アリサの仕事

「さて、と。行こうか、カナメ」

「……」


 要は、黙ったままヴーンの死骸へと視線を移動させる。

 見下ろすヴーンの死骸はピクリとも動かず、溢れた緑色の体液は地面に吸い込まれて濡れた跡を残すのみだ。

 こんな大きさの生き物を殺したのは要の人生で初だが、どうにも実感がわいてこない。

 何やら頭の中でよく分からない感情のようなものが増殖し、意味ある言語に出来ない言葉が言語化されないままに気持ち悪さを伴ってぐるぐると身体の中を駆け巡る。

 手に握ったままのナイフはひたすら重く、空気がべったりと身体に纏わり付くような錯覚さえ覚えてくる。

 あるいはコレが「命を奪う」という感覚なのかもしれないが……自分が高揚しているのか落ち込んでいるのかすらもよく分からない。

 ただ、握ったナイフだけが妙に重くて。心臓の鼓動は破裂しそうな程に早まっている。


「カナメ」


 背後のアリサにナイフを握った手を掴まれて、要はビクリと飛び上がりそうに驚く。

 だが強い力で握られた腕は動かず、震える手で握ったナイフはそれでも手から離れない。


「救ったんだよ、カナメ」


 アリサのゆっくりと言い聞かせるような言葉が要の耳に届き、アリサの手が要のナイフを握る手を包み込む。

 そうして緩んだ手からナイフを奪い取ると、いつの間にか要が捨ててしまっていたらしい鞘にナイフをパチンと収める。


「モンスターっていうのは、全ての生き物の敵対者なの。神様の時代から人間の敵で、その時に負けた恨みを現在にまで持ち越してる復讐者だ。放っておけば他の誰かが殺されていたかもしれない」


 だから、カナメはその「他の誰か」を救ったんだよ……とアリサは囁く。

 それは論点のすり替えに過ぎないが、そのすり替えられた理論は要の中にカチリと嵌って要の中の感情を整理していく。

 これがこの世界の常識。自分は、正しい事をした。

 要にとってこの世界の代表者であるアリサにすがるように、要は自分を自分で最適化していく。

 

「殺す事を恐れるのは正しいよ、カナメ。でも、殺す事を躊躇ってもいけない。殺されたら、全部終わりなんだからね?」


 そう、そうだ。

 殺さなければ殺されていたのは間違いない。

 だから「正しい」とは言わないが、間違ってもいない。

 

「そう、だよな」


 要の中に、「赤」がちらつく。

 燃え盛る火の赤。飛び散る血の赤。

 そして……真っ赤な鱗のドラゴンの、赤。

 こんな所で立ち止まっていて、あの光景をどうにかなど出来るものか。

 要がアリサを救うには多分……あのドラゴンを倒さなければいけないのだから。


「まあ、どうしても迷いがでるなら……アルハザールにでも祈ってみればいいんじゃない?」


 アルハザール。

 その言葉には聞き覚えがあって、しかし動揺を悟られないように要は聞き返す。


「アルハザール、って……?」

 

 それはあの「無限回廊」かもしれない場所でアリサがドラゴンに挑む際に叫んでいた名前。

 アルハザールの加護よあれ……という内容からして、神様の名前なのだろうが……。


「戦いと勇気の神、アルハザール。簡単にいえば、「何かに立ち向かわないといけない時」に祈る神様かな?」


 兵士とか私みたいな冒険者とかに大人気だよ、と語るアリサに要は相槌を打ってみせる。

 随分と心配をかけてしまっているのに気付いて、要は苦笑し……ここでようやく、手の中にナイフが無い事に気付く。


「あ、あれ!? ナイフが……」

「危ないから回収したよ。そろそろ落ち着いたからいいかな?」


 そう言うと、アリサは再びナイフを要へと手渡してくる。


「まあ、カナメにナイフの才能があるかは微妙なとこかな。いまいち慣れてない感があからさまだったし……よっぽど箱入りだったんだねー」

「普通の庶民なんだけどなあ……」

「あはは、冗談!」


 笑い飛ばすアリサに要はバシバシと肩を叩かれ、思わずよろけてしまう。


「そ、そういえば。この死骸は放っておいていいのか?」

「そういうの埋めるのを仕事にしてる奴もいるから、勝手に仕事奪ったらダメ。行くよ?」


 歩き出すアリサを要は慌てて追いかけ、その横に並ぶ。

 歩幅は要の方が大きいのだが、行く先も分からない要は一歩遅れるような形でアリサに追従し……そこで、疑問に思っていたことを切り出す。


「あのさ」

「何?」

「アリサの仕事って……冒険者、なんだよな?」


 冒険者、というと要の中ではファンタジー職業ナンバー1といってもいい職業である。

 世界を駆け巡りモンスターを倒し、ダンジョンに潜って。そうやって成り上がっていくような、そんな華々しいイメージがある。


「そうねー。まあ、あんまし人様に自慢できる仕事でもないけど」

「え?」

「だって、そうでしょ。冒険者なんて、安定も安全も安心もない危険な仕事だし。安い報酬で危険な仕事受けて、酒飲んで博打打ってすっからかんになって仕方無しにまた安い仕事受けるようなロクデナシだらけよ? 冒険者おことわり、なんていう店が街にどれだけあると思ってんの?」


 ……それは意外だが、なんとなく理解できない事も無い。

 要は日雇いの仕事のようなものなのだろう。

 固定給があるわけでもないし、冒険をしていれば定住も難しいだろう。


「で、でも。アリサは綺麗だよな?」

「ありがと。ゴロツキ一歩手前なんて言われたくないからね、苦労してんのよ」


 そう答えると、アリサは「うーん」と唸って要のほうをちらっと見上げてくる。


「でもまあ、カナメもこれから冒険者になるんだし……村に着いたら、ちょっと教えてあげる」

「村?」

「そ、今回の依頼先。もう少し歩けば着くと思うんだけど……」


 当然ながら、「もう少し」のような曖昧な言葉は人によって差異が大きく。

 要が疲れきってアリサにおんぶされる危機の一歩手前くらいの頃に、その村は見えてきたのであった。

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