第9話、あかしあの少女と甘ったれクリーチャー


「おーい、美弥ー、美弥さーん? きくぞうさん、探さないと」


それから一向に動こうとしない美弥に、知己は仕方ないなといった感じで声をかける。

すると美弥ははっとなった後、


「あぅ。知己の抱き心地がさいこーでつい時間を忘れてしまうのだ」


なんて事を言ってきた。


「さいこーねえ? どんな風に?」


榛原も、ふざけ3割本気7割で抱きついてくる時、そんな事を言っていたような気がする。

いまいち意味を図りかねた知己は、気が付くとそう訊いていた。



「んと、うんと……あ、そう。こうしてると何かすごく安心して、落ち着くのだ」


まるで母親に抱かれているかのように。

そんな大げさな感じで身振り手振り、美弥は答える。


そう言えば、たまに『あおぞらの家』に帰ってくると、終始誰かがくっついていたことを、知己は思い出し納得した。

あれは、構って欲しいだけじゃなかったんだと。



「ふむ、自分じゃ分からないもんだよな。でも、それで美弥が喜ぶんなら別にいいか」


知己はそう言ってうむうむ頷き、さらに言葉を続ける。


「よし、悩みもすっかり解決した所で、きくぞうさんを探そう。どこかで腹空かして美弥のこと、待ってるかもしれないしな」


美弥はそれを聞くと、まるで今まで忘れていたかのように焦って言った。


「そうなのだ! きくぞうさん、いきなりいなくなったのだ。早く探さないとっ!」

「いきなり? なんでまた」

「分かんないのだ。いつもみたいに普通に散歩してて、始めはしっぽも全開で、機嫌良さそうだったのだ。それなのに突然、リールを外して走ってっちゃって」

「それは、妙だな」


美弥の、たどたどしい今までの顛末に、知己は首をひねってみせる。

きくぞうさんならリールを外すくらいはできそうだが、わざわざ美弥のもとを離れるとも思えない。


「で、追っかけたけど見つからなくて、途方に暮れて己にメールしたってわけか」

「う、うん……」


とりあえずそう言った知己に、美弥は俯いて頷く。

今までこんなことはなかったんだろう。

美弥自身に何の落ち度もないだろうに、自分のせいだと沈んでいる感じがした。



「分かった。己に任せろ、すぐに見つけてやっから。どうせいきなり飛び出したのだって、美人の雌犬見かけたからとか、そんなんだろうしな」


そんな暗くなりかけた雰囲気を払拭してやろうと知己はそう言うと。

美弥は可笑しそうに笑みをこぼした。


「何言ってるのだ知己ー。きくぞうさんは女の子だよ?」

「じゃあどうして『きくぞうさん』なんだよ」


知己がちょっと呆れてそう訊き返す。


「んと、友達が猫飼うことになって、どうせなら一緒に名前つけよって話になったのだ」

「ほう、んでその猫の名前は?」

「こゆーざさん」

「………なるほど」


しみじみと知己は頷く。

内心では犬猫の名前としてどうなのかと思ってはいたが。


しかし、厳密に言えばただの犬ではないし、もうそう呼ぶようになって久しいので、今更変えられるとも思ってなかったが。



「まあいいや。それじゃ己、この辺りを重点的に探してみるから……美弥はいったん家に戻っててくれるか?」

「え、何でなのだ?」


突然そんな事を言ってくる知己に対し、当然美弥は疑問の声をあげる。

その表情は、少し不安気だった。


「分担だよ、適材適所ってやつだ。ひょっとしたらきくぞうさん、家に帰ってくるかもしれないだろ?」

「で、でもっ」


なかなか譲らない美弥に、知己はさらに言葉を続ける。


「それに実はさ、己、昼から何も食ってないんだよ。待ってるついでに飯作っといてくれると助かるんだけどな」

「……そっか、分かったのだ。これから帰って作るのだっ」


任せとくのだと得意げな美弥に、知己は苦笑する。

本当は一緒に探したいけれど、そう言われたら仕方ない。

そんな風にも見えたからだ。



(ごめんな)


