第44話、あかつきの歌姫と、悠久の青の出会い
それから、何だかよく分からないままに通されたジョイは。
一階のエントランス、エレベーターホールの壁にある案内板を見て、エレベーターを使い下へ下へと下っていった。
ジョイを飲み込んで低い唸り声を上げながら沈んでいくエレベーターにも、ジョイは慣れたものである。
本人にも直接言ったこともあるが、ジョイは主であるカナリよりも人の生活に慣れている自信があった。
それは、動けないカナリがジョイをそう言う風になるように自由にさせてくれたおかげでもあったが。
そこまで考えて、ジョイは再び先ほどの拓哉の言葉を思い出し、知らず知らず涙ぐんだ。
それは、当の本人……カナリだけには絶対見せたくないものの一つ。
彼女の前では笑っていなくてはいけない。
一緒にいれて嬉しいと、命を与えてくれて嬉しいと。
それはまるで道化のようだった。
着ているクラウンの衣装が、否応なしにジョイにその事を連想させる。
「こんなんじゃダメだだ、しっかりしないと」
ジョイは袖口でぐっと涙を拭い、開いたドアから歩き出す。
どうして拓哉があんな問いかけをしてきたのかジョイには分からなかったけれど。
ジョイの答えは言った通りだった。
どれだけ人間らしくても、ジョイはファミリア。
自らを造りたもうた絶対の神には逆らえない。
ジョイは、カナリが死に場所を求めているのを知っていた。
生きていくための大切なものを失ってしまっていることを。
だから、自らの命と引き替えに世界が救われるのならば、喜んでカナリは命を投げ出すだろう。
カナリに、そのために自分を殺せと言われたら、ジョイは拒否する術をもたない。
だからといってジョイ自身の意志としては、そんなことしたくないに決まっている。
『深花』の話ではないが、誰かを犠牲にして……だなんてまっぴらごめんのだ。
だからこそ、ジョイは探し続ける。
世界が平和で、みんなが笑っていられるような、途方もなく可能性の低い何かを。
ジョイが降りたったのは地下10階。
人がいないのか辺りは暗く、蛍光緑の非常用電灯が、朱色のタイルに白い筋の入った、まるで霜降りのようなリノリウムの地面を仄かに照らしている……。
ジョイは取りあえず、丁字に別れた暗く長い廊下を右に折れ、ぺとぺとと足音をたてながら闇の中を進む。
「あっ、光がもれてる」
すると、しばらくして中の電灯の光がドアの隙間からもれているらしい、鉄扉の前までやってきた。
誰かいるのだろうか。
入るべきか入らざるべきか。
一旦保留にしておいて、それ以外の部屋を回ってみることにしたジョイだったが。
どこもしっかり鍵がかかっているか、入れても何もないがらんとした殺風景な部屋が広がるのみだった。
エレベーターを下る途中で強く感じたような、ジョイの力を封じようとする結界や、異世があるような場所もなかった。
「拓哉は入っていいって言ってたし、怒られないよね、きっと」
そんなわけで、ジョイは再び明かりのもれる部屋まで戻り、コンコンと鈍色の扉をノックする。
結構大きな音が響いたが、しかし返事はなかった。
「いないのかな? あれ、でもドアあいてるよ?」
ジョイがそのノブを回すと、抵抗なくドアはジョイのほうへと開いていく。
「お邪魔しまーすっと」
一応辺りを警戒しながら、おそるおそる部屋に入っていくが、やはり誰もいなかった。
どこにでもありそうな普通サイズのベッドに、壁を取り囲むようにして並んでいる本棚、紺色の使い古したソファに、仕事に使うタイプの机だろうか。
雑多な資料の他に大きなパソコンが一台、折りたたみ(ノート)パソコンが二台目に入る。
だが、それらよりもいっそうジョイの目を引いたのは、本棚のガラス窓に並ぶプラモデルたちと、本棚と本棚の間に立てかけられた何本ものギター……そしてソファに座った人が使うのだろう、ガラス製の透明なテーブルの上に置かれた食品らしき買い物袋だった。
「なんだか、間違って誰かのお部屋に来ちゃったみたい」
ジョイはそんな事を呟きながらミニチュアタイプの理路整然と並んだプラモデルを眺め、ギターの弦にちょんと触れて、音の広がりを楽しむ。
そして、何の食べ物が入ってるのかなと、それこそ好奇心旺盛な子供のようにジョイは買い物袋をのぞき込んだ。
「あっ、ごいんだのジュースがあるっ!」
そこにあるのはいくつものパックのジュースだった。
ジョイの大好きなりんごジュースである。
ファミリアのジョイは本来食べ物を摂る必要はないが、それはそれ。
人と同じ嗜好を持つジョイにとって好物は好物以外のなにものではなかった。
「たくさんあるし、一個くらいくれないかなー」
そして、ジョイがそう呟いたとき。
まるでそれに答えるかのように、どこからか声が響いてきた。
「どうぞ~♪ 抱き上げてー。もしも倒れてしまったら~♫」
「だ、だれっ!?」
それは、声と言うよりは鼻歌だった。
しかも、だんだんその声は近くなってる気がするのに、相手がどこにも見あたらない。
思わず、ここから逃げたしたくなるジョイだったが、生来の好奇心が足を鈍くさせていた。
