第257話、ヒロインだけだよ、全員集合



運命の悪戯か、やっぱりそれは定められていたのか。

まゆの選んだ道……ここは暫定的に『小指』と呼んでおくとして。

ぽっかりと闇がのぞく、地面の抜けた場所。

その淵に、哲の姿があった。


「……」


結果的に追い詰められた事が分かったのか。

それ故に向けられる視線に、まゆは刺激しないようにと微笑で返す。


「……っ」


たじろぐ哲。

効果はばつぐんだ……なんて事を思いながら。

まゆは後ろ手に持った輪にカーヴの力を込める。

 

「……っ!」

「うそっ、気付いちゃうのっ!? ちょ、ちょっとストップ、今のなし!」


だけど哲は、まゆの行動に不審なものを覚えたのか、そんな言葉も聞かずに飛び出していた。

開かれた闇の向こうへと。

しかしそこには、低い柵のようなものが行く手を阻んでいる。

腰より少し上の高さの赤い柵を、軽い身ごなしで横っ飛びに飛び越える。


そこに、着地するべき地面は無かった。

終わりの見えない奈落のようにも見えて。


 

「ちょ、なんばしょっとね!」


危ない所で抱きつくように掴み、なんとか落下を防ぐ。


「放してっ、放してくださいっ!」


逆さになった哲は、それすら拒否するかのように暴れる。

ギリギリの所で身体を乗り出した危険な姿勢で。



「っ!」

「だから動かないでって!」


下は暗くて何も見えない。

もしそこから落ちたらと思うと、ぶるりと震えるまゆである。


しかし、そんなことを考えているうちに、バランスが崩れて。

そもそも非力なまゆが、長い間人を支えられるわけがなくて。


「……っ!」

「わあぁっ!?」


今度こそ落下。

屋敷の化け物に食われるのとは訳が違う、風を裂いた強行軍。

回りには、闇だけ。

そんな中、無意識にまゆは哲に身体を寄せる。

 


「ぐっ!?」

「にょわっ!?」


くぐもった何かの声。

踏まれた猫のようなまゆの声。

永遠に続いていると思われた闇は、すぐに開ける。


「私、は……生きて?」


私。そう呟いたのはまゆではなかった。


「思ったより深くなかったとね」


反射的に答えたまゆであったが。


「私は、一体いつまで……」

「……」


続くその呟きには、聞いてないフリ。

代わりに、周りを見渡す。

そこはさっき見たばかりの円形の袋小路であった。

だが、下にきたからなのか、僅かに明かりが弱い気がして。

 

なんとはなしにまゆは、そのまま天井を見上げる。

すると、微かに上階が見えた。


(あそこから落ちたとね)


上からだと深さが分からなかったせいか、結構遠く感じて。


「……っ」


と、哲が何かに気付いたらしく、不意に顔を寄せてきた。


「うわわっ、なんばしょっとね?」

「あなたはこの屋敷の……天使さんですか?」

「えと、ううむ。このうちの子と言う意味でならそうだと」

「なんで、なんで私を助けたんですか?」


まるでそれが悪いとでも言いたげな哲の言葉。

何だか死にたがりにも見えてしまうその様に、一瞬まゆは言葉を失うも。


「えっと、そのう。助けたっていうか、落ちたのが怖くて咄嗟にしがみついたっていうか」


咄嗟に動いてしまったのはそうだが、そんなまゆの言葉に嘘はなかったわけだが。

恐らく、哲が聞きたかったのは、そんな表面的なものではなかったようで。


「そう、ですか……結局、逃げられないってことなんだ」


どこか芒洋としている哲の、後半は小さかったけれどどこか諦観のこもった呟き。

地獄耳ならぬ天使耳でそれを拾ってしまい、いたたまれない気分でいると。


「助けてくださってありがとうございます、初対面の『私』なのに」

「え? いや、ああっと。たまたまだって」

 