知己は心の中で謝った後、さらに明るく言った。


「んじゃ、頼むわ。もし、きくぞうさん帰ってたらメールくれよーっ」

「うん、了解なのだ」


頷くも、まだ後ろ髪引かれながら手を振って公園を出て行く美弥に、手を振り返して知己はただ見送る。



本当は片時も離れたくない気持ちは知己だって負けていない。

いつだって美弥のことを考えてしまうし、いないと心配になる。

それでも知己が家から離れたのは、これ以上カーヴ能力者達の戦いに、美弥を巻き込みたくなかったからに他ならない。



「さて……と」


そして知己は、両手を掲げ、自らのカーヴの力の波動……アジールを展開させる。



(カーヴ反応あり、近いな)


知己から滲むように溢れ広がる七色の靄のようなものは、知己のカーヴを具現化したものだ。


それぞれに与えられた固有の能力の発動の際や、所謂一般人を巻き込まないためのバトルフィールド……『異世』を生み出す際に展開させるものだが、

こうやって同じ能力者同士を探し出す事にも使える。

カーヴ能力者ならば、大抵のものが使いこなせる基本的なスキルだ。


「こっちか!」


知己は一声上げると、美弥が帰った方向とは真逆の方向へと、走り出していくのだった……。





             ※     ※     ※




それより少し前。

人里離れ、天然との監獄と化した崖上にあるお社で。

生成り色の長い長い髪の少女が一人、天然の窓から覗く月明かりの下、跪いていた。

その姿は眠っているようにも見えるが、まるで死んでしまっているかのように、呼吸一つしていない。


その理由は一つ。

彼女が今心を飛ばし、彷徨っていたからだ。


それが、『パーフェクト・クライム』の事件以来、カーヴが暴走し、他人と隔離された生活を送らざるをえなくなった少女の、唯一の希望だったのである。



彼女は人から『アサト』と呼ばれる名を持つ以外、何も自分のことを覚えていなかった。


例外があるとすれば、人の中に住くことのできるカーヴの力のみ。

その力は人の心に潜り込むことであり、人々がカーヴの力に目覚める遥か以前から、化生の類として扱われてきた力だった。


アサトはその力を使い、人の夢を見、他人の中に住む。


目的はたった一つ。

そうしていれば、いつか自分の大切な人に巡り会え、自分を取り戻すことができるかもしれないと思っていたからだ。


そうやって人の心に行き来していると、分かることがある。

それは人々の焦りだ。

誰もが心のどこかで世界が終末に向かっていることに気づいている、ということ。


しかし、そんな中でも決してあきらめずに生きている人たちがいる。

アサトはそんな人たちとともに在るのが好きだった。


そんなアサトには、今特に気にかけている人物が二人いる。

一人はおそらく、アサトと変わらない境遇の人物。

狭い所に閉じ込められて、出たくてもそれは他人を傷つけることにしかならない、でもここから出ることを諦めていないような……そんな人物。


もう一人はただ主の為だけに尽くし、その身を削り、主の願いを叶える事が全てだって考えている人物。


アサトは今、その人物と共にいた……。 




(何だろ、ここ。すごーく真っ暗)


その場所は、闇色の霧状の何かがたゆたう、真っ暗な世界だった。

ここが現実ではないことが、アサトにもなんとなく分かる。

アサトは呟くが、今そのアサトの視点になっている人物が答えることはない。

心に住むことで意思疎通ができないことはないのだが、それはあくまでもその人物がアサトの目に入る所にいる場合だった。

でも、その人物の呼吸がひどく乱れているのはアサトにも分かった。

それは何かに追われているかのような、そんな感じで。


と。

突如として目前に煌く、いくつもの白刃!