「……会える日の、力になるのよ~おぉうお~おーお~おーお~!……って」
さらに、続く声とともに僅かに鈍い音を立ててスライドしていくベッド。
びくっとなったジョイは、そこから出てきた瓶底眼鏡……本物の法久とばっちり目が合ってしまった。
「……っ!?」
「だ、だだだれでやんすか君はっ? 何でこんなほの暗い地下にっ。かわゆい女の子がいるでやんすかっ? はっ、これは夢っ?おいらの願望でやんすかっ!?」
びっくりして、思わず悲鳴どころかありったけの紫電をまき散らしそうになったジョイだったが。
先んずるように法久がテンパった声を上げるからそれもままならない。
そのまま何事もなかったかのように秘密の11階の階段からはい上がり、スライドしていたベッドを直すと、法久はまた叫んだ。
「どこのかわいこちゃんでやんすかっ、ここは立ち入り禁止でやんすよっ! 大歓迎でやんすけどっ。てゆーか、どうやって入ったでやんすか? はっ、まさか榛原会長を倒してここへっ?」
じりっと法久は後退り、妙なポージングを取ってジョイに相対する。
どうやらアジールの展開=戦闘態勢に入ったらしい。
矢継ぎ早にいろいろまくし立てられて、ぽけっとしていたジョイは、そこでようやく慌てて口を挟んだ。
「ま、待って! ボクははいばらかいちょーなんて人倒してないよっ。ここには拓哉が入っていいっていうから、入ったんだよっ! その、ここの部屋には勝手に入ったけど、ノックしても返事がなかったから……」
ジョイのそんな言葉を、信じたかどうかは分からなかったが。
もともとそのつもりはなかった(実は戦闘タイプじゃない)ようで。
法久はアジールを展開するのを止め、小首をかしげる。
「……はて、拓哉? そんな人『喜望』にいたでやんすかねえ?」
「え? でも、拓哉は『喜望』の制服着てたよ? ファミリアだって言ってたけど」
キミのと同じように、と法久が着ているジャケットに視線をやりながらジョイは言う。
ただ、瓶底眼鏡はもちろん、室内であるのにもかかわらず、『Jk』と書かれた紅白の帽子を深くかぶっているので、そんな法久の表情はジョイには分からなかった。
口調に特徴があるぶん、やりにくいなあとひそかにジョイは思わずにはいられない。
「ああ、拓哉! 稲穂拓哉くんでやんすねっ、美里ちゃんのファミリアの。だとすると、他人のファミリアに見張りを任せて会長はどこに行っちゃったのでやんすかねえ? まさか、御自ら買出しにでも出てるのかな」
「買出し? 買い物袋ならそこにあるけど」
ジョイが指し示したほうを見ると、確かに近所のスーパーやらコンビニやらで買ったらしい買い物袋の山があった。
長期戦になるだろうということで、会長に買出しをお願いしていたから、その件で出ているのかと思いきやどうやら違うらしい。
「ふむ、サボりでやんすかねえ。要チェックでやんすよ。貴重な進言、どうもありがとうでやんす」
「いえいえー」
法久が律儀に頭を下げたので、同じようにペコリと頭を下げるジョイ。
だがすぐに法久は我に返ったように顔を上げた。
「って、だから君はどこの誰でやんすかっ! あやうくこのまま流され騙されるとこだったでやんすっ」
ジョイとしては騙しているつもりは毛頭ないのだが、それでもそう言われて、そういえば自己紹介してなかったと思い出す。
「あ、うん、はじめまして。ボクはね、ジョイだよ。これでも一応ファミリアなんだ」
「ご丁寧にどうもでやんす。おいらは青木島法久やんすよ。……って、ジョイ? 今、ジョイって言ったでやんすか?」
実の所、ジョイが最初に会長室に忍び込んだ時にニアミスしているので初対面ではないのだが、再び同じように頭を下げあったところで、法久ははっとなって顔を上げる。
「う、うん。そうだけど。ボクのこと知ってるの?」
「知ってるも何も、今の今までジョイちゃんのご主人様……カナリちゃんとお話してたとこでやんすよ。ジョイちゃんはどこにいるのかなって。こりゃ、どうやら他のみんなに聞いて見る必要はないみたいでやんすね~」
そんな法久の言葉に、今度はジョイがはっとなる番だった。
「カナリ……ご主人さまと会ったの? どうして、どういうことっ!」
ばっと縋り付くように、ジョイは法久に問いただす。
「まあ、簡単に言えば、カナリちゃんは自由になったのでやんすよ。一応、『喜望』のメンバーに入ってもらうことにはなったでやんすけど。もう、あの屋敷に留まることもない。つまりはそう言うことでやんす」
対する法久は、いきり立つジョイをなだめるように、事のあらましを話すことにしたのだった。
パームと言うカーヴ能力者の団体の一人に、カナリが操られていたこと。
もう外に出ても暴走しない、ゴッドリングと知己のこと。
それでも犠牲を出したことで、償いのためもあってカナリが『喜望』で働くことを決意したこと。
ジョイを探している、セン……ちくまの存在、それらの全てを。
(第45話につづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます