銀狐の眉毛亭にて
銀狐の眉毛亭。イリスに紹介された宿はそんな名前であったが、ミーズの町の中の工房などが密集する辺りに建てられた……言ってしまえば、人気のない立地にある宿屋だ。
朝早くからカンカンと音は鳴るし、下手をすれば夜にも徹夜をしている職人達の仕事の音が聞こえてくる「眠れない」場所だからだ。
だが普通の宿屋ではない銀狐の眉毛亭には丁度良い立地であり、レクスオール神殿の関係者や他の神殿関係者がこっそりと此処の町に泊まる時に利用するというのが主な用途であるらしかった。
「……ふう」
そんな銀狐の眉毛亭の三階に割り当てられた部屋で、カナメはベッドに腰を下ろし溜息をつく。
今日一日で色々あり過ぎたというのもあるが、その原因が何かと言えば……カナメの横で壁に立てかけてある黄金の弓であろう。
これを背負っているからシュルトにも必要以上に興味を抱かせたし、イリスに背後から抱き着かれる羽目になった。
しかし逆に言えば黄金の弓があったからこそシュルトはカナメの申し出にのってきたし、懸念であったイリスとも簡単に接触できた。
結果論で言えば上手くいっているのだが……今後、そんな事ばかりとは限らない。
出来れば何とか隠したいのだが……。
「……」
カナメは弓を手に取ると、ベッドの上に置いて重たい布団を被せて隠してみる。
明りの下でキラキラ輝いていた弓も、これでは輝きようがない。
……が、数秒経過すると布団を貫くようにギラギラと黄金の光が輝き始める。
それはちょうど弓のある辺りの位置から発せられており、カナメが布団をどけると弓は「それでいい」とでも言うかのように輝きを止める。
「……はあ。なんなんだよ、この弓……」
カナメは諦めたような溜息と共に再び弓を壁に立てかける。
そう、この弓はどういうわけか隠そうとすると自己主張激しく光りだすのだ。
どんなに分厚い布を巻いても……いや、そうすればするほど輝きが増すので、アリサが根負けした程だ。
結果としてカナメは黄金の弓をそのまま持ち歩くしかなく、現状につながっているわけだが……。
「どうにかならないもんかなあ」
「ならないわよ」
隣から聞こえてきた声にギョッとして、カナメは振り向く。
「真実を隠そうとしても晒されるように、幾多の偽物の中で本物が輝きを放つように。全ての本質は覆い隠す事なんて出来ない。それが世界の真実、貴方の真実」
そこに居たのは、フリルで飾った黒いドレスを纏う小さな少女。
真ん中分けの長い銀髪と、金色の目。
抱きかかえるように持った大きな鎌はギラリと輝き、カナメに死神を連想させる。
だが少女の目はすぐにカナメから逸らされ、何処か宙を見つめるように遠くへと視線を投げかける。
「誰より優しい貴方。誰より愚かな貴方。誰より厳しい貴方。誰より残酷な貴方。今回ばかりは私も苦言を呈したいわ。この子は、貴方ほど強くはないのに」
「君、は……」
歌うように何処かに向けて何かを囁く少女に、カナメは恐る恐る話しかける。
黒い少女。
鎌を携えた少女。
イリスの話が正しいならば、この少女は。
「死の神、レヴェル……なのか?」
「そうであるとも言えるし、そうでないとも言えるわ」
「え?」
少女はベッドから音もなく立ち上がると、くるりと踊るように回転する。
「かつて、世界の命運をかけた戦いがあったわ」
それは、破壊神ゼルフェクトと神々の戦い。
世界の半分以上が焼き尽くされ、多くの神々が倒れたと少女は歌う。
「とっても酷い戦い。とっても惨い戦い。皆死んだわ。アルハザールもレクスオールも、皆死んだ。私もルヴェルも、誰も彼もが死んでいった」
レクスオールが、死んだ。
その言葉にカナメは声をあげかけ……しかし、少女の次の台詞にその言葉を飲み込む。
「身体を失い、それでも意思と力を世界に残して。そうして世界は今も回ってる」
「意思と、力……」
ならば、この弓はレクスオールの「力」であり……カナメをこの世界に引き込んだのがレクスオールの「意思」なのだろう。
……だがそこで、カナメは一つの矛盾に気づき顔をあげる。
「待ってくれ。なら君はどうして俺の目の前にいるんだ? 君の言う通りなら、体がないんだろう?」
「そうよ、私は身体を失った。私がこうして貴方と話をしているのは、私の特異性と……貴方自身によるもの」
そう言うと、少女はクスクスと口元を手で隠し笑う。
「……ねえ、どうして私が此処にいるか……本当に分からない?」
「どうして、って……君から此処に来たんじゃないか」
「違うわ。言ったでしょう、私には身体がないの。ねえ、本当に分からないの?」
「そんな事言っても……」
死の神レヴェル。
彼女はルヴェルとは対照的に黒い服を身に纏い、その命の終わりを見届けると言われている神だと……そうイリスが言っていたのを、カナメは唐突に思い出す。
そうだ。
だからこそレヴェルを見たこの町の男の一人が半狂乱になり、近くの町の神殿に逃げ込んだ。
「まさ、か」
「皆そう言うのよ。「生」があるなら「死」もあるのに、誰もが皆「まさか」と言うの」
クスクスと、楽しそうに……そして悲しそうに少女は笑う。
「私は貴方の「死」よ、新たなるレクスオール。このままだと貴方は死ぬ。理由までは、私には分からないのだけれども」
「……っ!」
カナメが音を立ててベッドから立ち上がり、少女を問い質そうとしたその瞬間には……そこにはもう、少女の姿はない。
まるで最初から其処には何もなかったかのように、影も形もない。
だが、カナメは覚えている。
少女の顔も声も……言われた全ての事も。
「俺が……死ぬ?」
「そうよ、死ぬわ。新たなレクスオール。このままだと……ね」
「う……うわあ!」
背後から聞こえてきた声に反応し手を振るっても、その手は空を切るばかり。
死ぬ。
その言葉がカナメの中を反響し……カナメは衝動的に部屋から飛び出す。
「あら、カナメ様?」
そこに居たのは、寝間着姿のエリーゼ。
ほかほかと暖かな湯気を立てているエリーゼに柔らかな笑顔を向けられ、カナメは衝動的にその身体を抱きしめる。
「きゃっ……」
声をあげかけたエリーゼはしかし、ガタガタと震えるカナメに気付きハッとしたようにその顔を見上げる。
青白く、何かに怯えるようなその顔。普段のカナメとはあまりにも違いすぎるその様子に、エリーゼはどう声をかけるべきか迷って。
「……っ、ごめん!」
いざエリーゼが言葉を発しようとしたその前にカナメはエリーゼから離れ、無理矢理作ったかのような笑顔をその顔に貼り付ける。
「えっと、その……ちょっと、外で頭冷やしてくる」
「カナメさ……」
走り去っていくカナメにエリーゼは引き止めるように手を伸ばし……しかし、カナメは立ち止まらず階下へと走って行ってしまう。
「……」
一瞬の沈黙と思考の後、エリーゼは躊躇わずにカナメの後を追って走り出した。
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