第316話、天使の慟哭めいた願いは、時期ではないから叶えられない
美冬は歩く。
赤い氷棺に包まれた、慎之介を抱えながら。
怒り。
何より自分自身への怒りに身を任せた結果。
美冬の身体は、レフローデと相対したときの半分ほどになってしまっていた。
文字通りの捨て身の攻撃に、美冬の身も溶け消えようとしているのだろう。
実際問題、急激に縮むことはなくなったものの、美冬の身体は少しずつ少しずつ赤い水分となって、桜色の地面に染み込んでいくのが分かる。
でも、それでも。
美冬は元来た道を、構わず引き返した。
一歩一歩進むたびに、気づかされる後悔。
慎之介が閉じ込められていた場所。
『魂の宝珠』の間へと戻るのに、半分以下になってしまった美冬の身体では遠すぎた。
恐らく、これもレフローデの策略のうちだったのだろう。
彼はこうなることを見越した上で、美冬をスタート地点から引き離したのに違いない。
気の合いそうな、礼儀の弁えたいい人の雰囲気に騙されて……
いや、何も考えずに引っかかった美冬が悪いのだろう。
少し冷静になってみれば、こうなる可能性に気づけたのかもしれないのに。
「……っ」
ぐらりと美冬はふらつき、まろびそうになる。
地面に触れそうになった慎之介を、そっと横たえると。
両腕で抱え続けることは不可能だと判断し、ゆっくり慎重に背負いあげる。
美冬と氷棺をしっかりと一体化させてくっつけて、滑り落ちないようにする。
そうしてまた一歩。
膝頭が割れ、軟骨が潰れる感覚。
一層縮む美冬の身体。
……構わずに、更に進む。
そう。確かに美冬は、捕えられ生贄になろうとしていた慎之介を見て、冷静ではいられなかった。
そんな慎之介と、まゆたちとの約束を天秤にかけられ、焦っていたのだ。
怖かったのだ。
答えを考えようとするのも嫌だった。
だから逃げ出した。
それが最悪を導くことに、どこかで気づきながらも。
こうして一歩一歩踏みしめるように歩くと。
桜色の地面の暖かさと柔らかさを思い知らされる。
歩きにくいことこの上ない。
それは、冷気とともに美冬を縫いつけようとする。
構わず足を上げれば、ポロポロ零れる足の先。
それでも美冬は進む。
進めなくなることなんて考えないようにして。
顔を上げ前を見据えても、終わりは見えない。
そもそもこの道は自由自在に変わるのだ、と考えてしまうと何もできなくなるから。
考えないように美冬は首を振る。
そうして感じるのは、慎之介の重み。
氷が一体化したことによるものか、はたまた美冬の願望なのか。
そのぬくもりですら伝わってくる気がして。
……そのぬくもりを感じたからなのか。
思い出すのは、美冬たち一族のこと。
氷雪の妖。
雪女でもサンタ娘でも構わないが。
美冬たちは、気に入ったつれあいを見つけると、凍らせて包み込んで永遠に自分のものにするらしい。
らしいと言うのは、それが一般的な見解だからで。
本当の所は違う。
美冬たちはずっと、信じきっているのだ。
愛しい人が、その熱情で彼女たちを溶かしてくれることを。
そうすれば幸せになれる。
妖だった美冬たちは、人間になれるのだと。
熱心に話してくれたのは、真冬だっただろうか。
……それが本当のことなのかは、今となっては確かめようもないけれど。
自分勝手な美冬にとってみれば、前者こそが正しいものだったのかもしれない。
『魂の宝珠』。
その台座で眠る慎之介を見た時。
きっと美冬の感情のうち最もを占めていたのは、嫉妬心だった。
それが、今のこの状況を生むと分かっていて、美冬は我が儘を押し通したのだ。
「……そっか。何で気づかなかったんだろ」
引き続き、そんな風に我が儘に考えていたら。
美冬の心に降るのは、一つの光明。
まゆたちとの約束を果たすためには、完成された『魂の宝珠』を持っていかなくてはならない。
しかし、それを完成させるには生命の元、生きるものの魂が必要になる。
それが、この場では慎之介だった。
美冬はそれが許せなくて、慎之介を奪い返したけれど。
その生贄は、必ずしも慎之介である必要があったのだろうか?
恐らく、他のものでも代用できたはずだ。
これはレフローデの言うところの、試練なのだから。
レフローデそのものでも良かったのかもしれないし、美冬自身でも良かったのかもしれない。
そう冷静にまとめても、今となっては後の祭り。
それでも美冬は進む。
美冬が約束を果たせば、きっとまゆが来てくれる。
……そう思っていたからこそ、一歩一歩、止まることがなかったのに。
それは。
台座のある場所がようやく見え、慎之介を引きずりながらも、希望が広がろうとしていたその瞬間だ。
「……ああ」
――ー泣き声が聴こえる。
どこからともなく、うつされ、こちらも泣いてしまいそうな、そんな慟哭が。
それは、小さな子が何はばかることなく泣く声だった。
家族と離れ離れになること。
死の意味を理解せずとも、本能で悲しみを表現するそれ。
一声聴いただけで、全身の皹が増殖するかのような絶望感。
それを表すかのように、美冬の身体は言うことをきかなくなって。
ついには膝をついてしまう。
「そんな……」
美冬は知っている。
その声の主を知っている。
理解してしまった。
無垢なる天使の、その慟哭の意味を。
それは。
美冬の最後の希望でさえも。
打ち砕かれてしまった、ということ。
「ご……め、ん」
美冬にできるのは。
ただ、そう呟くことだけだった。
そんな美冬が最後に見たのは。
自身が崩れ折れ、赤い大地に沈みゆく、その瞬間で……。
(第317話につづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます