第90話、落日の世界へ、悟られぬよう変身だ
―――所変わって、若桜町。
山深くにひっそりと隠れるようにして建つ、一軒の神社兼家屋にて。
アサトは、いつものように町の人が置いていってくれる、郵便箱を二回りも三回りも大きくしたような食材入れの木蓋を開けると……そこには、一枚の手紙が入っていた。
「手紙は入ってるっ、もしかしてお返事……返ってきた?」
そう言って便箋を取る白袴の裾に半ば隠れた、白魚のように細く珠のように綺麗で小さな手は、既に喜びと不安、緊張のあまり少し震えている。
自分のお役目を果たす代わりに『喜望』のひとたちにお願いした、たった一つの望み。
果たしてちゃんと受け入れてもらえたのだろうか。
アサトがそう思いながら手紙を返すと、そこには『音茂知己』の名前があった。
「やたっ。聞いてくれたっ!」
アサトはその名を見ただけで既に確信していた。
自分の願いは、最後の願いはきっと叶うのだ、と。
アサトは興奮のあまり手紙を取り落としそうになりながら、それでも中の便箋を広げると。
果たしてそこには……アサトの願い通りの言葉が書かれていた。
それは。
役目をまっとうすることと引き換えに、山を下り……ずっと憧れていた学校に通うことである。
さらに、よくよく文面を追いつつ、再び食材入れを覗き込むと。
いつもの食材の包みとは別に、学校へ行くための道具……制服と靴、鞄が入っているのが分かった。
加えて、学校までの道のりの書かれたメモまであり、否が応にもアサトの気分を高潮させる。
「うぅ~。ほんとにほんとなんだね。涙出てきた。なんだかうれしいな……」
憧れていたヒーローは、やっぱり本物のヒーローだった。
アサトは制服の包みを胸に抱き、その感触に今度は喜びで打ち震える。
「梨顔先生ちゃんと伝えてくれたんだ。言ってみてよかったぁ」
定期的にお役目の日まで見回りに来る、山のふもとの学校で先生をしているというつるつる頭の男の人。
いまだに顔も雰囲気も怖くて、話をするのにも勇気がいったが。
その勇気を出して無理を言った甲斐があったわけだ。
お役目の変わりに見返りだなんて、許してくれないかもしれないと。
駄目でもともとではあったが。
気持ちを手紙にしたのがよかったのかもしれないとアサトは思う。
「山を降りたら先生にもお礼を言って、知己さんにもありがとう、言わないとね」
アサトはうきうきとそう呟き、本日の食材を持って家の中へと戻る。
純和風のアサト一人では少し広すぎるその家は、周りを360度崖に囲まれており、大きな赤い鳥居を抜けて通る長いつり橋以外に出入りできる道はない。
それはアサトを閉じ込めておく、天然の牢屋。
そこから出られる日が……ついに来たのだ。
今日は、嬉しくて眠れないかもしれない。
そんな事を思いながら、一直線に並んだ木張りの廊下を抜け、アサトは古いが広くきちんと整頓された台所に向かった。
「いつつの星の~♪ レストランにもー今夜は負けないパーティナイ~♪」
アサトはそんなふうに鼻歌を飛ばしつつも。
手際よく夕飯の支度をしていく。
もうすっかり慣れた日々の作業をこなしながら、思うのは自分のこと。
明日からしたいことだった。
アサトの願いが学校に行きたい、ということのわけは。
それが叶えば自分が忘れてしまった記憶を思い出すのだろうと確信していたからだ。
何故記憶を思い出すきっかけとなる場所が学校なのか。
アサトには、根拠はないが確信できる理由がある。
それは、結構頻繁に学校の、学校で過ごしている夢を見たからだった。
夢は過去にあった思い出を整理する際に起こるものらしいし、そもそも何で記憶がないのかもわかっていないので、そう考えるしかなかった、というのもあるだろう。
アサトはとにかく、自分が知りたかったのだ。
頑張って自分を思い出し、自分は何故ここにいるのか。