切り替えるように、敢えて人称を変えて、哲は呟く。

その時のまゆは、何かを切り替えたらしい彼女のことよりも。

初対面だといわれたショックの方が大きかったりしたわけだが。

  

 

「そちらは、大丈夫ですか?」


言われ、まゆはおもむろに身体を動かしてみる。

とりたてて大きな怪我はなさそうだった。

落下の際に役立たずだった翼にも特に支障はない。


 

「そっか、下に何かあったんだ」


どうやらそれのおかげで無事だったらしい。

二人して下敷きにしていた。

 

それは、見知らぬ男の人の形をした、赤い異形であった。

ただ、信更安庭学園の『赤い月』に住む人が着る、制服を着ている。

気絶しているのか、目を覚ます気配はない。

それどころか、当たり所が悪かったのか、

どろどろと溶け出し、赤い粘土となって地面に消えてゆく。


「……」

「……」


なんとなく、二人して気まずく申し訳ない雰囲気。

 



「……っ」


ふと、自分たち以外の息をのむような声が聞こえて顔を上げた。


いつの間にか目の前にいたのは少女二人。

うさぎのような少女と、天使そのものな少女。

二人して、絶句している。


その背後には、哲がいたのと同じ赤い水槽の残骸がある。

視線が……特に可愛い可愛い天使の視線がまゆにとっては痛くて。

咄嗟に他人のふりをしたいくらいここに来たのを後悔して、まゆは二人から視線を逸らす。



「……天使さん」

「なにかな、哲くん」

「哲じゃないです、大矢塁です」


新たな登場人物から気配を消そうとしているまゆに返ってきたのはそんな言葉で。

 

「じゃあ、塁ちゃん、どうかしたと?」

「……ちょっと、まずい事態かもしれません」

「うん、実は僕もそう思ってたんだけどね」


それまで全力で無視していた……もう一つの後ろの気配に目をやる。

そこにいたのは、やはり『赤い月』の制服を着た二人の男のふりをした異形、紅。

とりあえず、知っている人物ではなかった。


初めは突然降ってきた闖入者に驚きとどまっているようであったが。

紅たちは何だか呪詛めいた言葉を交わしていて。


紅からの敵意が痛い。

その言葉が判らなくても察しがつく。

こんな人気のない場所で、というか小憎たらしい親父様のダンジョンの真っ只中で、まゆ達を取り囲む理由は、一つしかないだろう。



「リア以外にも天使が……って! キミたち、早く逃げるんだっ!」

「……」


健気にも叫ぶうさぎさん。

未だ硬直から解けていないようなもう一人の正真正銘本物な天使ちゃん。

まさしく死人が蘇ってきたかのような顔をしていて。

それが申し訳なくて、ちょっと泣けてくるまゆである。



「天使さんっ、どうしますかっ」

「とりあえずこちらとしては何もかもから逃げ出したい次第ですけどっ」

 

まだ混乱してる部分があるからなのかと思ったが。

律儀にそう聞いてくるのは、哲改め塁の性格なのだろう。


咄嗟に塁を後ろ手で、うさぎさんと天使ちゃんのほうへおいやろうとすると。

紅の一体が、何かを吐き出すように声上げて、人ならざるスピードで手を伸ばしてくる。 

  


「っ!」


見た目のせいでそんなに素早いとは思っていなかったのか。

あっさり右の手首を掴まれるまゆ。

そのまま引き寄せられでもしたらまずいだろう。


まゆは反射的に足を払い、同時に腕を引く。

その瞬間、掴んだ手を軸に紅の身体が回転する。


紅は、背中から赤い地面に落ちた。



「……凄いっ」


純粋な塁の呟き。

しかしすぐにまゆは首を振った。


「まだまだとねっ」


変わらない針のような敵意。

沸き上がるアジール。


 

「……ッ」


紅が人のように、左肩を押さえて立ち上がる。

目つきが変わった。

まるで、獰猛な魔物のような雰囲気で。

もしかすると、地上にも徘徊しているような、通常の個体ではないのかもしれない。


「……奥の方はっ」

「行き止まりみたいですね」

「まさに袋の鼠ってやつとね」

 

