第10話、薔薇の剣と七色の逆鱗
―――同刻、『喜望』本社ビル地下一階。
「これはまた、ものすごいでやんすね……」
法久は、ワイヤー張りの防弾ガラスの向こうにある、一振りの長剣を見つめ、生唾を飲み込む。
柄と、刀身に施された灰色の薔薇が美しいその剣は、その防弾ガラスと、分厚い鋼鉄の扉の向こうで、カーヴの力の込められた封印の為の鎖でがんじがらめになっているにもかかわらず、まるで剣そのものが台風の根源であるかのように、風が渦を巻いていた。
その風はただの風ではなくて、鎌鼬のように切れ味が鋭いらしく、ガラスや鋼鉄の壁にぶつかって、剣戟のような音が響いている。
「オレが言うのも何だが、すごいだろう? これが今回の知己の得物、いや最後だろうな。少なくともオレが【武器創造】で創り出した中で、これ以上のものは存在しない」
「え? これってもしかして、黒姫さんが使っていた剣でやんすか!?」
驚いて榛原の方を伺う、何だか気遣う風の法久に、榛原は少しだけ苦笑を浮かべ、頷いて言った。
「そうだ。オレたちが組んでいたバンド、『コーデリア』のギタリストにして、最高の戦士だった黒姫瀬華(くろひめ・らいか)の忘れ形見さ。……いや、これは瀬華そのものだと言ってもいい」
榛原の悔恨にも似た言葉が法久に響く。
榛原が滅多に見せない声色だった。
―――黒姫瀬華。
榛原が組んでいたロックバンド、『コーデリア』のギタリストであり、『コーデリア』不動の人気を支えた少女である。
彼女の類まれなる美貌と彼女が創り出す音の世界が、『コーデリア』の全てだったと言っても過言ではなかった。
しかしそんな彼女は、件の『パーフェクト・クライム』の力に飲まれ……今はもうどこにもいない。
残ったのは、この剣だけだった。
「こんな大切なもの、使ってもいいでやんすか?」
「大切、だからさ。この剣を使いこなせるのは知己しかいないだろう? それに、少し前まではこんなことなかったんだが……見ての通り今あの剣は、能力者のカーヴが暴走しているのと同じ状態にある。まるで、瀬華が目を覚ましたみたいにな」
「そうでやんすか」
法久はただその剣を見つめ、相槌を打つ。
その止まない剣戟のような音は、その剣が泣いているようにも、苦しんでいるようにも見えた。
この剣が黒姫自身だと榛原が思っているのも、分かる気がする。
何故ならば、こんなカーヴの暴走は『パーフェクト・クライム』のあの力が放たれてから、幾度となく垣間見てきたものだったからだ。
そして、その暴走を止められるのはおそらく知己しかいない。
AAAクラスとして様々な場所へと幽閉されたものは、たいていが自らのカーヴの力を制御できずに暴走したものたちだ。
まるで『パーフェクト・クライム』が、自らの姿を森の中にある木の葉のごとく隠すかのようで。
たったそれだけの事で多くの人物の人生が変わったことを考えると。
それに対して何も出来ない自分の無力さに、法久はやりきれない思いを感じていた。
「それじゃあ、この剣はウェポンタイプの力じゃなくて、ファミリアタイプの力でやんすね」
しかしすぐにそんなくさくさした気分を切り替えて、法久はそんな事を言う。
切り替えと立ち直りの早さが、法久の長所なのだ。
カーヴの力は主に5つに分けられる。
一つ目は、ネイティアタイプ。
世界に在する、あらゆる自然現象を具現化させるものだ。
二つ目は、ウェポンタイプ。
カーヴ能力者が力を発動すると現れる、様々な種類と効果をもつ武器を創り出すもの。
三つ目はファミリアタイプ。
その名の通り、自らの力で創り出した使い魔を操る力だ。
四つ目はフィールドタイプ。
カーヴ発動によって生み出される、一般人に被害を与えないためのフィールド……『異世』などに仕掛けを置いたり、その場に踏み入ったものに何らかの影響を与えるもの。
そして、それらもどれにも属さない五つ目、レアロタイプに分けられる。
ウェポンタイプの力になくてファミリアタイプの力にあるもの、それは意志だ。
榛原は自身のカーヴ能力……ウェポンタイプの属する【武器創造】によって、彼女を死地に追いやったことを今でも悔やんでいる。
それでもこの剣がファミリアの力なら、この中に彼女がいるんじゃないかって思えるだろう。
今になって急に起きたカーヴの暴走は、この剣に宿っている彼女の意思が目覚めたからじゃないかって、私はここにいるってことを知らせる為の術だったんじゃないかって、法久はそう思いたかったのだ。
「ああ、そうだな。あの剣には魂が宿っている。だからこそ早く解放して、暴走を鎮めてやりたい」
榛原は法久の気遣いに感謝し、破顔してそう呟いて……。
「と、ところで例のブツは、ここにはないでやんすか?」
そこにはさっきまでの聡い表情で気遣いをくれた法久は、もういなかった。
榛原はちょっと苦笑してそれに答える。
「よし、それじゃあお次はお待ちかねの例のブツだぞ」
「うわーいっ、待ってましたでやんすーっ!」
ようやく待望のおもちゃを買ってもらえる、といった感じの法久に、榛原は少し呆れつつも、自分が創り出したものでこれだけ喜んでくれるのだから、まあいいかなと思っていて……。
※ ※ ※
(これは、仕事サボってこっちに来て正解だったか?)