(あっ、危ないよっ)


アサトは思わず叫んで目を閉じる。

それでもその声は届く事はなく、痛みこそ感じなかったが。

アサトには、その人物が白刃にを受けて、膝をつくのが分かった。



「そっちから誘ってきた割にはたいした事ないんだねえ? もう終わりかな?」


すると、その時聴こえてきたのは背筋も凍るような嫌な声だった。


(誰っ?)


まるで、わざとやってるんじゃないかって思える不快なその声は、闇の中のどこからともなく響いてくる。


「ひょっとしてこの僕が誰かも知らないで誘ったていうのかな? これはこれは傑作だ。僕はオロチ。君達を滅ぼす為に生まれた『パーム』の六聖神の一人なんだよ?

そんな僕に、ファミリアぶぜいのキミが、勝てるとでも思っていたのかい?」


オロチと名乗った何者かは、凍えたままの声で、からかうようにそんな事を言ってくる。

言葉の一音一音に傷つけられるようで、アサトの不快感は更に増した。



「……聞かれもしないのに、ご自分の情報をベラベラと、その『パーム』とやらは、心底頭の悪い連中の集まりなのですね」


しかし、アサトの気分とは裏腹に。

アサトを宿すその人物は、少しばかり高圧的ながらも可憐さを隠し切れない……そんな声色で言葉を紡ぐ。



「何だって?」


どこからともなく降って来る声に、怒りの声が混じる。


(あわわっ、そんなこと言ったらまずいよ!)


アサトはおたおたと慌てるが、見ていることしかできないので、当然そんなアサトの焦りもその人物には伝わらない。


「二度言わないと分からないのですか? これだから声の優れない人は。あなた、しゃべらないほうがいいですよ」


次々と吐き出されるきつめの毒に、アサトは青くなる。

しかも何だか的を得ているような気がするから尚更だ。


「言ってくれるじゃないか。ファミリアのキミを苛めてやれば能力者本人をおびき寄せる餌になると思っていたけど。……分かった、キミから先に殺してあげるよ。せいぜい泣き叫んで、命乞いするがいいさ!」


何かを宣言するかのように、オロチは叫ぶ。


「芸がないですね。もっとキレのある脅し文句の一つも欲しいところですよ。泣き叫ばなければいけないのですか? それはまた、一体いつまでかかることやらです」


しかし、その人物はまったくもって余裕のセリフを、オロチと名乗った、未だ姿の見えない何者かに返す。


(うう、何でこの人、こんなにも余裕なの?)


オロチのアジールから派生した異世の中にいるのにも関わらず、まるで動じた様子が感じられない。

何か意図があるのか、初めから自分の事などどうでもいいと思っているのか。



「その余裕いつまで持つかな。さあ、切り刻め【針床輪霧】よッ!」


オロチがそう叫び、カーヴの力を解放する。

すると、静まり佇んでいた辺りに漂う闇色の霧から、いくつもの白刃が飛び出してきた。


(うぅっ)


刹那間合いの全包囲に出現したそれを、躱せるはずもなく。

まるで剣山のように白刃が突き立っていき、それに縫いとめたれたかのように、闇の霧に捕らえられてしまったのが分かる。


アサトは再び目を閉じたが、それでも当の人物は声一つ上げなかった。


「中々どうして、しぶといじゃないか」


それを見て感心したような声を発し、暗闇から姿を現したのは、

灰色の髪と瞳を持ち、見た目の年齢に似合わないニヤニヤ笑いを張り付かせた、一人の少年だった。

何故か、その笑顔だけ印象に残って、全体像が掴めない。

人見知りの気があるアサトにはまず友達になれなそうなタイプである。


「あら、おめおめと姿を現すなんて、一体どういう風の吹き回しでしょう?」


そう言うが、その声にはさっきまでの余裕がなくなってきている。

受けたダメージが堪えているのかどうなのかはアサトには分からなかったが、余裕がなくなっていることにオロチも気づいたらしい。


「なるほど。そういうことだったんだね? 健気だな君は。……自分はどうなってもいいから、能力者本人だけは逃がす、大方そんな所かな?」


思いついたことが嬉しいかのように、笑顔を歪ませ、オロチはそう言ってくる。



「……っ」


その時初めて、アサトにもその人物の激しい動揺が伝わってきた。


「ビンゴ、だよねぇ? 全然反撃してこないからそうだと思ったよ。……分かった、君はそこにいてくれていいよ。少し待ってるといい。君の主の亡骸を、今すぐ持ってきてあげるから」


