第410話、壊れたんじゃないよ、待ちに待っていたことだから
「ご主人の犬として仕えることはあっても、誰かの主になったつもりは一度としてないのですけどね。……さて、どうしますか、知己? 世界を滅そうとする稀代の悪党がここにいますよ? 大事な大事な大事なご主人と離れている、千載一遇のチャンスです。なに憂いなく滅ぼしつくすには、今を置いてこの瞬間以外にはないかと思われますがね」
……それなのに。
何でもない雑談でもするみたいに。
きくぞうさんはそんなことを口にする。
―――瞬間。
知己の表情はくしゃりと歪んで。
涙も溢れんとする、そんな勢いであったが。
「……いやいやいやっ、ちょっと待ってくれ! なら、最初の時はどうなるんだっ。きくぞうさんは、オロチに……ナオに捕まっていたじゃないか! あれも、あれも嘘だったってのか!?」
オロチとなったナオと知己の、最初の邂逅。
今回のように美弥に呼ばれて。
知己の我が儘で仕事中にも関わらず実家へ帰り、急にいなくなったきくぞうさんが偶然敵の網にかかり、タイミングよく知己がその場に介入し事なきを得たわけだが。
知己は自分でそう叫ぶうちになんだか余計に猜疑心が募っていくのを自覚していた。
美弥も言っていたではないか。
きくぞうさんが、美弥の前から何も言わず、急にいなくなるなんてこと、今までなかったのに、と。
「その通りさ! あれは初めから知己、お前を誘い出すためのものだった。僕たちの存在を知らしめるために、お前はうってつけだったからなぁ。加えて誘い出すのも簡単ときてる。お前の行動原理は、基本お見通しだからな!」
有無を言わさず、まくしたてるように。
知己の疑念を肯定するナオ。
何だか余計にその芝居めいたお節介が信じられなくなって。
縋るように知己は、ナオをスルーしてきくぞうさんを見つめる。
「そう言う情けない顔もできるのですね。ご主人には見せたことのない貴重な顔じゃないですか。ご主人に思いきり自慢できそうです」
しかしきくぞうさんは。
知己とナオの、複雑に雁字搦めに絡んだやりとりなんて、何でもないことであるかのように。
やはり知己の想像通り……いや、かつてどこかで耳にしたことのある、そんならしいセリフを言い放つ。
故に知己は一瞬だけ、ここまでのことは知己を面白おかしく騙す冗談だったのだと、期待してしまったが。
「……もう、気づいてらっしゃるのでしょう? ご主人は当の昔に能力者でもないのにも関わらずわたくしがこうしてあなたの前にいる意味を」
まるで、必死に逸らそうとしている瞳を、顔ごと両手で掴んでこっちを見なさい、とでも言わんばかりに。
きくぞうさんは、初めの人形のような無機質さなどとっくの間にかなぐり捨て、笑みすら浮かべて知己にそう訴える。
でも、それでも。
事実と言わんばかりに突き付けられるそれを認めようとしない知己に。
「……改めて名乗りましょう。わたくしは七つの災厄の一つにして末子、『パーフェクト・クライム』のキクと申します。わたくしを、けっして害することのない、居心地のよい宿主を見つけたばかりの……言うならばこの世界の意志、そのものですわ」
きくぞうさんは。
ついにはそんなわからず屋な知己にも思い知らすようにと。
決定的な言葉を口にしたのだった……。
※ ※ ※
同じ赤でも、その一つ一つに。
あるいはずっと知己が拘っていた名前があるように。
夕陽の色ではなく、真の赤色に一歩一歩近づいていく世界。
そんな中の、古ぼけたパンダだけが特徴のあるひとつの公園。
闇のように黒いツインテールの少女と、その腕に抱えれれしビリジアンの瞳以外は、そんな少女に溶け込まんとする黒猫。
相対するのは、その昏き少女、キクの最後通告を目の当たりにして。
彼女が貴重であると嘯く、生まれて一番情けない表情を浮かべたままの知己である。
その心は。
心内は、きっと知己本人にしか分からないのだろう。
故にこそ、今この場での静寂に一番の緊張感に包まれていたのは。
この中でもっとも余裕があるように見える、キクなのかもしれなくて。
「……これも、分かっているとは思いますが。こうしてわたくしが存在するだけで、世界は徐々に終わりへと向かっています。ほら、空がこんなにも赤くなっていますよ。このひとの世界を救うために生まれたあなたがなすべきことがあるでしょう?」
さっさとしなさい、このウスノロマの甘ったれクリーチャーめが。
『いつもの』きくぞうさんなら、そう言葉を締めていたのかもしれない。
……そんな僅かばかりの、気のせいだと一笑に伏し、取るに取らない違和感。
きくぞうさんのことだからもしかしたら。
それに知己が気づくことすら手のひら……肉球の上だったのかもしれないが。
知己は確かにその瞬間。
今の今まで忘れていたはずの、彼女たちとの繰り返す記憶の一部を取り戻したのだ。
それは、前世の記憶と言えるもの。
知己ときくぞうさんと、そして美弥との。
脈々と続く、因縁、絆、妄執、想い、で。
―――いつも最後の一歩が踏み出せない自分の背中を押してくれたのは彼女であったと。
相対するきくぞうさんとナオが思わず怯むくらいの。
煌々とした瞳の輝きを取り戻して。
ついには知己が口を開く。
「…………ふむ。さながら魔王の前に立つ勇者、か。その粋や良し。跡形も残らず滅してくれよう! 望み通りにな!」
ドシィッ! と。
いつの時でも、いつの時からか知己が『切れて』しまった時の。
アジールが沸き立ち、能力が発動するその合図。
瞬間、七色……ではなく。
闇(あん)色の強い虹のオーラが具現化し、知己を……ナオやきくぞうさんを覆っていって。
新たに生まれるは、まるで勇者と魔王の最終決戦の舞台のごとき異世で。
「そっちが魔王なんかーい! ……って、つっこんだ方がよろしいのでしょうかね」
「いやいやっ、こんな時まで余裕綽々すぎでしょう! 来ますよ、問答無用でっ!」
結局、いつも通りのきくぞうさんの苦笑と。
何だかんだいって我に返ったナオをおいて。
どこかちぐはぐな。
だけど、幾度となく繰り返しているかのような。
魔王と勇者の最終決戦が始まろうとしていた……。
(第411話につづく)
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