黒い少女の噂
曰く、黒く古めかしいドレスのような衣装を纏った銀髪の少女が屋根の上で踊っていたという。
曰く、夜の広場……月明りすらもない夜に、薄く輝く黒い少女が踊っていたという。
曰く、路地裏に大きな鎌を持った黒いドレスの少女が居たという。
曰く、枕元に黒い少女が立ち、自分の顔を覗き込んでいたという。
曰く、酒場の吟遊詩人の歌に合わせて「自分以外の誰にも気づかれないまま」黒い少女がカウンターの上で踊っていたという。
こうした噂が今、ミーズの町のあちこちで囁かれているのだとイリスは説明する。
「大きな鎌を持った黒い少女……?」
「しかも踊ってるですって……? まさか、それは」
アリサとエリーゼにイリスは頷いて肯定するが、カナメは何が何だか分からない。
「え、えっと……ごめん、俺分からないんだけど」
「ルヴェルレヴェル……生と死の双子神と呼ばれる二人のうちの一人、妹のレヴェル。すなわち、死の神レヴェルと特徴が酷似しているのです」
生と死の双子神ルヴェルレヴェル。全ての生命の始まりと終わりを見届けると言われる神である。
兄であり生の神であるルヴェルは祈りと祝福を込めた種の入った袋を持ち、それを全ての「始まる命」に与えると言われている。
清浄なる白い服を纏うと言われるルヴェルに感謝を示す為、人々は生まれる赤子を白い布で飾ったり、おめでたい日には白い服を纏ったり……という風習が根付いている。
そして、妹であり死の神であるレヴェル。彼女はルヴェルとは対照的に黒い服を身に纏い、その命の終わりを見届けると言われている神である。
だが同時に、罪を重ねし魂に大鎌を振り下ろし断罪する裁きの神であるとも伝えられてもいる。
その性質故に天秤の神ヴェラールとセットで絵画に描かれる事も多いが……まあ、平たく言えば恐れられている神なのだ。
そんなレヴェルは歌と踊りが好きであったとも伝えられており、葬式の際などには歌と踊りを捧げる風習が残っている地域もある。
「死の神レヴェルが俺を迎えに来たんだ、と。そう半狂乱になりながら近隣の町のヴェラール神殿に駆け込んだ者が出て発覚しました。気狂いというわけでもなく、言っている事は理路整然。とはいえ、神々が降臨するような事例は「かつての戦い」以降は一度もありませんでした」
もし本当に死の神レヴェルが降臨しているというならば、一大事だ。
とはいえミーズの町にルヴェルレヴェルの神官が出入りすれば、その噂に拍車をかけ……場合によってはとんでもない事態に発展しかねない。
そこで王国のルヴェルレヴェル神殿は聖国のルヴェルレヴェル神殿へと報告し、ミーズの町に唯一出入りしているレクスオール神殿に協力を求めることにしたのだ。
そしてレクスオール神殿も無視してはならぬ重大事と判断し、外交問題にならない範囲で「有能」かつ「知識豊富」なシュルトとイリスを派遣したのだとシュルトは語る。
「僕とイリスは近隣の町を手分けして巡回し、似たような噂が無いか探すことにしました」
死の神レヴェルがミーズのあちこちで様々な人間に見られたというのであれば、あまり考えたくはないが虐殺か災害に相当する「何か」が起こる可能性は否めない。
となれば、ミーズに近い町や村でも同じような噂があるのではないか……と判断し、そこから被害規模を想定しようとしたのだ。
だが予想とは違い「黒い少女」の噂など何処の町や村でも無く……シュルト達は別の結論に辿り着きかけていた。
「すなわち、死の神レヴェルの降臨した町としてのミーズの復興とルヴェルレヴェル神殿の誘致。そうした下地作りの可能性があるのではないか……と」
「まあ、ありえない話じゃないね」
「え……」
同意するアリサにカナメは振り向こうとして……しかし、やはりイリスにがっちり肩を掴まれたままなので思うように動けず、その間にもシュルトの話は続く。
「結局このミーズに至るまで、同様の噂は聞きませんでした。しかし……別の話は飛び込んできました」
ダンジョン決壊と、空を貫く光。
町が滅ぶだの神々の示した希望の道標だのと色々と噂は流れたが、それは「ミーズの町による作られた噂」という結論に傾きかけていたシュルト達に違う可能性を示した。
「……そこに現れたのが君です、カナメ君。イリスが君に入れ込むのも無理のない話です」
偶然にしては、あまりにも出来過ぎた話。
まるで、そうなるべくそうなったというような……そんな運命じみた何か。
聖国内で権力闘争に明け暮れる誰かの描いたシナリオだと言われた方が、シュルトには余程納得できてしまう。
だがもし、そうでないとしたら。
「……決壊の次の段階……侵攻。英雄王トゥーロの登場以降起こらなかったソレが起ころうとしている。そうだとしたら、符合してしまうのです。だとすると、私達はこの町で何を見るというのか。まさかレヴェルがモンスター達に死をもたらすと?」
それは、カナメには答えようがない。
だが無限回廊で見た光景の中では……聞こえた声には、死の神レヴェルの降臨を示すものはなかった。
「……恐らく、その「侵攻」は起こります。この町で悲鳴と怒号が響く光景を……俺は、見ました」
だから、とカナメは続ける。
「変えたいんです、その未来を。死の神レヴェルについては分かりません。でも、そんなのが働かなくていいような……ええと、つまり」
「戦う、と仰るのですね」
イリスはそう言って微笑むとカナメの肩からようやく手を放し、シュルトへと振り返る。
「兄さん、聞いたでしょう。手近な騎士団をこの町まで引っ張ってきてください」
「え……は!? そんなの僕の一存で出来るわけないでしょう!?」
「口先で丸め込むのは兄さんの得意技でしょう。ほら、時間は有限ですよ。馬車でもなんでも使ってサッサと行ってください」
グイグイとシュルトの背中を押して神殿から追い出そうとするイリスと、それに抗議しながらもどんどん押されていくシュルト。
「カナメさん達も、今日はお疲れでしょう。私達レクスオール神殿の手の者が運営する宿屋がありますので、そこにご案内いたします」
そうしてシュルトを完全に追い出してしまうと、扉を閉めてイリスは微笑むのだった。
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