それがまるで楽しい事であるかのような、オロチの声色。

何でそんな酷い事を言えるんだろうって、アサトは悲しくなってくる。


「お待ちなさい。無駄ですよ? 主はもう落ちています。それは無意味な行為だと思いますがね」


その声色から、オロチを必死で留めようとするのが伝わってくる。


(……っ)


アサトは今ほど何も出来ない自分がもどかしいと思った事はなかった。


「おやおや? 訊きもしないで無駄に情報を与えるのは、馬鹿のやることじゃなかったのかい?」

「………」


心底見下したような、冷え切った瞳と声。

アサトはその瞳に囚われてしまいそうになって怖くなった。


「それじゃあ君ははぐれものなんだね? 主の命もまっとうできない、駄目な奴なんだ?」

「………」


続けて卑下するように、オロチは言うが、その人物は何も答えない。


「まあ、いいや。いい事聞かせてもらったよ。それじゃ君の主は、『パーフェクト・クライム』の捧げ物として祭ってあげるよ。……ちょうど実験体も足りなくなってきてることだしね」


アサトには言っていることの半分も分からなかったが、その言葉には悪意がこもっているのは良く分かった。


「させませんっ」

「おっと、動かないほうがいいよ? 身が千切れてコマ切れになっても構わないって言うなら別だけど?」

「構うものですかっ!」

(駄目だよ、そんなことしたら、死んじゃうよ!)


アサトは叫ぶが、その人物はもがくのをやめようとしない。

それだけで傷つき、身体が引き裂かれる感覚をアサトは覚える。


「無駄だね、僕の【針床輪霧】は一度捕まったら抜けられない、たとえ君が死んでも、ね」


そしてそれは、まさに最後通告のような一言。



―――くっ、あの者を止めなければっ! 私は、私はどうなってもいいから!


不意にアサトにダイレクトに伝わってくる、心の叫び。

あまりに切な願いに、何も出来ない自分が悔しくて、涙がにじんだ。



(神さまっ、この人を、どうかこの人を、助けてあげてっ!)


できることは祈ることだけ。

アサトが、もう久しく信じる事のなかった神に祈るほど、その人物とシンクロしていた。



その互いが想う力は強く……。


そして天に届いた。




「とは言え……真っ暗だな」


どこからか聴こえる、アサトの知らない人物の声。


「おや、結局向こうからノコノコと来てくれちゃったみたいだね、殺されに」


オロチの異世に誰かが入り込んできたんだろう。

無論、異世に入ってこれるものが、ただの通行人であるはずがない。

アサトが今までついていた視線を外し、辺りを見回すと、そこには七色の光があった。


それはまるで、虹色に霞む太陽のような光。

どんどん大きくなって、たゆたう闇を照らしている。

それは、その人のアジールなのだろうか。

溢れ、留まる事を知らない光は、本当に神様が降りて来たのでないか、なんて思うほどで。



「……遅すぎるんですよ、この甘ったれクリーチャーめが」


いやに力のこもったその毒舌は。

しかし相手を完全に信頼しきって、安心して力の抜けたものだった。

この人は誰にでもこんな感じなのかなと、思ったのも束の間。



(あれっ……なんで?)


まるで空飛ぶ風船のように、その場から離れていってしまってる自分に気づくアサト。


(どうして? まだ、能力の切れる時間じゃっ)


光を見て、一緒に気を抜いたのがいけなかったのか。


抵抗する間もなく、アサトの意識はその場から離れていってしまったのだった……。



            (第10話につづく)







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