第211話、幽き幻影少女、さいごの蝋燭のように



気づけば辺りは、すっかり闇に包まれていた。


さつきは立っていられず、膝が笑い、しゃがみ込んでしまうのを止められなかった。

そのまま、大地に身を投げ出すことができたのならどんなに楽だろうと、さつきは思う。


だが、さつきがそれをしなかったのは。

プライドがそれを許さなかったからだ。

ここで倒れ伏し、甘い眠りに身を任せるのは……さつきにとって二重の死を意味していたからだ。


積もる雪のように迫ってくる現実の死の気配と、自身の存在意義を否定するという意味での死。

ここで倒れることは、さつきにとって自身がファミリアだと認めるようなもので。


たとえ真実がそうであったとしても、そんな認めかたは絶対嫌だった。

認めることでの救いなど、自分にはありはしないと、強迫観念に近い思いを抱いていて。



「……くっ!」


半ば気力だけで、さつきはむしろ暖かいとさえ思える地面に手を突き、起きあがろうとする。

と、そんなさつきの右手に、土や草とは違うふわりとした暖かい感触が触れた。

そこにあったのは、淡雪色の手袋と帽子だった。

去り際の克葉にわけも分からず渡されて、そのまま握りしめるようにして持っていたもの。


おそらく、しゃがみ込んだ時に落としたのだろう。

さつきは、無意識のままに土埃を払い、両手でもってそれを見つめる。

普通に考えるのなら、あのタイミングで渡されたそれは、きっと克葉の罠なのだろう。


でも、そんな事は考えなくても分かりそうなものだ。

誰でも怪しいと、そう思うに決まっている。

ならば何故、そのタイミングで克葉これを渡したのか。

さつきは、霞がかって白くなってきた思考の中、何とかそれを導き出そうとする。


必死に、必死に考えて。

やがて導き出したその答え。


さつきは、それを実証するために……その手袋と帽子を身につけた。



「……」


その途端、さつきが考えていた通りに。

覿面に和らぐ、周りの寒さ。

あれほど震え、言うことの聞かなくなっていた膝の機能も回復していて。



「やっぱりそうだった……」


立ち上がったさつきは、まともに喋れるようになっていることを痛いほど実感しつつ、そう呟く。


「……」


生まれて初めてだった。これほとまでに強い感情を覚えたのは。

それは、屈辱という言葉を遙かに凌駕する何か。

何故克葉は、敵である自分を助けたのか。

何故、自身の正体に気づかぬ振りをして死にゆこうとしていたところを、止めたのか。


克葉が言ったように、自分を傷つけたくなかったから?

さつきにはそれは違うと、絶対の自信を持って言えた。

なぜならさつきはもう、致命傷と言えるほどに傷を負っているからだ。

そして……それこそが、わざわざ自分の元へとやってきた克葉の最大の理由だとさつきは確信していた。



―――この世界はつまらないものだよ。


そう、かつての手の届かない場所で、空虚な瞳をして笑っていたあの人のように。


克葉はきっとつまらないと、そう思ったのだ。

消える意味すら分からぬまま消えようとするさつきを、つまらないと思ったのだろう。

人にとって、手の届かない場所で見ている神のように。

あがいて、苦しんで、生きて見せろと。

自分を楽しませて見せろと、そう言っているのだ。

克葉にとってみれば、これはゲームみたいなものなのかもしれない。


去り際の上辺だけの優しさ。

今まで見ているだけで触れることのなかったさつきが、それすらうれしいと思ってしまった事を。

たぶん克葉は気づいていたに違いなくて。

冷たさを和らげるその暖かみが、激しくさつきの心を軋ませる。



「……足掻いてやろうじゃない」


それが望みなら。

とことんやってやる。

たとえ惨たらしく、無様な死が待っていようとも。

それは決して、澄み切ったものではなかったけれど。

皮肉にも自分の存在意義を失っていたさつきの生きる糧となっていて。


さつきは歩き出す。

いつの間にか流れていた涙を拭い、帽子の下に隠すようにして。

この思いをくれた、克葉の元へと。



だが……さつきは知らなかった。

そんな克葉の行動すらも。

決められた台詞と、用意された舞台の上でにすぎないことを。

この生きる思いをくれた張本人が……克葉ではなかったことを。





            ※      ※      ※




最期の瞬間に見たラセツは……なんだか悲しそうに見えた。

それは決して、戦いに敗れたからではなく。

仁子には、力の限りに戦ったことを穢されてしまったという無念さのように感じられて。


凍り付くような寒い風が、辺り一帯に支配したのはその瞬間だった。



「……っ!」


それが危険なものであると感じ取ったのは、仁子ではなくトゥエルのほうだった。

牙撃として仁子の右手と一体となっていたトゥエルは、するりと仁子の手から離れ、本来の霞がかった翼あるものの姿に戻ったかと思うと、何も言わぬまま、仁子と一体化するようにして消えていく。


