな顔をする賢とトランを傍目から見やりながら、何だかそのちょっといつもと違う雰囲気のようなものにざわめく教室。
そして、聴こえている音は、それに紛れるように消えていって。
「……っ」
昨日とは違い、自分の身に何も起こっていない事実に気づき、賢は言葉を失う。
(何故だか意識もある……なんか変わったと?)
「ほらほら、いっていいわよん。ここでしちゃダメだからね」
半ば呆然として賢がざわめく周りを見渡していると、そんな賢に興味が失せたかのように、捨て台詞を残してトランはその場を去っていってしまった。
(いったい、なんばしょっとね、あいつは……)
賢はますます何が何だか分からなくなり。
それからクラスメイトに声をかけられるまで、全く動くことができなくて……。
(第100話につづく)
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