第315話、独りよがりで人になれなかった結果
「我が眷族、この世に顕現せよ! 『華氷』っ!!」
「……っ!」
長期戦にしようと言うのならば。それが目的ならば。
そうならないように努力するだけ。
美冬が、数ある眷族の一つの名を呼んだ瞬間。
乾いた音を立てて場が、空間が変容する。
それは、カーヴ能力で言えば、『フィールド』と呼ばれる種類にあたるもの。
変化は、気温の低下とその一定化。
花の落顔を抑えるそれは、美冬の燃費を抑えるとともに、じりじりとレフローデの体力を、行動力を奪う。
仮に、左足の彼の体力が尽きるまで、と考えてしまえば随分と気の長い話にはなるのだが。
この力の何よりのメリットは、この場を離脱しない限り、回避不能ということだ。
それは、後ろに下がれば簡単に脱することができることを示していて。
「……嗚呼、願うならば然るべき華々しい場で、見(まみ)えたかった」
渇望にも近いレフローデの言葉。
レフローデは、僅かに俯く姿勢を見せた後、しかし気を取り直すように、敢えて一歩前進し直す。
それは引かぬ、と言う意思表示。
最後通牒を突き返す合図。
となれば、どちらかが斃れるまで……戦うだけ。
「……顕現せよ、我が眷族、垂氷っ!!」
その火蓋は、打ち下ろしの手のひらから生み出される三角錐により、切って落とされて……。
それから。お互いに出し惜しみのない、長い長い戦いが続いた。
一進一退。
次々に繰り出される、技の応酬。
ある時は真っ向から。ある時は搦め手で隙を突こうとする。
結果、導き出されたのは、恐ろしいまでの互角。
それこそが、左足の彼と戦って知った一番の驚愕、といってもいいかもしれない。
その事を、レフローデが同じように理解していたとするなら。
この時間稼ぎこそ、その意味を第一に考えなくてはいけないことのような気がして。
「……」
漠然とした不安。
何か肝心なことを忘れている気がする。
取り返しのつかないような、そんな感覚。
美冬は鍔迫り合いから、自分を押し出すようにしてレフローデから距離を取り、その事を考えようとする。
「……ふん!」
しかしレフローデは、その暇すら与えてくれない。
美冬は慌てて一歩踏み出し、レフローデの刃を受け止める。
不安に思うということは、もう既に相手の術中に嵌ってしまっているという事なのか。
「はあぁぁっ!」
美冬はそれを振り払うかのように声を上げ、更にレフローデを押し返し、新たな眷族を呼ぶことで打開を図ろうとする。
ぴしりっ。
「……え?」
だけど。
いつまでも続くと思われた戦いは、唐突に終わりを告げようとしていた。
どこかからか聞こえる、氷が割れるような音。
出所はどこかと探すよりも早く、胸に走る激しい痛み。
思わず胸元を見やれば、心臓あたりを中心に、亀裂が走っている。
「……仕舞いだ」
意味を理解しようとせず、呆然とする美冬を脇目に。
その事をまるで最初から知っていたみたいに、無情の念のこもったレフローデの声が聴こえて。
「かっ……ふっ!?」
全身に、それこそばらばらになってしまいそうな、凄まじい衝撃。
それは、再び左足と化したレフローデの、強烈な一撃だった。
美冬を穿ち貫き、通り過ぎようとするそれ。
美冬はほとんど無意識のまま、摩擦を減らし、進行方向から外れるようにして吹き飛ばされる。
それにより、真っ二つにされるのだけは免れ、ごろごろと転がっていって。
その勢いは冷たい何かにぶつかったことで、ようやく止まる。
それは、自分で作った氷だ。
何とか顔を上げ見上げれば。
案の定、そこにあるのは美冬の作った氷の壁。
その透き通った先に眠る、慎之介の姿。
(……眠る? 違う、そうじゃない!)