知己は暗闇に包まれた異世に入り込んで、そう考える。
これが『パーム』の異世なのだろうか。
もしそうであるならば、そこにあるのは闇のみというこの世界は、ひょっとしたら『パーフェクト・クライム』を意識しているのかもしれない。
実は、全く関係のない能力者の異世でしたということも、ないことはないだろうが、すんなり知己を自らの領域に入れてくれた事を考えると、相手は『パーム』の能力者である可能性が高いと思っていて……。
「とは言え、真っ暗で何も見えないな」
(ははっ、ここに入ってくるのに得物も何もなし、カーヴの力もまるで感じられない。まあ、手始めに僕の……『パーム』の洗礼を受けるものとしては妥当かな)
ひとりごちて辺りを見回す知己を見て、闇に紛れたオロチはほくそ笑む。
さて、どういたぶってやろうか。
そんな風にオロチは考えていた。
―――闇に紛れ汚れた瞳には、その七色光が映らないことに気づくこともなく。
「っ、あれは!」
そして知己は何かに気づき、闇の中駆け出す。
その先には、力なく横たわる小さきもの。
「きくぞうさんっ!」
知己が傍まで駆け寄ると、その足が何かの水溜りをはじく。
それは、きくぞうさん……小さきパピヨン犬がから流れ出す、大量の血によるものだった。
全身が刀傷で刻まれ、見るも痛々しい。
いつもぴかぴかでつやつやしていた自慢の耳テールも血で濡れ、解れてしまっていた。
「ひでぇことしやがって……」
知己は呟き自分が濡れるのも構わずに、その小さな身体を両腕で抱え込んだ。
「くぅーん……」
すると、きくぞうさんはちょっとだけ煩わしそうに声をあげる。
「……そうか。きくぞうさん、美弥を守ってくれたんだな」
それだけで、知己はなんとなく悟ってしまった。
急に美弥の傍から離れるという、一見らしくもない行動も、やはり美弥のためだったんだと。
「おつかれ、きくぞうさん。もう大丈夫だからな」
「………」
きくぞうさんはそれに答える変わりに、安心しきった様子で眠りにつく。
きっと、本能で分かっているのだろう。
この世で一番安全な場所が、どこであるのかを……。
と、その時だった。
「残念だけど、大丈夫じゃないんだよなあ、これが」
何処からともなく、響く声。
「っ!」
そして、知己が誰何するよりも早く、闇の霧から生まれる無数の白刃。
「そらそら、もっと、もっとだ! 教えてくれっ、君の断末魔を! 『喜望』のクズ共にも、ボクら『パーム』にも聞こえるような叫びを、僕にくれよッ!!」
オロチは、息つく間もなく白刃を放ち、愉悦の表情を浮かべる。
これから聴けるであろう絶叫と、肉の切り刻まれる音が待ち遠しかった。
しかし。
「何……だって?」
声をあげたのは、オロチの方だった。
白刃はその全てが知己に届く前に、中空で静止していたのだ。
まるで、時が止まってしまったかのように。
(防御能力のカーヴか!? いつの間にっ)
オロチは驚きを隠せなかった。
カーヴの力を使った気配がなかったのはもちろん、知己は何もせずにただ突っ立っているだけだったからだ。
そして知己は何を思ったか、中空に浮かんだ白刃の一つをおもむろに掴み取る。
すると、その刃はまるでかそけき雪のように形を保てなくなって消えた。
さらに、それが合図であったかのように。
ガラガラと音を立て地面に零れ落ちる白刃。
「なっ……」
オロチは言葉を失った。
知己が何をしたのか全く分からなかったからだ。
背中からじわじわと、何か嫌なものがせり上がって来る。
それが何であるのか気付く前に、知己は口を開いた。
「この力、お前の持ち歌(能力)じゃないな? これじゃあ、カラオケ以下だな」
やけに落ち着いた、そんな声。
「言わせておけばっ!」
半ば図星ではあったが、それを認めたくなくて。
オロチはいきり立ち、再び力を解放する。
新たに出現した闇の霧が、虚空を舞う蛇のように知己を包んだ。
その霧の中には無数の白刃が、鱗のように潜んでいる。
霧の形状のままで防御壁を乗り越え、そのまままとわりついて絞め殺そうという算段だった。
だが、またしても。
闇の霧は、知己に触れるか触れないかの所で、爆ぜる音とともに四散した。
まるで連なる爆竹のように、全ての白刃が砕けていく……。
「『レトリーヴァ』のべーシストが使っていた能力か。つまり、お前は過去の、あるいは死者の能力を使役できるってことか?」
