第249話、うたかたの少女と稲田の神の約束
錯覚なのか実際そうだったのかは分からなかったが。
視界を惑わす螺旋の道。
今までと比べても随分と長いとカナリは感じた。
ずっと終わらないんじゃないかと、いらぬ不安をかき立てられる。
「ずっと話さずにいようと思っていたんですが……」
と、そんなカナリの不安に気づいたのか。
あるいはずっとそのタイミングを伺っていたのか。
ふいにタクヤが口を開いた。
それは、悩み悩み抜いて発せられたような呟き。
カナリはそれを直感で、今後の自分に作用するだろう重要なことだと理解し、頷いて先を促す。
「僕は、ここに来る前に、あなたのマスターにお会いしました」
「マスター……ジョイのことですよね」
口にして、カナリは思わず苦笑を漏らす。
自分がファミリアで、ジョイこそが自分を創り出した主であること。
今は充分すぎるくらい理解しているのに、かつての立場が逆転していた頃の癖が全く抜けていなかったからだ。
「直接話をして気づいたんですよ。どうしてジョイさんは自身のこれまで生きてきたその記憶を殺してまでファミリアでいようとしたのかってことを」
改めてそう言われると、それは確かに不可解ではあった。
今の今までは、ファミリアだと知った自分がショックを受けないようにって気を使ってくれていたものばかりだと思っていたけれど。
「端から考えれば単純なことだったんです。あの人は本当にファミリアとして生きるつもりだったんでしょう。カナリさん……あなたの代わりにファミリアとしての使命を果たすつもりだったんです」
それは、まるで直接そう本人から聞いたかのように断定的だった。
「ま、まさかっ、そんなっ」
その言葉の意味を理解すると同時にすさまじい恐怖と焦燥感がカナリを襲った。
代わりに使命を果たす。
ファミリアの使命などひとつしかない。
主の身代わりになること。
カナリにはタクヤの言葉が信じられなかった。
いや、信じたくなかったのかもしれない。
こんな風に躊躇うカナリを見越していたかのように、ジョイが初めから自分の身代わりをする気でいたことに。
「本末転倒、ですよね。それは、僕たちファミリアの存在意義すら失わせる行為だ。だけど彼女は本気だった。本気であなたのために泣いていたから……だから初めはその意を汲んでこの話はしないつもりでした」
つくりもののように蒼白して立ち尽くすカナリに、タクヤは言葉を止めない。
それは聞きたくないことだったけど。
その耳だけはタクヤの一言一言を聞き漏らさぬように研ぎすまされているのがカナリには分かった。
「だけど、この話をあなたにしないのはフェアじゃないって僕は気づいたんです。
だってそうでしょう? ファミリアである僕らだって大切な人を守りたいって気持ちがあるからこそ、こうしてここに存在してるんですから」
そう言うタクヤの言葉は何だか自分に言い聞かせているようにも思えて。
「あなたの使命が、『時の舟』によることであることは知っています。『時の舟』による時渡りの代価がファミリアでなくてもその方法さえ知っていれば代価足り得てしまうことも。代わりになろうとすればいくらでもなれるってことを」
それは、カナリ自身がファミリアであることを知った時、カナリだけの使命として知り得たことだった。
無論、その事は誰にも話していない。
何故その事をタクヤが知っているのか、カナリはどうしても気になった。
「どうしてその事を……?」
「それは僕自身が元々時の狭間に暮らす存在だったからです」
問いかけるカナリに、タクヤはこれってオフレコですからね、と自嘲気味に笑う。
だが、カナリにはタクヤの言葉の意味がいまいち理解できなかった。
それを察したタクヤが笑みを柔らかい苦笑に変えて言葉を続ける。
「前世ってやつの話ですよ。カナリさんにもあるはずです。この世界に生まれてくるそれより前のあるいは次の人生ってやつが。そもそも僕たちファミリアの使命はそんな彼らにこの世界を託すことにあるわけですからね。……まぁ、普通は前の人生なんか覚えてないのが普通ですけど」
『時の舟』なるものがあるのならば。
そう言った異世界があって異世界の住人がいるだろうことはカナリにも想像できたが。
「この世界を託す?」
それはカナリが初めて聞く言葉だった。
封印されていた『ファミリア』であることを思い出してから、自分の使命を知ったまではよかったが。
それによってどうやって世界が救われるのかは考えたこともなかった。
ただ使命を果たせば世界が救われると信じていた節さえあった。
いや、それはもしかしたら……自分の使命が無駄になってしまうかもしれないという可能性を考えたくなかったからなのかもしれない。
だからこそ、タクヤの言葉はカナリにとって重要な光明のように思えたけれど。
「……すみません。今のこそオフレコでした。聞かなかったことにしてくれません?」
「えっ、そんなぁ。気になるじゃないですか」
何だか気まずそうにそう言うからカナリは思わずだだをこねる言葉を返してしまった。
それに自分の主の面影を見て、少し恥ずかしくなるカナリ。
そう思うことが失礼だってそもそも気づいていないのがカナリらしいと言えばそうだったが。
「大丈夫ですよ心配しなくても。世界はちゃんと救われますから。僕らはけっして無駄にはなりません」
「……」
タクヤには、これからどうなるのかを知りたがったカナリの真意をちゃんと汲んでいてくれたらしい。
「嘘じゃありませんよ。何せ僕は過去と未来を覗き見するのが趣味なやつなんですから。ちゃんと未来を見てきたから言うんです」
何だか念を押すように、これもやっぱりオフレコですねと言って微笑む。
「そうですか……。わかりました、信じます。タクヤさんのこと」
その言葉が本当かどうかなんて、タクヤに悪いが二の次で。
自分が使命を果たしたらその先どうなるのか。
その事を考えもしなかったのは……ただ純粋にうまくいくことを信じていたからで。
それよりも気になったのは。
カナリにとって最悪な形でないがしろにしてしまうかもしれない主の……ジョイの『しようとしていること』だった。
「……ジョイは、わたしの代わりに『時の舟』の鍵になろうとしてる。タクヤさんの言いたかったことって、つまりはそう言うことですよね?」
「ええ。そう言うことです」
静かにそう呟くカナリに、タクヤはようやく本題に戻りましたね、とばかりに頷く。
「……冗談じゃない」
初めは掠れるような、そんな声だったが。
「冗談じゃないわ! そんなの絶対にゆるさない!」
気づけばカナリはそう叫んでいた。
自分に顔を見せようとしない理由。
初めはファミリアという事実を封印されていたことや、ちくまのこととかも含めて遠慮……あるいは罪悪感に苛まれていたからなのだと、そう思いこんでいた。
でも、違った。
そんな甘っちょろい理由じゃなかった。
ジョイは、カナリの知らぬうちにカナリがもっともしてもらいたくない悲しいことをしようとしている。
気づいた時はもう手遅れ。
そう思うだけで悲しみと怒りがブレンドされて膨れ上がってカナリの心を軋ませた。
「ジョイは、もう……?」
カナリは苛烈な衝動に突き動かされるままにタクヤを見上げた。
「いえ、鍵となるその方法も扉の在処も知らないようなことを言っていました。……おそらく、今は金箱病院にいるはずです。なんでもそこに鍵となることに成功した人物がいるらしくて、その手がかりを捜し求めているのでしょう」
「それじゃ、急いで止めに行かなきゃ!」
まだ手遅れじゃないということは朗報だった。
その衝動のままに駆け出そうとして、タクヤにそれを止められる。
「僕は鍵の生成方法も、扉の在処も予測がついています」
振り返ると、そこにはカナリが初めて見る、凍えた笑みを浮かべるタクヤがそこにいた。
カナリがそれを呆けたように見つめていると、タクヤは平坦なままに言葉を続ける。
「何故なら僕はそれらを使ったことがあるからです。何度も何度も。『時の舟』を使って時を渡りました。僕は……死ぬまで気づきませんでしたよ。それがどんなに残酷で罪深いことなのかを」
「……」
言葉の終わりは悔恨のため息。
それでカナリは理解した。
タクヤが今の今までそれを語ることを躊躇っていたその理由を。
必死にその痛んだ心を押し殺そうとしている、その理由を。
「僕はそれを……ジョイさんには話しませんでした。何故ならそれはカナリさん、あなたの使命だからです。ですから、これから僕が語ろうとする言葉を、聞くも聞かないもあなたの自由です。あなたが、あなたの意志で決めてほしい」
かけられた言葉は何だか平坦すぎる響きを持っていて。
そのくせカナリを強く縛りつける。
ようは、タクヤの語るその言葉は死神の鎌そのものなのだ。
タクヤがそれを掲げれば必ず誰かがその命を落とす。
そんな言葉を、誰が口にしたいだろう?
あの黒い翼の天使に無遠慮な言葉を向けられて激高していたタクヤの心情が手に取るように分かって。
「もうわたしの気持ちは決まってるよ」
そう、既にその鎌は首筋へと添えられてしまっている。
タクヤだって分かってるはずだ。
ジョイが鍵の生成方法、扉の在処を知るより早く行動を起こす必要があるからこそ、タクヤは今その言葉を口にしているのだと。
カナリが聞かぬはずはないと、タクヤが一番分かってるはずだった。
「教えて、タクヤさん。わたしはそれを知るために生きてきたんだから」
それでも口にしなければならないタクヤの辛さが誰よりも分かったから。
カナリはそう言って微笑む。
「その笑顔は反則じゃないですかね。美里さんがいなかったら惚れてますよ」
すると。
そんな言葉とは裏腹に。
タクヤは悲しげにそう頷くから。
カナリはそこで今まで極力考えないようにしていたことを思い出してしまっていた。
悠久に治ることのないその心の疼きを。
そうして。
これから歩むだろう道標を定めた二人は。
ようやくにしてぐねぐねとうねる歩きづらい通路を抜ける。
「さて、後はここから出られるかどうかなんですが」
明るい調子のタクヤの声。
そこに無理は感じられない。
「また同じ部屋があったら、破壊工作の方はお願いしますね?」
「なんか言い方にトゲがあるような気がしますけど、了解です」
無邪気にそう言うタクヤにカナリは苦笑で返して。
「んじゃ、一足お先に」
タクヤは笑顔で光の中に消えてゆく。
カナリも、同じようにしてその後に続いたけれど。
その瞬間まで、カナリは気づくことはなかった。
それがタクヤとの、さいごの会話だったということに……。
(第250話につづく)
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