何故、心を飛ばし入り込むあの力を持っているのか。
何故自分が『深花』と呼ばれ、畏れられ、まつられているのかを……。
※ ※ ※
―――時は戻って。
知己と法久は、ローカル電車に乗って若桜町に入る……一つ前の駅にいた。
「今のところカーヴの力や異世の気配は感じないでやんすが、そろそろ準備をしてほうがいいかもしれないでやんすね」
線路伝いに……ずっと立ち止まっていればまだまだ汗のこぼれだしそうな太陽の下、 法久はメタリックブルーのボディを光らせつつ、暑苦しくも知己の肩口を陣取ってそんな事を言う。
「準備……そうだな。そろそろ瀬華姐さんに、チェンジするか」
お昼時の一日で一番暑い時分のためか、そう言って立ち寄ったベンチと砂場がある程度の小さな公園には、人の姿はなかった。
それでも、変身する時は人に見られてはいけないという不文律にならって。
辺りを一応確認しつつ、しゅいんと歯を鳴らして……知己は剣を引き抜く。
だが。
「あれ。己のままだぞ? もしかしてさっきの拓哉とのドンパチで充電切れたのか?」
知己がそう言うように、再び抜いた剣は僅かに風をまく、その剣の本当の力を知る前の姿をしていた。
これはもしかして、拓哉に勘違いで投じた一撃による影響ではないかと、知己は考える。
カーヴの能力はヴァリエーションとは別に、いわゆる属性(フォーム)というものが存在している。
それは例えばちくまのラヴィズが『炎』属性に類するファミリアであったり。
ネモ専用ダルルロボ(IN法久)が『金』属性に属するファミリアであるという風に。
それは当然ファミリアタイプだけに言えることではなく。
ウェポンやネイティア、フィールドタイプの能力にも当てはまるのだが。
瀬華の場合、人の技巧を自分のものにするという特殊(レアロ)な能力ゆえ、その属性に縛りはなかった。
無拍子、一踏足で陽炎のようにカナリをすり抜け、潜んでいた敵を屠った『夢影衝』という技は、幻惑と超常を象徴する『月』属性の技であり。
その後拓哉にしかけた『流樹萌牙』という技は、自然と癒しを象徴する『木』属性に類する技であったのだが。
その一撃は大地に穿たれれば神樹が芽吹くエネルギーを生む、と言われるほど凄まじい威力を込めた一撃である。
アジールがエネルギーであり、能力を発動するために必要なものならば……あの一撃だけで相当のアジールを消費しただろう。
それは、拓哉を迎え撃とうとするのならばそれだけの力が必要だったとも言えるが。
裏を返せば拓哉が『木』に類するファミリアだとわかっていたからこそ、容赦なく繰り出した、とも言えた。
だが、その大分横道にそれかけた知己の考えを、法久は首を振って否定した。
「まあ、あの技でそれなりに力を消費したのは確かだと思うでやんすが。変身、というか憑依できないのは、それが理由じゃないと思うでやんすよ。……言ったはずでやんす。鞘の付加効果の発動には、知己くんがそれを強く念じる必要があるって」
「そっか、なるほどな」
言われて初めてはたと気づいたことがある。
知己は最初に剣を抜いた時、それで何が起こるのか何となく予想がついていた。
そして、それを承知の上で瀬華に身体を預けてもいい。
そう思っていたのだと。
「……よしっ」
知己は改めて仕切り直すように剣を鞘に戻すと。
最初の時と同じ事を心に強く念じる。
―――自分が役立てることがあるのなら、力になりたい……と。
そして……。
再び知己が剣を抜くと、その刃はより一層青白く発光し。
その光に目が眩むままに……知己は自分の意識が。
深くたゆたう海の底へ沈むかのように薄れていくのを感じていた……。
(第91話につづく)
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