第235話、狂い壊れているようでいて、その実それは虚実なのかもしれない



出口のない玄関。

その脇にある姿見を照らすみたいにぼぅと光っている。

それは、まゆの細い手をぎりぎり伸ばして届く位置で。



「配置にそこはかとなく陰謀を感じるんですけど……」


もっと自分を省みろといった嫌がらせだろうか。

言われてみればまじまじと自分を省みる機会なんてなかった気がすると。

まゆは黒い輪を抱え持って仕方なさ半分興味半分で鏡をのぞき込んだ。



「……ううむ。かわいーじゃねーかい。そりゃ怒るわ」


そこには、ちょっとばかり拗ねたような顔をした美少女で天使な女の子が立っている。

雪白の月のような、吸いついてしまいそうな肌と精密細緻なウェーブのかかったチョコ色の長い髪。

人には到底持ち得ないアメジストともターコイズともつかない二色の瞳と、肩から膝くらいまでありそうな……陽の香り纏わす純白の翼。


そして極めつけは、紫紺のスカーフが意味するところの、ばっちり決まったメイド服……もとい、パティシエの正装(フォーマル)。



「……っていうかかわいいってなんだよ。自分好きにもほどがあるっつの」


まゆは思わず苦笑して。

さっさと白い輪をフラフープ大にまで広げる。

そして、迷うことなく虹色に光る向こうへと飛び込んだ。


もしかしてこれって同じことの繰り返しの堂々巡りになるんじゃないのかなって気づいたのはその時だったが。

そんなまゆの考えは、全く予想だにしないかたちで裏切られることとなる。




「っとと。あれっ? な、なんで?」


今度は白い輪から弾き出されるように飛び出して。

よろけながらも気持ちだけは意気揚々と顔を上げると。

そこはまたしてもまゆが思っていたのと違う場所であった。


等間隔に並ぶ、明かりが灯らなくとも豪奢なシャンデリア。

これだけ長さと幅があるとすると一体どれだけの価値があるんだろうなとついぞ思ってしまう、一面の床に敷き詰められた足音も立たないくらいふかふかな深紅の絨毯。


白い輪のへばりついていた壁には、有名どころからレアモノまでよりどりみどりの絵画が掛けられている。

さっきの洞窟やもののけ広場のような、今さっき即興で創られただろう異世とはまさに異なる場所。



「ここって、うちのダンスホールじゃん」


まゆは、その場所を知っていた。

学園でも年に一度の舞踏会の会場として使われていた場所だ。


「……ううむ、なぜこんなとこに?」


その理由を考えようとして、壁に貼ってある白い輪を目にし、すぐその答えに行き着く。


それは単純なことだ。

誰かがまゆの能力である白い輪をここに貼ったのだ。

だとすると、マイ異世から出るための黒い輪は、ひとつではなかったということなのだろう。

当然まゆとしてはこんな所に貼った記憶なんかなかったから、そんなこと知りようもないわけで。



「なんばしょっとね。だれだか知らないけど……」


挨拶代わりにと手当たり次第に配って回ったのが裏目に出たらしい。

でもよくよく考えてみれば、これは進展かもしれなかった。


【隠家範中】のワープする力の弱みは、一度行ったことのある場所(輪っかを貼った場所)にしか行けない点にある。

あのまま何事もなく拠点と決めた屋敷に戻っても、危なくなったら逃げるのループにはまっていた可能性は高かった。



「……まぁ、いいか。ちょうどいいし、こっから探索しよ」


まゆは気持ちを切り替えて、歩みを進める。


とりあえず話の通じそうな誰かを捜そう。

この白い輪を貼った張本人が近くにいるかもしれない。


少なくともこれを持っているってことは知り合いだろうから、それは悪くない考えではあったのだが……。



「っ!?」


見てもいないのに、背中に感じるのは強烈なほどの視線。

びっくりして振り返れば……確かにそこに視線の主がいた。



「あれ? こんなとこにツカサがいる」

