第110話、憧れていた授業中の手紙回し
何事もなければ久しぶりの家族との朝食だったのだが。
自由に会話し、動くことのできたのはやはり夢の間だけで。
精神のマチカが覚醒した時には既に、勝手に動く身体は目を覚まし朝食を食べ、準備を済ませて家を出ていた。
もう一度両親との会話を注視して、トランの能力が両親にも及んでいるのかどうかを確かめたかったのに、それもままならない。
覚醒したら授業を受けていた昨日よりはマシだろうが。
コウとヨシキを引き連れ、早くに学校へ向かったかと思えば、やることがケンの下駄箱への嫌がらせなのだから目も当てられない。
なんと言うか、画鋲を握り締めほくそ笑むその様は、ひどく幼く子供じみてならなかった。
そのまましめしめと教室に辿り着き、お付きの二人とともに今度は隣席の奈緒子に向かって延々とその幼稚さを披露する始末。
律儀にもそれに付き合ってくれながらも、一歩引いた様子のよく分かる奈緒子。
観察するに、彼女はもしかしたらトランの能力の影響下にないのかもしれない。
自由がきけば、その辺りも聞き出せるだろうか。
そう思いつつ、身体の自由を取り戻すその時を待ちに待って。
それが訪れたのは、タイミング良いのか悪いのか、トランが数学教師として教壇に立っている授業中だった。
まだ昼まで結構あったため油断していて。
急に身体の自由を取り戻す形となったマチカは。
都合二度目の、夢から覚めて落ちていく感覚に囚われる。
「……っ!」
響くのは、がたっと膝をぶつける音。
「どうした桜枝ぇ。寝てたんじゃないだろうなぁ?」
「……まさか。その計算式、間違ってますよ」
「おお、目ざといなぁ桜枝は」
すまんすまんと気持ちの篭らぬ口調で黒板消しを走らせ、指摘された部分を直していくトラン。
咄嗟の行動だったが、取り敢えず誤魔化すことはできたらしい。
自由も取り戻したマチカに気づいた様子もなく、どこかご機嫌な様子で授業を続けている。
(さて……ここからだけど)
予定より早く自由を取り戻せたので、時間に余裕がなくもない。
いろいろな理由つけて教室を抜けることも考えたが、こうなってくると少しでも疑われる要因を作るのは避けるべきだろう。
そう思い立ち、まずは座ったままでできることを開始する。
マチカは、黒板の文字を書き出すふりをしながら、ノートに何やら書き込んでいく。
それは、隣の席の奈緒子へのメッセージ。
授業の暇つぶしに手紙を回す。
かつてここにいた時にもよく見た光景。
当時はそれに参加することもなかった。
でも、やってみたいなぁと思っていたのは正直なところで。
マチカはまず掴みとばかりに一文でペンを置き、それを慎重かつさりげなくちぎってみせると。
視線は黒板に上げたまま、すっと隣席にそれを差し出す。
「……っ」
するとすぐに、隣で息をのむ気配。
『お久しぶりです、奈緒子さん。【喜望】所属、桜枝マチカです。今日は学校に任務でやってまいりました』
書かれた文章は、今の現状をそのまま記したもの。
普通ならば返答に困る文章だろう。
だが、マチカは知っている。
物語の創作や、心の中の想像を広げるような作業を、奈緒子がこの上なく愛していることを。
書かれた文章が、時間潰しの作り物だろうが事実だろうが、荒唐無稽であればあるほど、彼女がのってきてくれるだろうことを。
『任務、ですか? 詳しく内容を聞いても?』
案の定、帰ってきたのは。
ノートを破ることなくノートの隅っこに書かれた、そんな文字。
すかさずページをめくるその様に、この方が効率いいでしょうと言われている気がして。
マチカは視線を黒板に向けたまま、ノートの端を少しだけ奈緒子の方に寄せると、次なる文を書き出す。
こうなってしまえば、下手に繕うこともない。
奈緒子を見る限り可能性は薄いだろうが、仮に操られていたとしても言い訳がきくように、マチカは暇つぶしの作り話として話を進めることにした。
任務で、この若桜の町にやって来たのだが、敵の策略に嵌り、メンバー全員がこの学校に囚われ通わされていること。
その敵……能力者とは、目の前の数学教師であること。
普段は数学教師、梨顔トランに操られているが、お昼までの数時間は、何故か自分だけ自由に動けること。
その能力は、お昼の放送が発動条件であること。
そんなトランの目的の一つは、自分たちと同じように『アサト』と呼ばれる、この町に封じられたAAAの能力者を、この学校に通わせることらしい。
子供みたいにケンを虐めているけど、これは何故か身体が勝手にやってるだけで、自分の意志じゃない。
……奈緒子さんが、この物語の続きを書くとするなら、どうする?
少しばかり自身の言い訳じみたフォローもなくはなかったが。
マチカ最後にそうまとめて、改めて奈緒子のことを伺う。
すると奈緒子は、僅かばかり考える仕草をしたあと、すぐに文字を返してきた。
『おかしいと思ってたんですよね。二日前、急にマチカさん学校に復帰してきたのに、そのことについて何もおっしゃられなかったから。……あ、先生もそうですね。集会も何もなく、あの怖そうな人に変わったので不思議に思ってたんです』
折角作り話の体で締めたのに、どこまでのマイペースな奈緒子であったが。
それにマチカが何も書かず、肯定の仕草を取ると、再び首を傾げてみせた奈緒子は、少しだけ身を乗り出すようにしてシャーペンを取る。
『仮に、トラン先生の能力が物語……あるいは作られた舞台に入り込ませる能力だとしましょう。そうなると、マチカさんが賢君のことを虐めだしたのにも意味があるんじゃないでしょうか。『アサト』さんが主役だとすれば、賢君は主役に絡む重要な役割である可能性が高いです。だってそうじゃなくちゃ、あまりにも不自然ですよね。今日まで波風なく影のように過ごしていた賢君がいきなり注目されるなんて』
仮定の話だけど、こういった話作りに慣れているからなのか。
奈緒子の言葉は、マチカにその通りなのではと思わせるのには十分なものを持っていて。
故にマチカは息を呑む。
思わず、茫洋と黒板を見つめているケンのことを凝視してしまう。
『ケンが今日までここにいたって本当? だって彼は確かに私たちと一緒に任務でここに来たはずなのに』
『ええ。確かですよ。あまり喋らないし、いつも一人だし、暗いなぁとは思ってたんですけど……ふむ。この展開だと、どっちか偽物、敵のスパイですかね? ああ、でも最近はそう思わせておいて味方だって展開もありますけど』
続く奈緒子の文章に、マチカは言葉もない。
それは、思いも寄らない展開……だからじゃなかった。
目の前にいるケンと、例えば昨日夢で会ったケンが、一緒にここに来たケンが。
別人かもしれないことに、確信めいたものを覚えたからだ。
『……いろいろありがとう。助かったわ。また何かあったら話を聞くと思うけど、よろしくね』
衝撃は大きかったけれど、マチカはそれを態度に出さずに奈緒子にそんな言葉を送る。
『はい。了解ですよ〜』
そうして、ご機嫌な奈緒子の返事とともに。
授業終わりのチャイムが鳴ったのは、その瞬間で……。
(第111話につづく)
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