第363話、この悲しみをどうすればいいか分からず、愛を捨て自身の正義を貫かんとする



終末が近づいてきていること。

それが、『パーフェクト・クライム』と呼ばれる、たった一人のカーヴ能力者によってなされようとしていること。


2度目であるそれは、その性質上……同じく異なる力を持つ能力者達ならば、気づく者が多かっただろう。

同時に、そんな二度目がどうしようもなく凝縮され、力を溜められ、今にも爆発寸前であることも。



だが、能力を持たない一般人達は違った。

災厄と呼ばれるものとして共通している事ではあるのだが、地球が送り込みし使徒であるそれらは、滅ぼすべき相手、人間に気づかれないように少しずつ世界を変容していくからだ。


よって、人々は気づかない。

青空が夕空になるはずのそれが、少しずつ赤みを増してきている事に。



そんな中、そのような罪なき人々を護るためにと、一度目の太陽が落ちてからずっと行動してきた団体があった。


『青空』の名を冠する彼らは、その誕生の目的こそ違えど、使命もって今の今まで終末の時のために何をすべきか考えてきた。

それは少なからず、終末を誘う結果が、自分達に原因があったと痛感しており、その罪滅ぼし的な意味もあったからだ。



二度目の黒い太陽。

おそらく、三度めはないだろう。

何もしなければ間違いなく、人の社会は消滅するだろうからだ。

それどころか本末転倒で、それを生み出した地球ですらただではすまないかもしれない。


それでもせめて、何かしなければ。

そんな罪悪感を洗う形で、なされたのがドッペルゲンガー……通称『もう一人の自分』であった。




知己達が未来を示すものであると看破した、一般のものにも見えるそれは。

その通り未来を示すものであった。

正確に言えば、太陽に焼かれて残った影送りだと言える。


最後の黒い太陽によって焼かれ滅せられ、そこに残ったものなのだ。

またがそれぞれの人々の、死の瞬間を切り取り留めたものと言うべきだろうか。



それは、『青空』のもの達、数十名全ての能力を犠牲にし、ひとつにしてできた究極のフィールド・カーヴである。


『+ナーディック』の更井寿一の能力をもとに創られたその名は、【愛代機会】。

能力を創りだす事のできた稀代の能力者が、自身の力をほぼ失ってまで創り出し、初めて形になったそれは、言うなれば運命の回避である。



一般人にも見えるそれ、滅せられる瞬間、佇むそれ。

逆説として、本人がその場から離れれば運命を回避できるのだ。


つまり、予知のパラドックスとも言える『もう一人の自分』がどこにあって、それが自分の身代わりになってくれるものであると知らなくては意味がない、と言う事で。



何も知らない、一般の人がそれを知るのにはどうするべきか。

結果、公共の電波を使って、然るべき者が世界に一連の事を語る事にした。


堅苦しく、非常事態宣言を出すのも必要だろうが、『もう一人の自分』の事がしっかりと伝わるように、テレビ放映つきのライブをすることになったのだ。

出演者は、能力者でなければ実際ステージに立つアイドルになるはずであった『青空』のもの達。


生放送で、ミュージックビデオで、音楽番組で。

繰り返し、期待の新人アイドルのデビュー曲のように流されたその歌のタイトルは、『比翼の羽根』。

撮影場所は、かつて知己達もライブをした桜咲町の海の見えるスタジアム。



30人ほどの若い少年少女たちが、本番前のリハーサル……ステージを一杯使って円形の陣を作り、ダンスを反芻している。

人一人の間が十二分に空いているのは、そこに彼ら一人一人と全く同じ『もう一人の自分』がポジションにつくからだ。


……というのはテレビ上の建前で、実際はCGであり、彼らの『もう一人の自分』は他にいるのだが。

要は『もう一人の自分』について、その存在意義が伝わればいいのだろう。



お堅い報道のごとく事実を伝えるのはもちろんであるが、視覚的に受け入れやすく、重く考えないようにとこのステージを用意したのが第一の理由で。

第二に、彼らの本来の使命を悟られないようにするカモフラージュ的意味合いがあり、三つ目としてこれを企画した大人たちの親心があった。

『青空』のものたちは、その誰もが少なからず音楽、芸術の才能を見出された子供たちである。

たとえこれからの行く末が決まっているとしても、一度は目指していたステージに立たせてあげたい……そんな親心が。





「……」


報道的な重々しいコメントを控え、今回のライブの企画者……『喜望』の長である榛原照夫(はいばら・てるお)は、深く重いため息を漏らしている。


両手を組み、そこに顎を置くポーズ。

残響のごとくぶれ、重なっている。

それはもちろん、榛原と彼自身の『もう一人の自分』がそこにいるからだ。



彼の『もう一人の自分』がそこにいる理由は単純。

黒き太陽が落とされるその瞬間まで、彼がその情報を一般の人に伝え続ける事にしたからだ。


比較的高い所にあるこの場所は、影送りのごとき『もう一人の自分』が示す通り、ただではすまないのだろう。


それでも、榛原がここを離れないのはこれから訪れる終末を止められなかった自責によるところが大きい。

自らが『もう一人の自分』の企画者の一人であるのにも関わらず、白を切り通していた罪悪感も確かにあったが。

しかしそう思いつつも榛原は自身の行動の結果に後悔はなかった。


一昔前の、武器に限らず様々なものを創造し驕っていた頃なら違っていたのか。



(考えても仕方のない事……か)


ただ今は、世界の安寧より愛を取った自分が嬉しく、誇らしくもある。



「まさにこの世の大メイワク、だな」


大好きでお気に入りだったその愛を、傍らでずっと見ていたかった。

引き離し安寧を保つ力を持っていたのは確かであったが、そんな上っ面の正義が自分を本当の意味で殺すだろうと悟ってしまっていた。



「全てを敵にし、魂、地位、名誉。全てを棄てて愛を守れるか……」


自分にはできないと分かっていたからこその憧れ。

それは、ひどく自分本位な我が儘であった。


だからこそ、せめてひとりでも関係ない人たちを救いたい。

榛原は『もう一人の自分』と同じく、スーツに添えられた赤いネクタイを整えると、改めて映像の中の舞台を見やると。


リハーサルも終わったようで。

今まさに『青空の家』の子供たちの、さいごのステージが始まろうとしていた……。



            (第364話につづく)






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