第169話、12番目の私にいざなわれて、夏の魔物は生まれ変わる
『彼』の泣き声が聞こえなくなることのない、紅蓮の瞳が包み込む夜。
それは……あの黒の太陽が、彼らのところへ落ちて。
この『赤い月』と呼ばれる場所に来てから、ずっと続いていた。
何故なら彼は、今のこの世界のことを知りもしなかった頃。
何もかも分からないまま黒の太陽に出会い、そして大切な人を失ってしまったからだ。
彼の大切な人は。
ある一人の少女……大矢塁(おおや・るい)にとっても、大切な友人の一人であった。
塁はただ悲しみに打ちひしがれ、何もできなかったが。
彼は……彼の悲しみは、そんな自身とは比べ物にならなかったのだと、そう思っていた。
塁が彼のことを、ずっとずっと好きだったのと同じくらいに。
彼は、その子のことが大切で。
彼にとってあの子がいない現実なんてありえないこと、のはずであったから。
こんな、あの子のいない世界なんて、なくなってしまえばいい。
皮肉にも彼がこの世界へ、カーヴ能力者として覚醒したのは、その時だった。
故に彼はそのまま、暴走してしまったわけだが。
もともと才能はあったのだろう。
まるで黒の太陽を模倣するかのように、彼は目に入る全てのものを壊そうとしていた。
塁は、それを止めるのが精一杯で。
その時は大事には至らなかったが。
結局他の能力者に捕まってしまい、彼は『赤い月』と呼ばれる、小さな窓ただひとつしかないような、独房へ入れられてしまう。
そんな彼の入れられた場所は。
カーヴ能力における暴走によって捕まえられた……そんな人たちの多い場所。
恐らく彼は、力の目覚めたてだったから、たいしたことはないと判断されたのだろう。
しかし、その判断は間違っていた。
彼は、目覚めてみれば、たったひとりで誰の手も届かないような……そんな場所へ閉じ込めておかなくてはいけないような、大きな力を持っていたからだ。
直接力を受けた塁は、すぐにそれに気づいてしまった。
このまま、そこで再び暴走してしまったらどれほどの被害が出るか、分からないっくらいには。
唯一の頼みは、そんな彼を止められそうであった塁が追いかける形で、この『赤い月』に入れられていたことだろう。
おそらく、彼の力を止めようとしていた塁でさえも暴走しているのだと、そう判断されたからなのだろうが……。
そうして、塁たちがこの『赤い月』に入れられて、数週間。
塁の危惧していた事態が起こることはなく。
空き部屋を挟んだ一つ向こうの部屋で、毎夜彼の泣き声を聞く日々が続いた。
そんな彼の悲しみの声は、直接塁の心へと伝わってくる。
そのことに無防備だった塁は、その、どんどん伝わって膨らんでいく悲しみに、すぐ耐えられなくなって。
彼を励ます言葉を必死でかけるのだが。
その言葉は全て、彼には伝わらなかったせいもあるのだろう。
きっと、彼は分かっていたのだ。
たとえどんな言葉をかけようとも、あの子は帰ってこないのだと。
奇麗事を並べたてて、彼の涙を止めようとする塁の心の中に、
「これで、彼の心は私に向くかもしれない。邪魔者はもういないのだから」
なんて、醜く汚い感情が……くすぶっていることを。
彼の泣き声に塁のほうが狂ってしまうことは、もはや時間の問題であった。
何もできない、何かをしてあげる資格もない。
だけど、ここから逃げることもできない。
何より大切で大好きな人が、こんなにも悲しんでいるのに。
気付けば、この場所……『赤い月』は、塁にとって地獄と化していました。
「あなたですね? 唯一無二の名を冠す能力を持つ少女、というのは」
と。
そこに、天の助けが……だけどその時は無機質で感情の感じられない、そんな声が届いたのは、ここに来て一ヶ月ほどたった、ある日の夜のことであった。
何も答えずただただその人物、綺麗な青髪の女性を見つめる塁に。
彼女……露崎と名乗った女性は、構わず続ける。
「私の技術と、あなたの力を使えば、あなたが今一番欲している願いが叶う」
……と。
塁の願い、そんなの決まりきっていた。
彼の涙を止めること。
けれど、露崎がどうしてそんな事を言ってきたのか、する必要があったのか、塁には分からなかった。
露崎の言葉が甘すぎるからこそ、余計に不可思議に思えたのだ。
「どうして、何でそんなことを、私に?」
「どうして? ふむ、まだ冷静な判断はできるようですね。いいでしょう。理由を説明します。その方が、私も躊躇いなく行える」
問いかける塁に、露崎はほんのわずか、口に笑みの形をつくった。
それは悪魔の笑みだと、その時の塁は疑わなかった。
何故ならば。
それから紡がれる、露崎の言葉は。
まさしく悪魔の誘い、そのものだったからだ。
「私は、私自身の力を証明したい。私の夢を叶えるために、実験体が必要なの。自分の人生ですら、捨てられる覚悟のある、そんな実験体が。その白羽の矢がたったのが……あなた。この一ヶ月、観察させてもらったわ。そして、あなたなら私の夢を、躊躇いなく叶える手伝いができるだろうと、確信したの」
「そ、そんな。見てたのなら彼をっ、彼を助けてくれたって、いいじゃないですか!」
「死んだ『あの子』以外にそれは不可能だと、あなたは一番身にしみて分かっているはずでしょう?」
「……っ」
思わず何かが切れて叫ぶ塁に、露崎は話の腰を折るなとでも言わんばかりに、彼女を黙らせる。
その時には、気付かなかったこと。
露崎が思ったこと、言うべきことを口にするのがとても苦手であったという、そんな事実。
観察していたのも、露崎が『赤い月』専属の医者だったからで。
苦しんでいる塁たちを何とかしたいって、だから塁に声をかけたのだと。
つまるところ、本当は塁たちの救いの神だったのに。
冷静でなかった塁はその時、ただ露崎を睨みつけるように、見上げることしかできなかったが。
露崎はやはりそんな塁に構うことなく言葉を続ける。
「ですが、今の言葉に答えがあるのは確かです。彼の悲しみを、あの子以外に取り除けないのなら、あの子自身に取り除いてもらえばいいのだと」
「でも、あの子は……死んじゃって。だから彼は、あんなに泣いているのに」
塁が絞り出すようにそう言うと、露崎は分かっているとでも言いたげに頷いて。
間髪を置かず衝撃の言葉を口にした。
「いないのなら作ればいい。あなたとあなたの力と、私の技術があれば、それは可能なの」
「それって……」
ごくりと、息をのむ塁。
だってそれは、本当に悪魔の甘言そのものに聞こえたからだ。
塁の反芻に、理解が足りなかったと、露崎は判断したのだろう。
再び何の感情もない表情のまま、
「あなたが、大矢塁と言う個を捨て彼の望む姿になって、彼の悲しみを取り除いてあげる。……これは、人の道を外れていると言われればそうなのかもしれない。馬鹿げたこと、なのかもしれない。強制はしないわ。これはただ、それだけの想いがあなたにあるのか、そう、訊いているだけなのだから」
一日考える時間をあげると、そういい残して……露崎は立ち去ろうとするから。
塁はそんな露崎を呼びとめ、叫んでいた。
「……やります! 彼の涙を止められるのなら!」
たとえ、悪魔に魂を売ろうともかまわない。
何もできない、資格のない自分はなくなったって、別によかったから。
―――そしてその日。
塁は一度、『赤い月』出ることにしたのだった。
自分を終わらせ、新しい自分を始めるために……。
(第170話につづく)
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