思った途端、レフローデの存在は吹き飛び、美冬はその氷を溶かしにかかる。
多分美冬は、心のどこかで。
時をかけ戦っていれば、慎之介が起き上がって加勢してくれる、なんて思っていた。
でも、そんな気概を十分に持ってる慎之介が起きてこなかった時点で、美冬は気づくべきだったのだ。
「しんちゃん?」
美冬は叫び駆け寄り、慎之介に触れる。
「……っ」
冷たかった。
絶対零度にすら耐えられるはずの美冬の手すら、腐り落ちてしまうほどに。
きっと、その冷たさは恐怖でできていたのだろう。
「しんちゃんっ!!」
美冬はそれを必死に振り払うように、慎之介を掻き抱いた。
胸元に当てる耳。
慎之介そのものを示す拍子は。
鼓動は感じられなかった。
……死。
美冬が最も許容してはならない言葉。
美冬はそれに支配され、包み込まれ、覆いかぶさられようとしている。
でも、それを信じようとしない美冬は。
信じるわけにはいかない美冬は。
はっとなって、自分がまだここにいることに気づかされる。
自分を見直せば、全身に皹が入っていて、今にも崩れそうな状態。
足下を、慎之介を。
氷の混じった血で染め上げているのが分かる。
温かなものとなって、未だにそこに存在していて。
……まだ、間に合う。まだ、助かる。
そう思ったら、美冬の行動は早かった。
「我が呼び声に応えよ……原始の氷、『絶零』」
もう自分を省みることもない。
美冬は全身全霊をもって、周りに広がる赤に、自身の分身に力を込める。
どこまでも赤いそれは、慎之介を優しく包み込んで。
ゆっくり、ゆっくりと凍らせる。
それは正しく、雪女が愛するものを身に取り込み自分のものとする、そんな所業。
「冷たいけど……ちょっとだけ待ってて、しんちゃん」
完全に凍り付いて、その時を止めたのを確認した美冬は。
そう言ってゆらりと立ち上がる。
慎之介の命を刈ろうとする死に神の侵入を拒むそれ。
根本的な解決にはなっていないけれど。
まゆの助けを。
毒……あるいは呪いに冒されている慎之介を助けてくれるというまゆが来るまでの辛抱だから。
美冬は自分に、そう都合のいいように言い聞かせ。
慎之介にかかりきりの間、微動だにしていなかったレフローデを見据える。
「……」
無言で仁王立ちを続けるレフローデ。
その双眸に、今までそこから動かなかったのが、紳士的行為とか武士の情けとか、
そういったものではなかった事に気づかされる。
こうなることを、彼はきっと分かっていたのだ。
そんなレフローデを見て、美冬は一体どんな顔をしていたのだろう?
壊れた笑みを、浮かべていたのかもしれない。
レフローデは、そんな美冬から視線を逸らし……何だか言い訳するみたいに、口を開いた。
「『魂の宝珠』を捧ぐべき場所。そこから離れなければ、もう少し持ったろうに」
「だからって……だからってしんちゃんをいけにえにしろっていうの!?」
レフローデのその言葉は。
少しも考えることをせず、まゆたちとの約束を破ってしまった美冬を責めているようにも聞こえて。
図星以外のなにものでもない美冬は、自分勝手なままに怒りをぶつけるしかない。
「これは……主の戯れにすぎぬ。その為の、試練だったのだ」
「……っ」
たった一言。
唾棄するように発せられた言葉は、どこまでもどこまでも残酷なものだった。
つまり、つまりは。
慎之介が、こんな目に遭ってしまったのは、誰のせいでもない。
美冬自身のせいだと、言っているようなもので。
「……後生だが。それでも某の刃は、これ以上は止まらぬよ」
もう、レフローデの言葉には、悲しさしか残っていなかった。
そこには、最後までまっとうに戦えなかった無念さもあったのだろうが。
「あああああーーっっ!!」
自棄ゆえの八つ当たり。
美冬は我がままに絶叫する。
声を枯らす。
いやなもの、見たくないもの。
……自分自身を否定するみたいに。
力を吐き出した。
もう、自分なんかどうでもよくなっていて。
「世は、儚くも空しいものよ……」
具現したのは、その場の空間全てを埋め尽くすような、大気を凍らせたもの。
そう呟くレフローデの驚きも恐怖すらも、硬く硬く凍りつく。
全てを完膚なきまで凍らせて。
それら全てを粗目の粒へと変えてゆく。
揺れる光となって、風もないのに流されて。
そんな中、慎之介だけが、赤く赤く輝いている。
美冬の、愚かさだけを露わにしたこの戦いは。
あまりにあっけなく、無常に、終わりを告げて……。
(第316話につづく)
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