第128話、夢の跡、その先への戦い、始まる
「……待たせたなぁ、母袋」
と、そこで。
背後から梨顔に声をかけられる。
思ったほどの驚きはなく、賢は振り返った。
梨顔の狂信めいた笑顔が、そこにある。
「お前らがなぁ、ゆーっくりしてる間に、こっちはお前らをぶっ殺す準備、整えちまったんだな、これが」
その準備に、よほどの自信でもあるのか。
初めて会った時のような、性別の分からない不安定さはそこにはなく。
教壇に立っている時のように、見た目通りの男口調。
「……どうかな? こっちだって、何もしてなかったわけじゃなかばいね」
賢は、あくまで強気に梨顔を睨みつける。
梨顔は意外と落ち着いた風の賢を見て、一瞬動揺の表情を浮かべたが。
思い直したかのように、ねめつけるような、蔑むような視線で賢を睨み返したかと思うと、突然笑い出した。
「生意気なガキだとは思っていたが……思い出したぞ。お前、あの化け物と仲いいはずだよなぁ。おまえ自身、化け物なんだもんなぁ?」
「いきなり何を言い出すとね?」
「だってそうだろ?お前は撃たれたんだぞ、俺に。ならばどうしてお前は狂わない? 簡単だよなぁ。お前も俺と同じ、『パーフェクト・クライム』に食われた化け物だったってわけだ。俺とお前は仲間だったってわけだ。友達とかいいながら、騙してやがったってわけだろ!」
言って、再び大笑いする梨顔。
どうやら初遭遇の時を思い出したらしい。
だが、それが人違いであることは気がついていないみたいだった。
はかりごとがうまくいって、してやったりな気分になったが。
「撃たれたって、なんのこととね? 人違いじゃなかと? 俺とお前が仲間だなんて、死んでもありえない話したい」
実際人違いなのは確かなのだから、きっぱりはっきり賢はそう言ってやった。
純然たる事実を、はっきりと口にした。
梨顔はその言葉に、少なからず本気を感じたのかもしれない。
ひるむように……得体の知れないものでも見るように、それでも賢を睨みつける。
「まあ……そんなことはどうでもいいんだ。お前らはどうせ、全員まとめてぶっ殺されるんだからな」
「そんなこと、僕がさせないばい」
相手は『パーフェクト・クライム』の力を源とするSクラスだ。
梨顔が本気になれば、その言葉は冗談じゃないってことくらい、賢にも分かる。
だが、それでも。
そんな不安を相手に見せない。
気負ったほうが負けなのだから。
「いつまでも余裕ぶってんじゃねーぞクソガキ! これを見ても、まだそんなムカつくツラでいられるか、あ?」
懐から出されたのは、車のハンドルよりは小さい、蛍光灯のような白い輪っかのようなものだった。
「っ! て、てめっ!? 人ん家に勝手に入りやがったな!」
さすがに焦りを隠せない賢。
だってそれは、まゆが考えてた作戦の肝となるものだったからだ。
「お前が、あんな山の中でのんびり遊んでるからだろうが。……なんに使うんだろうなぁ? これ。持ってたら、いいコト、あるのかな?」
「……っ」
それは、生まれ変わった賢自身の、新しきといってもいい、カーヴ能力によって作り出した『出口』用のフープだった。
賢はさっき、それとは対になる黒い『入り口』用のフープを三人に渡している。
ばらばらに分断されて異世に閉じ込められても、いざとなったらそれを使って逃げるようにと言っておいたものだ。
だが、おそらく……そのこと梨顔は気付いているのだろう。
じゃなければ、わざわざ賢に見せて、そんな事を言うはずがなかった。
「残念だったなぁ、お前たちの負けだ」
黙り込み青ざめる賢に、梨顔は勝ち誇ったような笑みを浮かべると、突然しゃがみ込み、何もないはずの地面から、赤い……血のようなうごめく太い柱のようなものを取り出した。
見た瞬間、あれが今いるこの異世を形成するための形代だと思ったが。
何故今ここでそれを見せたのか、賢には意味が分からなかった。
その赤いものは、どうやら中身を覆う布のようなものだったらしい。
「な、七瀬!?」
「……っ。も、母袋、くん……」
賢はついに、悲鳴のような声をあげた。
赤い、チューブのようなものに全身を縛られ、梨顔に捕まえられたままの奈緒子は、息を吐くように賢の名を呼ぶ。
だがすぐに口ごもって、顔を伏せた。
まるで賢には迷惑をかけたくない、とでも言わんばかりに。
「梨顔~っ! 七瀬は関係なかとねっ。はなしやがれっ!」
「ほお? ぶっぱなして、いいのか?」
「……っ、て、てめぇっ!」
言われ、目にまぶしく輝くのは、六花の銃だった。
梨顔はいつのまにかそれを奈緒子に向け、今にも引き金を引こうとしている。
「撃ったらどうなるかな? お前のときはうまくいかなかったからな。試してやろうじゃないか」
「くっ……七瀬にそんなもん向けんじゃねーよ! 何が望みだ。僕の命か!」
賢はそれを脅しだと理解していた。
だけど、何の関係もない奈緒子を犠牲にするくらいだったら、自分が殺されたほうがまだマシだった。
奈緒子にもそれは伝わったのだろう。
再び顔をあげ、叫ぶ。
「駄目だよ、母袋くん! 私のことなんていいか……っ」
ダララララッ!!