よって、これで逃げる選択肢はなくなった。

目の前の二体をなんとかしなければ。


白い輪はバクチ要素が高い。

失敗したら終わり。

黒の輪もこうなるとあまり役に立つとも思えない。

天使の持つ反則的力は……リュックから取り出す隙を与えてくれるかにかかっている。


あるいは、二体をひきつけられないか、考えてみる。

まゆとしては後ろの三人が逃げられればそれでいいのだが……紅たちが二体きりではないだろうからだ。

 

「……っ!」


早口で呪詛めいた言葉。

意味不明な言語が断絶を色濃くしていた。

その濃さは、男が放つアジールの色だ。

気付けばその手に、毒々しいナイフのようなものが握られている。

 

―――ウェポンカーヴ。


「まずいかも」


言って、黒の輪を取り出し、身構える。

と、その言葉に最初に反応したのは、後ろにいたうさぎさんだった。


髪もその肌も、目の赤色以外はすべてが白い。

整った目鼻立ちは、少年のようでもあったが。



「だ、だから早く逃げてっていったのに!」


強い口調が背中から飛んでくる。

その内容が逃げなかったことのせいで、状況を忘れて微苦笑がもれた。


「そんな暇なかったとねっ」

「そ、そうだけどっ。でも、そうだよ、それならわざわざ降ってこなくたって!」

「たまたまうっかりしてたんです」

「それは……どうなんだろう?」


適当に誤魔化すまゆに、思わず突っ込みを入れてしまう塁。



「もう、こうなったらみんなでなんとかしなくちゃっ」


そう言いつつも、アジールを高め懐から何やら赤い液体の入った瓶を取り出そうとするうさぎさん。


そんな中、天使ちゃんの方は未だ硬直から抜け切れていないようだった。

まゆと同じ色をしてるだろう、紫とも青ともつかない瞳。

おもちゃにみたいにちっちゃな、背中の翼。

まゆよりもちょっと色素の薄い、チョコレート色をしたボブの髪。

切りそろえられた前髪のせいで、精緻な人形のごとき美しさがある。

 

そう、人形だ。

彼女は……恵は、まゆのたった一人の妹は、まゆの言葉を待っている。

姉として、たった一人の姉としての、紛れもないまゆの言葉を。


―――恵ちゃん。

抗えぬ衝動のままに、まゆがそう口にしようとしたところで。




うさぎさんのアジールに反応したのか、紅たちのアジールも高まり、一体はナイフを、一体は銃のようなものを持っていた。


刹那辺りを支配するのは、底冷えのする冷気。

氷のような悪意が向けられる。


さっきまでとは違う。

まゆたちを甘く見ていない。

というか、カーヴ能力が暴走しているようにも見えた。

『赤い月』に捕らえられし人物を模しているのならば。

戦おうとすればそうなることは、必然なのだろうが。


まゆでさえ、彼らが『赤い月』に留まれるほどの能力者でないことはよく分かった。

元々なのか、なにかの力で無理やり力を引き出されているのか。

何より、そこにその人の意思めいたものがなさそうなのが、たちが悪かった。



「……」

「……」


無言で進行する事態が、手馴れた具合を思い知らせる。

と、背後からおそらく塁のものであろう、アジールが立ち昇る気配がしてきて。

 

まさに戦いの開始の火蓋が切って落とされようとする、その瞬間。



「すたん、ぐれいどるっ!」

 

不意に聞こえてきたのは、半分脱力、半分ついさっきの恐怖を覚える、そんな叫びだった。


掛け声とともに、正咲が降りてくる。

凄まじい紫電を撒き散らして、回転しながら。

 