それは、戦い終わればよく見る光景ではあったが。

言葉なくともそのトゥエルの行動にどんな意味があったのか、仁子は気づいた。


仁子ではなくトゥエル自身が、この場にいると危険だと、そう判断したのだ。

そしてそれはおそらく、ラセツの最期の言葉とつながるのだろう。



仁子は日が沈み、病院という場所の独特の静けさと、人がいないことによる不気味な明るさを感じながら辺りを観察するように見回す。

氷ドームの影響故か、僅かに寒さはあるものの、それ以外に特に変わりはないように見える。

仁子には、トゥエルの感じた危険を明確に感じ取ることはできなかったが……。


「ラセツを倒すことで何らかの能力のスイッチが入った……?」


ふいに、ピンときた。

負けることがそもそもラセツの目的だったのではないかと。

仁子は、まんまと克葉の策に……いや、克葉を操るものにはめられたのだ。


「だとすると、これから何が……ううん、もう起こっているはず」


仁子自身にはそれほど影響はなく、トゥエルには影響する何か。

しばらく考えて、思い出したのは知己の、能力を無効化する能力だった。


ラセツを倒すことで氷ドームの力が強化され、能力が封じられる。

仁子がたどり着いたその予測は、おおむね正しかった。

実際はファミリアを封じるもの、であったが……。



「さつきが危ないっ!」


どちらにしろ、思ったのはそのことだった。

弥生のファミリアであるさつき。

ファミリアだとは思っていないさつき。


もしかしたらトゥエルのように何か影響を受けているかもしれない。

もし、その事でさつきが自分をファミリアだと自覚するようなことになったら、大変だった。


最悪、消滅してしまう可能性だってある。

そう思ったらいても立ってもいられなくなって、仁子は駆け出した。

もう、何もかも手遅れになっていることなど、知りもせずに。




はたして、さつきはすぐに見つかった。

ちょうど、さつきのほうも、仁子の方へ向かうつもりだったらしい。



「……氷ドームは?」


仁子は、無事だったらしいさつきの姿を見て内心安堵しつつ、そう問いかける。

「ごめんなさい……内側からは無理みたい。ドームには能力を無効化する力があるみたいなの。何か別の方法を考えないと」


帰ってくる言葉に、違和感。

いや、言葉にはおかしな所はない。

ドームに能力を無効化する力があるのならば、さつきが近づけなかったのは仕方のないことだからだ。


強いて言うならさつき見た目と雰囲気、だろうか。

そう言う言葉にもどこか焦りのようなものが感じられるし、ついさっきまでしていなかったはずの白い手袋と帽子をさつきは身につけている。


だが、それより何よりも。

目深にかぶったフードで隠すようにしている、泣きはらしたような目。



「……何かあったの?」


見た瞬間、かっとなった。

誰かがさつきを泣かせた。

そう思うだけであふれ吹き出そうとする怒りをかろうじて押さえ、静かに仁子は問いかける。

しかし、聞かれたさつきはただ微笑んで。


「あぁ、なんか寒くて風邪引いたかも。似合うかな、この帽子?」


それは、見え透いたと言うにはあまりにも悲しい嘘。



―――君たちにはこれをあげよう。


刹那、電撃的に思い出す克葉の言葉。



「まさか、塩崎克葉と会ったの!?」


止められない、怒りが。

思わず詰め寄る仁子。


頷くさつき。

思わず、その場所も分からないのに飛び出しそうになって。



だが、それを止めたのは。

手袋越しでも分かるほどに冷たいさつきの手のひらと。

仁子が思わず飲まれ、立ちつくすほどに凄絶苛烈な色をにじませる瞳、だった。



「ごめん、捕まえなきゃいけないのに逃がしちゃって。……でも、次はないから」


自分の命を懸けてでも。

そんな意志が伝わってくるほどの、怒りを通り越した彼女の感情がそこにある。


そして、仁子は思い知らされるのだ。


さつきと言う一人の存在を認めたいからこそ。

そう宣言する彼女の意志を、蔑ろにはできないってことを。


これから彼女がしようとすることを、仁子は止めることができないだろうって事を……。



             (第212話につづく)








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