しかし。
そんな奈緒子の言葉は、最後まで届かない。
変わりに響いたのは、銃声音。
……そして。
「あははははは! くせぇんだよ! 手が滑っちまったじゃねえか!」
梨顔の哄笑。
ドサリ、と無機質に奈緒子が倒れる音。
「梨顔ーーっ!!」
気付けば賢は、梨顔を思い切り殴っていた。
止まらなくて破裂した……どうしようもない怒りの感情とともに。
※ ※ ※
一方で、その頃。
ジョイ……正咲は。
賢と同じように一人、どこかも分からない異世に取り残されていた。
「あぅ。本当にひとりになっちゃったよ」
正咲は呟き、辺りを見回す。
こうこうと電気は点いているのに、人一人いないがらんどうのパサージュ。
真夜中と呼べる時間にもかかわらず、人がたくさんいてお祭りのようだったさっきと比べると、不安になるほどさびしかった。
実際、さびしいんだろうと正咲は思う。
正咲は今も昔も、一人より人がたくさんいるほうが好きだったから。
それが……たとえ自分たちを捕まえようとする悪い人たちだとしても。
「どうしよっかな。これ、使おっかな」
正咲はマイバッグをごそごそと漁り、黒い輪っかを取り出す。
もし色が黒でなくて白だったら天使の輪っかにも見えるそれは、賢に作戦の最終兵器として渡されたものだった。
賢によると、それはあらかじめ貼り付けてあるという『出口』に繋がっていて、瞬間移動ができるものらしい。
『出口』の輪っかは、家のほうにあるらしいのだが……やばくなったら使えと、賢に言われていて。
それがあると思うと、ちょっと勇気が湧いてくるような、正咲にとってはまさしくお守りそのものだった。
「……やっぱり今使うのやめとこ」
正咲は少しだけ考え、輪っかを再びバッグにしまいこむ。
そして、きょろきょろと辺りを見回したあと、走り出した。
目指すのは、異世の終わりだ。
ここが異世である以上、この異世を創り出した能力者か、あるいはその代わりとなる何かが必ずいるはずだった。
正咲が外に出ようとすれば、それはきっと姿を現すのだろうから。
今、輪っかを使って逃げてしまえば、自分は助かるのかもしれない。
だけど、ここで何もせずに逃げてしまうのは正咲自身、いけないことのような気がしていた。
ここで戦うのは自分に与えられた責任なんだからと、そう思っていたのだ。
と……。
そんな事を考えながら正咲がパサージュを抜け、駅へと続く道へ入った時だった。
何かの気配がした気がして、後ろを振り向き、ぎょっとなる。
「わ、わ、地面がっ!」
それまで何の変哲もなかったはずのインターロッキングのタイルが。
まるでウェーブもしているかのように、高く盛り上がり正咲に迫ってくる。
正咲はあわてて駆け出すが、振り向いたことによってできた時間差のせいで、瞬く間にそれは正咲の足元まで達し、みしっと大地が裂けるような音がして、地面が爆発した。
「わっ。わっ、わあっ!?」
声をあげ、中空にかち上げられるように跳ね飛ばされる正咲。
持っていたバッグごとさかさまになり、花火が、お菓子が、スコップが、そしてお守りの輪っかが音を立てて地面に散らばる。
その地面は真っ赤で、正咲は一瞬、火山でも噴火したのかと思ってしまった。
だが、その赤い何かが力任せに破られ、中から出てきた全身まっくろの怪物が目に入ると。
落下する猫のようなしなやかさで正咲は体勢を立て直し、くるっと一回転して破れた地面から少し離れたところに降り立つ。
「でたなぁ、かいぶつめ! ジョイがやっつけちゃうもんねっ」
正咲は、重機のエンジン音のような、通常の生き物のはありえないような、荒い呼吸を繰り返す黒い怪物に向かって、臆しもせずにそう叫んだ。
しかし、すぐに自分がバッグを持っていないことを思い出し。
バッグと、バッグの中身が散らばって赤い地面に沈みかけているのを見て、慌てだす。
大事なものばかりだけど、特にバッグは大切なものだった。
正咲が家を開けてからもずっと、実家の自室にあった、今はもういない両親からのおくりもの。
「返してっ!」
気付けば正咲は駆け出し、何の躊躇もなく相手のふところに飛び込んだ。
しゃがみ込むようにしてバッグを拾い、散らばる中身をかき集める。
一つのことに集中すると、ほかに手をつけられなくなる。
それは正咲の悪い癖だった。
そしてそれが、自らの命の危険を招くことになると気付いたのは。
今までそんな正咲を救ってきた、危機察知能力、と呼ぶべきものが。
最大級の警鐘を鳴らした、その瞬間で……。
(第129話につづく)
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