「……へぇ、この犬の名前を知ってるんだ?」


そりゃ知っているのきまっている。

恵……妹が特にのかわいがってた愛犬なのだから。

何故かまゆにはあんまり懐いてはくれなかったが……。



「って! ツカサがしゃべってる? しかもでかっ!?」


前言撤回。

よくよく見ればあれはツカサに似て非なるものだ。

どうやら、ずいぶん遠くにいたから普通サイズのゴールデンに見えただけらしい。

だっと駆けてくるその大きさは、ピレネー……白クマも目じゃない大きさだ。



「この犬を他の凡百から見分け、かつその名を知っているということは……本当にきみはまゆなのか?」


もったいぶったような、子供じみた声。

呼ばれたその名前、その呼び方。

それは紛れもなく、まゆのよく知っている懐かしい声で。



「こうちゃん……」


鳥海家のものたちは、お互いを本来あるべき呼び名で呼ぶことはない。

妹の恵ちは、それにずいぶん抵抗があるみたいで。

まゆだけでなく、はるさんやこうちゃんのことを名前で呼ぶことはしなかったが。



「あはははっ」


突然笑い出すツカサ……ではなく、こうちゃんの声。

こうちゃんがツカサになったのか。

ツカサがこうちゃんになったのかまゆにはよく分からなかったけれど。

こうちゃんのその笑い声は、震えるくらい空虚で壊れかけたものだった。



「何故だ? 何故その呼び名まで知ってる!?」

「……なぜって。そう呼んでねって言ったのこうちゃんじゃん」


さすがにまゆだってお父さんをちゃんづけは恥ずかしい。

だけどこうちゃんが大人気なく泣いて頼むから仕方なくそう呼んでるのに、

知ってるとは一体どんな了見ですかって感じで。



「嘘だっ、だまされないぞっ! まゆは死んだ、死んじゃったんだ! 何だよ、お前はっ、いったい誰だよっ!!」


そこにはもう、理知的なものはかけらもなく。

いきなりそんな最終回直前で明かされても良さそうな真実を叫ばれて、戸惑いを隠せないまゆ。

なんと言えばいいのか、すさまじい勢いで死亡フラグが立った感覚。



「まゆだよ。こうちゃんの目の前にいる僕は、間違いなくあなたの娘です。……こうちゃんがこうやって人様に迷惑ばかり掛けるから! 化けて出てきたの。それじゃ、不服、お父様?」


しょうがないからまゆは宣言する。

高慢ちきに、高らかと。

ダンスホール一帯に届けとばかりに。


「嘘だっ……どうせお前は柳一くんのつくった偽物だろう! 柳一くんの敵でも討ちにきたのか? 恵は誰にも渡さない。ぼくの邪魔はぜったいにさせない!」


だけど、昔から一つのことに固執すると周りが見えなくなるところは相変わらずなのか、全く聞く耳を持ってくれそうになかった。

こうちゃん……巨大なお化けツカサは、色々と考える暇すらまゆに与えてはくれない。


今まで確かにそこにあった剛司の気配が、消えていくのが分かって。

目前のお化けツカサが、さながら獲物を前にした捕食動物のように、その大根よりも大きい牙をむき出しにしてきてくる。



その時まゆがふと思い出したのは。

遠足について来た人懐っこい野良犬が途中で立ち寄った神社のニワトリをいきなり食べてしまった……そんな光景。

この場合、ニワトリの運命を辿るかもしれないのはまゆなのだろう。



翼が震える。

冗談じゃない。

すぐにも逃げるなりなんなりしなければ。


でもどうすればいい?

能力を使って逃げるのか?

よく考えたら、隠れ家だってここと同じ異世なのだ。


目の前のお化けツカサはいかにも鼻が利きそうだし、それに感づかれてついてこられて壊されたりしたら目も当てられない。


さっきはうまくいったからよかったが。

できればそれは最終手段にしたいまゆがそこにいて……。



            (第236話につづく)






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