第91話、青薔薇のサムライガール、ブリキのぬいぐるみをゲットする



まるで青白く光るアジールが覆うカーテンのように、知己の姿を隠し。

辺りには冷たく鋭い氷のような風が巻いて。

 

それからしばらく間を置き、そんなアジールの奔流が去って。

知己が瀬華に変わったらしいことを確認すると、法久はおそるおそる声をかけた。



「えっと。黒姫さんでやんすか?」

「……」


しかし、そんな法久のことは視界に入っているはずなのだが、まるで幽鬼のように法久を凝視するばかりで返事はなかった。

まだ二度目だがこれはなかなか慣れそうにないなと、法久は思う。


佇まい、場の空気すら変わって。

目の前にいるのは知己ではないことは分かるのだが。

知己の身体に憑いているからなのか、もともとそうだったのか。

知己と瀬華が似ている気がするのだ。


耳まではっきり見える後ろにまとめたの茄紺の髪も、ミッドナイトブルーの鋭く深いその瞳も。

たとえて言うなら知己が色褪せたかのような、そんな感覚を受ける。

まあ、もともと瀬華が少女にしては背が高く男性的で、知己がどこか中性的な妖しさをもっているせいもあるだろうが。


恭子や榛原……特に榛原が知己に対して過剰とも取れるスキンシップをとるのは。

知己自身が瀬華の面影がある故なのだと、法久は少し理解した。


と、そんな事を考えながらみつめていたせいか。

ふとそんな瀬華の深青の瞳と目が合う。




「……」

「あのー……って、うひゃっ」


がしっ。

そしてしばらく膠着状態が続き、再び法久が声をかけると。

瀬華は何を思ったのか、おもむろにむんずとりんごでも掴み取るかのように、法久の頭を掴んだ。


「な、なな何でやんすかっ! 痛いでやんす、痛いでやんすっ!!」

「……おぉ」


みしみしっと中身まで飛び出しそうな予感のする音がして、法久はじたばたともがきながら抗議の声をあげると。


瀬華は法久が過剰な反応をしたのに驚いたのか、ぱっとその手を離す。

その隙にほうほうのていで法久が空に飛び上がると、瀬華はそれを目で追いながらぽつりと呟く。 


「……最近のぬいぐるみはよくできてるのね、法久。私もいくつか持っていたけれど、しゃべってくれなかったし、空も飛ばなかったわ」

「ぬ、ぬいぐるみじゃないでやんすっ、そもそも金属でできているのはぬいぐるみとは呼べないでやんすぅ! いいでやんすか、おいらは……うぼっ!?」


せめて可動式プラモと呼べ、と言わんばかりにいきり立つ法久だったが。

捕まらない範囲の中空に逃れていたはずなのに、いつの間にか瀬華は真後ろにいて、リュック用の背負うための紐を無造作につかまれ、法久はのけぞるように墜落していく自分を感じ……気づけば法久はすっかり瀬華の腕の中におさまっていた。



「剣の時から見ていたけど、紀久は私はこの姿のほうがいいと思うわ。こうして持ち運べるし」


これからの目的は分かっているのだろう。

そう言って口の端だけに笑みを浮かべると、ふわりと地に降り立ち、そのまま若桜町のほうへと歩き出す。

 


「そう言えば、こういう人でやんした、黒姫さんって……」


完全にホールドされ、抱えられた状態になって。

そこで始めて法久は彼女の人となりを思い出した。


知己とは好みの違いが多少あるだろうが、知己と同じでかわいいもの(自己判断)に目がなく。

それでいて野性的……たとえて言うなら食さぬくせにねずみをいたぶる猫のような……そんな女性だと。

しかも、どうやらダルルロボな法久は気に入られてしまったらしい。

 


「だ、だがっ。こ、これは……ムフフ」


やはりロボと乗組員は感覚を共有すべきである。

なんて益体もない事を考えつつ。

腕の中の柔らかくいい香りのする天国のような状況に、内心役得でやんすっ、とほくそ笑みながら、法久はここぞとばかりに言葉を続けた。



「あー、えっと。それででやんすね、黒姫さん? 一応どの程度状況を把握しているのか確認しておきたいのでやんすけど」

「あら、それなら心配はないわ。何をすべきか、全て知己の背で見ていたから。今は、知己のほうが私たちを見聞きしているようにね」


瀬華は、そう言っていつの間にか鞘に納まっていた剣を再度抜き放つ。



「え? そうなのでやんすか。それじゃ、この会話も知己くんに聞こえているってことでやんすか」


それは知らなかったでやんす、と剣に問いかけるように法久がそう言うと。

その瀬華の言葉通りまるで知己が答えるかのように、剣が風を捲いた。

 


「そうでやんすか。なら、話は早いでやんす。まず、言っておきたいというか、黒姫さんに聞いておきたいことがあるのでやんすよ」

「まあ、だいたい想像はつくけど……何?」


瀬華は流れるような動きで剣を収め、法久を急かす。

法久はしばらくの沈黙の後、意を決したように口を開いた。



「今、黒姫さんは言うなれば身体を得て、自由でやんすよね? だからこそ今のうちに聞いておきたいことがあるのでやんす。黒姫さんの心に正直なところ、このままこの身体を乗っ取ってしまおう、なんて気持ちがあるのかどうかを」


法久は極力明るくそう言うが。

それはすなわち、知己の存在を消し去るということと同義である。

それを聞いた瀬華は、一瞬激しく厳しい表情を見せた後、答える。



「待って。前提としておかしいじゃない? 私に自由なんてもうないの。もう私という個人は、死んでしまっているんだから。それに、当然分かってるだろうけど、私がこうしていられるのにも限りがあるわ。……あの、『時』の眷属のような剛の者と再び合いまみえるようなことがあれば、長くは持たないだろうし」