『レトリーヴァ』は、一昔前まであった、『哀慈(あいじ)』と呼ばれる派閥に属していた剛の者たちである。
先の戦いで『喜望』とは同盟関係にあり、知己も彼らと共闘した記憶があったのではっきりと覚えていたのだ。
もっとも、本当の使い手はこんなうまくない使い方はしていなかったが。
「ぐっ……」
何もかも見透かされているような気がして、オロチは言葉に詰まる。
確かに、一昔前の榛原がそうであったように、能力を持たないものや、失ったものに、過去に存在したカーヴ能力を植えつける力があったからこそ、パームは生まれた。
しかし、何よりも口惜しいのは、その力を持っているのはオロチ自身ではなく、パームのリーダーだと言う事だ。
オロチ自身は、この【針床輪霧】に選ばれ、パームの下で動いているにすぎない。
だから結果的に知己の言葉は、オロチのことが眼中に無いと言っているように聴こえたのだ。
オロチには、それが何よりも我慢ならなかった。
見下されることは、オロチが何よりも嫌うことだった。
「舐めるなああぁっ!」
気付くとオロチは叫び、闇から姿を現していた。
拳にカーヴの力を込め、白刃を潜ませた黒い霧を知己に向かって打ち下ろす!
しかし、渾身の力とカーヴをこめた割には、あっさりとした打撃音。
「何っ!?」
オロチの拳は、知己に届いてすらいなかった。
知己を覆う、見えない壁のようなものがそれを阻んだんだと理解した時には、オロチの拳を包んでいた闇の霧は、白刃ごと、散ることすらなく消滅していて。
「何故だっ!? この力は、無敵のはずっ」
「本家ならな。さっきも言ったろう? お前の力はカラオケ以下なんだよ、そんなんじゃ、己のアジールは破れない」
オロチには、知己の言った言葉が信じられなかった。
自分の領域……異世の中にいるのにも関わらず、ダメージを与えるどころか触れることすら出来ないなんて、あるはずがないと。
「さて、ようやく姿を現したか。聞かせてもらおう、『パーム』の目的は何だ? 本当に『パーフェクト・クライム』と関わりがあるのか?」
一見無感情に、そう聞いてくる知己。
オロチには、その真意が見えなかった。
「そんなこと訊かれて、このボクが答えるとでも思っているのかい?」
だから、そんな事する訳が無いと、オロチは鼻で笑う。
「いや、思ってないな」
知己はオロチの言葉を聞いて、同じように薄い笑みを貼り付けた。
ドクンッ!
その途端、場の空気が一変する。
「なっ……」
今度こそオロチは、正真正銘絶句した。
(今の今まで、カーヴの力を解放していなかったとでも言うのか!?)
そう思ってしまうほど、知己の身体からにじみ出るカーヴは強大なもので。
そこで初めてオロチにも、虹色にさんざめく知己のカーヴが見えた。
その巨大さは、オロチのカーヴが大海に浮かぶ木の葉に感じるほどだ。
びりびりと震える大気が、ダイレクトに恐怖を伝えてくる。
「『パーム』の尻尾を掴めるかなとも思ってたが……」
静かだった口ぶりが、じわじわと熱を帯びていき。
「大切なものを傷つけられて! 黙っていられるほど、出来た人間じゃないんだよっ!」
その一言で、知己のカーヴはさらに膨張した。
それは、カーヴの暴走どころの話ではない。
今のは、異世自体がその力に耐えられなくなって悲鳴を上げた音、なのだ。
「ひっ……」
オロチはただ声を漏らし、後退さる。
今までの行動を後悔しても飽き足りないくらいの純然たる恐怖が、オロチを襲う。
(これは……この力は、まるでっ)
オロチは、何かが終わってしまいそうな気がして、その先をどうしても考えることができなかった。
その時オロチが思い出したのは、『パーム』のリーダーの言葉。
―――『音茂知己だけには、絶対に手を出してはならない』
初めは、リーダー自らの獲物だから手を出すなと、そう言いたいのだと思っていた。
だから、そんなのは早い者勝ちで、関係ないと対して気にも留めていなかった。
でもそれは大きな間違いで。
「……じゃあな」
目の前のそれが、手を出してはいけないその人物だと、オロチが自覚した時。
オロチと言う名を持つカーヴ能力者の意識は、ぶつりと途切れた。
もう帰れないことに、気付くこともなく……。
(第11話につづく)
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