第374話、『もうひとりの自分』に、青空は見えない



所変わって、僅かに時は遡る。


世界に何か起こる事が、次第に全ての人間の共通認識になってきて。

だからなのか、いつもより車通りの多い混雑した道を。

一台の青い車が、走るとも言えぬスピードで進む事にやきもきしていた。



車の中には三人。

運転席には仁子が。助手席には黒姫の剣を抱え、一時も離さないでいる麻理が。

後部座席には二人の間から顔を出すようにしてちくまが、渋滞の景色を飽きる事なく堪能していた。



「駆け出そうとしてあなたたちの判断は正しかったのかもね~。こんなに道、混んでるとは思わなかったわ」

「電車やライブの人もすごかったけど、車ってこんなにいっぱいあるんだねぇ」

「完全に動かないのなら、諦めようもあるんでしょうけど」


ちくまはここに来ても楽しげに。

麻理はごくごく冷静に。

渋滞に嵌る事への苛立ちやストレスは、二人にとっては無縁のようだ。

むしろ、イライラしているのは余裕の無い仁子の方なのかもしれない。


心の中にどこか、さっさとカナリの屋敷まで二人を送って、自分の行きたい所に、なんて考えがあったからなのだろう。

仁子は、ハンドルを叩く素振りをした後、そんなイライラを逃がそうとラジオの丸いボタンを押す。



仁子は、『喜望』から全世界への宣告自体、ある事を知らなかったため、偶然以外の何物でもなかったのだが。

麻理やちくまからしてみれば、正にその放送があると知った上でのタイミングに見えただろう。

ラジオの渋滞情報のように繰り返してはいたのだろうが、三人がよく知っている、聞いた事のある声が聞こえてきたではないか。




『……単刀直入に申しましょう。世界に、この国を中心として、危機が迫っております。かつて【黒い太陽】と呼ばれ、我々の同胞たちを含めた皆様方に甚大な被害をもたらした未曾有の災害の再来であります。文字通り自然の天変地異であるそれを、防ごうと必死に努力してきましたが、現時点では解決策は見つかっておりません……』




「テル……」


思わずついてでた麻理の呟き。


「そう……ね。さすがにもう勝手にしろってわけにはいかないか」

「会長の声だ。なんかちょっと変わってるけど」


皮肉めいた仁子の言葉と、どこかズレたちくまの呟き。

どうやら榛原会長は地上に残り、一般の人たちへの避難のための指示放送を行っているらしい。


続くのは、そのための手段。

『もう一人の自分』についてであった。




『もう数ヶ月前ほどから、それを目にした方も多い事でしょう。【それ】は、我々が力を結集して作った、皆さんにも見えるカーヴの力です。ある一定の場所にいて、動かずにいるそれは、正しくも皆様方の最後の瞬間を示し、固めたものであります。この、【もう一人の自分】は、正しく皆様方のこれから起こる未来の一つを指し示しているのです……』



今説明している榛原自身がそれが出現した原因を探っていたはずであったが、それはブラフであったのだろうか。

となると、原因が分かっていた上で知己達に原因を探る指示を出していたと言う矛盾が生まれてしまう。

今となっては、それにもきっと理由があったのだろうが……。



「もう一人の自分かぁ。知己さん達が言ってたやつだよね。結局僕のは見つからなかったけど」

「そう言えば私のもなかったわね」

「……」


榛原自身や法久を始め、普段よくいる場所に在った、『もう一人の自分』。

恐らくちくまや麻理は、それがこの世界にないのは確かなのだろう。


黒い太陽……最期の一陽が顕現する時、二人はこの世界にいないのだ。

ならば、仁子自身はどうか。

仁子は、『もう一人の自分』がどこにいるのか、ある程度予想はついていた。


それは『LEMU』に見て夢で見た場所。

恐らく黒い太陽が落ちる……かなり近くにいるはずで。



「皆様方には、この能力の事象を逆手に取っていただきます。簡単に説明しますと、『もう一人の自分』がいる場所から、とにかく離れてください。可能な限り地下の避難施設は用意いたしましたが、まずは自分にしか見えない、自らの身代わりから離れていただく事が肝心です。最低でも、一キロメートル以上離れていただければ安全は増すでしょう。まだ時間の猶予はあります。皆様方、くれぐれも落ち着いて、焦らず移動をお願い致します……』



詳しい時刻。

タイムリミットは述べようもなかったが、少なくとも数日程は猶予があるようだ。


その後、各地の避難所についての説明がなされている。

それは、繰り返しの録画のようなものだったのだろう。


嘘は言っていないのだろうが、果たしてそれで人々の命が救われるのか。

曖昧で一方的なそれは、きっと素直にそう問われれば答える事はできないはずで。


結局のところ、多くの無関係な者達に被害が出るのだろう。

それが分かっているからこそ、皆不安で落ち着かないのだ。

現在の、この慢性的で緩慢な渋滞も、その事をよく表していて。



……と、その時だった。



「ん? 完全に止まっちゃったわね。事故かしら」


それまで緩慢ながらも止まる事のなかった車の群れが、まったくもって動かなくなってしまった。

仁子が口にした通り、前方にて何かがあったのだろうか。


これはやはり、選択ミスだったかもしれない。

今の状態を考えれば、この状況の予測はできたはず。

やっぱり自分が冷静でなかったのだと再度ひとりごち、後悔の念を抱いた時。



「カーヴの気配っ。誰かが能力使ってる!」

「これはまさか知己……さんが倒したはずじゃあ」

「麻理さん、知ってる人?」

「梨顔トラン。私たちの母校の先生で、パームの一員だったわ」

「……パームの頭による能力て蘇ったか。紅の能力か。どちらにしろわたしたちと無関係ってわけじゃなさそうね」



地下を、『LEMU』を脱出する時に大半の力を……トゥェルを失う形で逸したはずなのだが。

二人の言う通り連なり動かない車の向こうから、あからさまに存在を誇示するかのようなカーヴの力が伝わってくるのが分かる。



「無関係どころかわたし達を待ち伏せしてる……っ」


偶然ばったり遭遇したにしては、タイミングが良すぎる。

十中八九、狙いはこちらだろう。

しかも相手は、能力者と一般人の垣根などとうに無視しているようだ。

創れないのか、どうでもいいのか異世を顕現し、取り込み戦う気は今のところなさそうで。


このままでは、一般人が巻き込まれるのは間違いないだろう。

仁子は咄嗟に辺りを見回し、運良く空いていたコンビニ(このご時世でも然り営業していた)の駐車場に停め、有無を言わせず飛び出していく。



「わわ、早いっ。待ってくださーい」

「……っ」


それに、ちくまも麻理も慌ててついていって……。



              (第375話につづく)







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