「それは、あくまで戦う道を選んだ場合、でやんしょ?」

「……何が言いたいの?」


逡巡する低い法久の言葉に、同じく瀬華も低い声で聞き返す。

そして法久は……決定的な一言を放った。

 


「戦うのではなく逃げる選択。例えば、その剣を折って壊してしまえば、魂が還ることも戻ることもできなくなる……でやんす」

「……」


暑さは残るが穏やかな陽気とは裏腹に、訪れるは昏い静寂。

だが、その静寂は。

瀬華の心底可笑しそうな笑い声で破られた。



「ふふふっ。そんなに脅かさないでよ。そんな方法、そもそも思いつきもしなかったってのに。わざわざ教えることで、これ以降私を試す気でいるんだろうけど。そんなのこっちから願い下げよ。もし、私が逃げを選べば法久、あなたは私を殺す。……つまりそう言うことでしょう?」

「……」


今度は、法久が黙り込む番だった。

瀬華は、そんな法久が何かを言う前に、今までの背中を見ながらの会話を嫌うように両手で法久を対面に向き直させ、言葉を続ける。



「ずっと見ていたけど、法久のあの能力……恐ろしいものよね。準備さえ怠らなければ、私が手を触れる前にあなたは私を殺せるはず。まあ、だからこうして離さないってのもあるかも。私は法久が、怖くてしかたがないんだから……」


初めから自由などない。

泡沫の時でも、こうしていられるのだから、せめてこの時を大事にしたい。


それを感じられるかのように。

言葉とは裏腹に、瀬華の表情には、不思議な笑みがあった。


別にそのつもりはなかったのだが、念のために釘を刺そうとしたら、信用してないのかといった風に拗ねて返される……そんな笑顔が。

 


「うっ、ドアップのスマイルは反則でやんすよ~。思わず惚れてしまいそうでやんす」

「惚れなさい、むしろ惚れて」


そのままぎゅむっと法久をさばおり……もとい抱きしめる瀬華に。

法久は目を回してまいったでやんす、まいったでやんすとギブアップ宣言をするしかなかった。

 


「はぁ。それこそ買いかぶりだと思うでやんすが。そこまで分かっていらっしゃるのなら、大丈夫でやんすね。後でいろいろ知己くんの突っ込みが激しそうでやんすけど……」


さっきも言ったが、当然この会話は知己の耳に入っているだろう。

法久自らの能力の瀬華が言うような危険性については、

ダンジョンで一番怖いトラップの話から講義しなきゃならんでやんすね……なんて思いつつ法久はそうぼやく。

 


「あ、そうだった。知己聞いてたのよね。自分で言ってて忘れてた。あー、大丈夫大丈夫。そんな物騒なことするわけないよ。この剣……姫だって、今や私のない命より大切なものだし、そもそも知己は私のかわいい弟分なんだから」

「そのセリフのほうが、よっぽど説得力がある気がするのは、やっぱり黒姫さんが知己くんと同類(なかま)だからでやんすかね」


瀬華にしてみれば、知己もかわいいものの部類に入るらしい。

アーティストとしてのキャリアは上でも、瀬華の方が年下なのだが。

その辺りはあまり気にしてはいないようで。

やはり余計な心配だったのかもと、法久はしみじみとそう呟く。



「それにね、一度死ぬといろいろ分かるのよ。私なんかよりもこの世界で知己のほうがどれほど大切かってことをね。それを知ってしまっている以上、むしろ私は今こうしていられることを感謝すべきなの。だから法久も、私を知己のもう一つの能力程度に考えてくれればいいわ」

「や、かと言っていきなりそこまで割り切るのもどうかと思うでやんすよ。まあ、黒姫さんの気持ち自体はそう言うことで理解したでやんすけど。ぶっちゃけ、会長や恭子さんに会いたくはならないでやんすか? 電話なら、すぐにできるでやんすけど」


自らは知己の力……道具の一つに過ぎないと言い切る瀬華に。

それはいくらなんでも、と思わずにはいられない法久である。


目の前の瀬華は、それ以前に榛原の願いの結晶なのだ。

むしろ法久が一番言いたかったのはそのことで。


流石にかつての仲間……深い関係のある仲間たちの名を告げられると、瀬華も言葉に詰まった。

 


「それは……会いたくないなんて言えるなら、そんな人は何でもない人よ。会いたいに決まってるじゃない。会って話がしたい。でも……どんなに会いたくたって、もう克葉に……かっちゃんには会えないでしょう? それは、私だって同じだったはずなの。だから、私だけそんなことが許されるのは、ズルイと思う」


コーデリアの4人目のメンバーである塩崎克葉は。

黒姫瀬華と同じく、『パーフェクト・クライム』の犠牲者の一人である。

確かに彼のことを思い尊ぶのならば、それは自然と導き出される答えなのかもしれなかった。

 


「ごめんなさいでやんす。そうでやんすね。でも……それを聞いたからには、おいらにも責任があるでやんすよ。せめて、黒姫さんがこれからどう生きたか、会長たちに伝えることを、許して欲しいでやんす」

「それくらいなら、かっちゃんも許してくれるかな」


そう呟くのを最後に。

瀬華は家屋と線路に挟まれた、細く味気ないアスファルトの道の途中で立ち止まり、いまだ美しく青い空を見上げる。

 

法久も、それにつられるように顔をあげて。

ただその場の陽の暑さを少しだけ忘れられるような。

涼しい風が吹いているのを感じていた……。



               (第92話につづく)

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