「おまたせーっ」


すっくと立つ、正咲。

まゆに向かっていい笑顔。


「……」


呆気に取られて、口も聞けない。

紅二体は、正咲の足元で転げまわっていた。

だが、すぐに動力を失ったかのように、そのまま赤い粘土と化して地面に溶け消えた。


落下ではなく突撃。

ほとんど頭からの、雷つきダイレクトきりもみアタック。

その威力ときたら、まゆが触れたらきっと一瞬で消し炭で。



「いやぁ、まゆちゃんやばかったね。上から危機一髪シーンを目撃したときは、

どーしようかと思ったよ。ま、発見したのは怜亜ちゃんなんだけど」


正咲がそう言った瞬間、頭上の闇から声がする。

それは、怜亜と美冬のものだった。

光るだけの白い輪も、意外と役にたったらしい。

 


「大丈夫、どっかぶつけてなかと? 折ったりは? 打ち身は後から来るけど……」

「なんだぁ、心配してくれたんだ。これぐらいへいきへいき。ジョイ、さいきょーだから」

「でも」

「ちょ、ちょっと、顔こわいよぉ」


思わず詰め寄るまゆ。

何事もない高さとスピードじゃなかった。


「っ!」


だが、まゆにはそんな正咲を心配する余裕も与えられなかった。

背後に、新たなアジールの気配。

いつの間にか、元々赤い硝子の槽があったその裏の壁から、やはり『赤い月』の制服と言う名の囚人服を着た男……紅がにゅるりと這い出してくる。

気付いたのは、それが硝子の槽を壊したことの代償ということで。



その男の引き抜かれた手には、今度は小さな折り畳みのナイフがあった。

じゅうじゅうと熱がその刀身で騒いでいて、なんともいただけない。

意識と判断の隙間に滑り込む速さで、無音の殺意が、正咲の死角から閃く。



「ふぁーすと、さまーっ!!」

「ギッ!?」


だが、それよりも早く。

男の顎先へ、コマ落としめいた、旋回の遠心力のせたつま先が合わさる。

その影にジグザクの尻尾が見えたような気がしたのは、果たして現か幻か。

その場の狭さをものともせず、高くしなやかに上がる、正咲の足。


そのかかとは、肩よりも高かった。

思わず、見とれるまゆ。



刀のように残虐に。

技術や体系があるように見えないのに、人体のを破壊する最適解に基づいた動きだった。


本能に訴えるような……美しさ。

それは、今までのまゆの知る正咲にはなかったもので。



今までは出し惜しみをしていたのか。

まさか……気をつかってぶっていた、なんてことはないと思いたかったが。


それでも真面目に考えれば、まゆの知る正咲と、今の正咲ではやっぱり違うのだろう。

ジョイとして過酷な世界を生きて……更にかつての記憶を取り戻した、本来の正咲。


ぽこぽこ自然発生するその雷は、遅効性カーヴ能力の賜物なのだろう。

予め能力を発動しておき、使いたいときに簡単な呪い(フレーズ)でそれを発動する。

確か、正咲がみゃんぴょうに姿を変えるのも、それと同じ原理だったはずで。

 


結局、蹴りこんだ瞬間は見えず。

紅が赤い壁に叩きつけられそのままその赤に染まる姿だけで結果を知る。



「へいきでしょ?」


正咲は汗ひとつ浮かべていない。

そうでなければ生きていけない世界にいるのだと、見せ付けられたような気がして。


「す、すごい……」

「まぁね」


二度目の、素直すぎる塁の賞賛と返答。

複雑な安堵の息をつくのは、まゆと違ってそれでも正咲の一挙足が見えていたからなんだろう。



「まぁ、それはいいや。とにかくまずはここから逃げ出そう。ここにいると、ぽこぽこ敵さんが出てくるっぽい」


自身の力のなさを再確認して内心で凹みつつも、まゆがそう言うと。


そんなまゆよりもよっぽど使い慣れているらしい、黒い翼をはばたかせた怜亜と。

翼もないのに冷たい風をまとって美冬が降りてくるのが分かったから。


まゆたちは、いつの間にか連れ立って。

その場を駆け出していた。


まゆが、気まずい視線をようやく恵に向けたのも、まさにその瞬間で……。



             (第258話につづく)












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