第221話、奈落の舌、絆を嘲笑う


流されるままついてきて分からないことだらけの美冬は。

慎之介の言葉に従うようにして、死の余韻が残る部屋を飛び出した。


一人残った勇。

哲の偽物のが手にした、かつて氷の根源が手にし、今は始祖が持っているはずの武器。

無数の紅達に混じった、美冬が従える眷属に匹敵するだろう『強さ』をその身に秘めたものたち。


気にならないと言えば嘘になる。

勇の援護をしなくてよかったのかと。

しかし、慎之介や王神がそうしなかったのにはちゃんと意味があるのだろう。

それは勇への信頼って言ってもいいのかもしれない。

そこに、美冬が口を挟む余地なんてあるはずもなくて。



慎之介達の後について向かったのは、上に昇る階段だった。

エレベーターを使って下まで降りたら、一階を通り越して地下まできてしまったらしく、緑色の光がそっちに伸びていたのだ。


便利なようでそうでもないんだねと慎之介に聞くと。

普通のエレベーターはちゃんと降りたいところで降りられるらしい。

その事だけでも、慎之介の言うところの敵の陣地……異世にいるってことを実感させられたわけだが。



「屋敷っていったらやっぱり、真澄さんや例の天使さんがいるって言う場所っすよね?」

「ああ、そう見て間違いないだろう。哲もおそらくそこにいるはずだ」


螺旋の階段を駆け上がりながら、王神と慎之介がそんなやり取りをしていた。

不意に現れ……途中参加の美冬には分からないことばかりだからと言うのもあるのだろうが。

どこかお互いに身が入ってないような、心ここにあらずといった感じで。


美冬はおかしな疎外感を覚える。

思い返してみれば、あの血のにおいのする地下室に降り立ってからずっと王神はそんな感じだった。

恐らく今も絶賛部外者な美冬には知りようもない何かがあの場所にあったのだろうが……。


「でもそれって、よく考えてみたらおかしくないっすか? 屋敷って誰にも入れない結界貼ってあったと思うんすけど、どうやって哲はその中に?」


真剣な眼差しの慎之介。

あのどうしようもなかった危機から助けられて以降、その仕草一つ一つがかっこよくてドキドキする美冬である。

あんまりにも輝いていて、逆に不安になるくらいに。



「阿海さんの件もあるし屋敷の中に入るための、なんらかの方法があるのかもしれないが……」


王神はそこまで言いかけて、言葉を止める。

そして、何で今まで気づかなかったのかと、我に返ったみたいに驚きの表情を浮かべた。


「言われてみれば、確かに不可解だな。結界……屋敷が独立した異世ならば、圏外と見なされて通信は不可能なはずなんだが」


そう言う視線の先にあるのは緑色の糸。

薄ぼんやりとした蛍光色のその光が、糸をつけられた相手と繋がっている証拠らしい。

糸をつけられた相手が異世にいるとその繋がりが途絶えてしまうのは、美冬が慎之介と愛の逃避行をした時に既に実証済みだって、渋く苦笑いされたのはついさっきのことで。



「……つまり、私たちの今いるところも、哲くん? がいるところも、おんなじ異世ってことなのかな?」


そのまま会話に参加しないのも何だかしゃくだったから、今まで二人が話していたことを美冬なりに判断してそんなことを言ってみる。


「それは、盲点だったっすね」


ようやく階段が終わって、『赤い月』と言うらしい建物の入り口から光が射している場所までやって来て。

美冬の言葉に振り返った慎之介が、相槌を打って頷いてくれる。



「確かにそうだが、だとするなら結界を貼ってまで天使の棲む屋敷を隔離したそもそもの意味がなくなってしまうぞ?」


だけど、同じように立ち止まって振り向いた王神は美冬の推理?に納得いかなかったのか、相変わらず渋い感じでそんなことを呟いた。


「う~ん。実は隔離なんかしてなかった、とか?」

「それはないっすよ。おれたち、屋敷の結界が侵入者を拒んだの、しっかりこの目で見たっすからね」


特に深い考えはなく、逆説的な台詞を口にしてみた美冬に、慎之介は首を振る。


「じゃあ、なんで王神さんの糸は光ってるの?」

「……ループだな。考えても無駄、か」


結局振り出しに戻ってしまった命題に身も蓋もないことを言い出す王神。

まぁ、美冬としては会話に参加できたので安心感はあったわけだが。


「そっすね、実際哲のとこにいけば分かるわけだし、急ぐっすよ。


と、美冬がそんなことを考えていると。

美冬の手を離した慎之介が一足先に光りさす入り口へと向かう。


途端、ぶり返す不安。

それは、つれない慎之介が手を離したせいもあったのだろうが。


ぶすくれてその後に続こうとして、美冬ははっとなった。

もの凄い勢いで、不安が肥大する。

美冬の目に入ったのは射し込む光……ホールの天井を照らすわずかな色違いの光。

フロアに射し込む陽光にはあり得ない角度。


「しんちゃん! ダメっ!!」


美冬は、得体の知れない恐怖につき動かされるようにして走り出す。


「ん? どうかしたっすか」


朗らかに振り向く慎之介。

その瞬間。

外の世界へと踏み出したの慎之介の足がぐにゃりと沈む。


「なんだっ!?」


後ろから聞こえる声。

次に異常に気づいたのは王神だった。


「えっ?」


それでようやく、慎之介が自分の身に起こった異変に気づいて。

美冬が慎之介の手を取ったのはその時で。


「うわっ!」

「きゃっ!?」


足を取られて体勢を崩した慎之介に引っ張られるように、美冬は眩しい外の世界に放り出された。


「なっ……!?」


慎之介の、恐怖の入り交じった声が近くで聞こえる。

そこは、美冬たちの想像していた外の世界じゃなかった。

目の前に広がるのは、出口など永遠にないかのようにずっとずっと続く渡り廊下だった。

陽光は、等間隔に延々と配置されている窓ガラスから射している。


ここは一体どこなのだろう?

美冬たちは塔の外に出たはずなのに。

一瞬だけ、そんな疑問が浮かんだけど。


そもそもそんなことを考えてる余裕なんてこれっぽっちもなかった。

時間差で、抗えない原始の恐怖が美冬にも襲ってくる。


それは、捕食される側としての恐怖だった。

もう、随分前に人間が忘我してしまったはずの恐怖。


……そこにあるはずの地面がない。

代わりにあるのは、大きなあざとだった。

赤いリノリウムの肌を持ったそいつは、赤い充血しきった……カンテラでできた目で、確かに美冬たちを捕らえていて。


部屋に差し込んでいたもう一つの光は、そいつの無機質なのに生々しいその目から発せられたものだったのだろう。

慎之介が踏んだのは、赤絨毯でできたそれの舌だった。


絨毯の舌は、何かに巻かれるように動き出し、美冬たちを引っ張り込もうとする。

暗い闇しか見えないそいつの口内に向かって。



「美冬さんっ!」


叫ぶ慎之介。

再び離そうとする手。


「やだっ!」


美冬は慎之介のしようとしていることをすぐさま察知し、全力で握り返す。


「慎之介、夏井さんっ!」

「……くっ、すまねっす王神さんっ!」


二人のそんなやりとりすらそっちのけで美冬はその手を離さないんだと。

ただそれだけに集中していたのに。


ぐるぐると回転しながら全身を打ちつけ、落下していく感覚。

それはだんだんテンポを増し、わやくちゃになって。


結局美冬は、手を離してしまった。

そんな自分がすごく情けなくて、悲しくて。


美冬は墜ちていく。

深い深い闇の底へと……。



             (第222話につづく)






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