夜の町で

 走る、走る。

 いや、「走る」というよりは「走らされている」といったほうが正しいだろうか。

 何しろ、カナメの走る先に「何か」があるわけではない。

 目的もなく、あるいは走ること自体に何かの意味があるわけでも……ましてや走ろうと思って走っているわけでもない。

 混乱する頭は混乱に任せるまま、思考を放棄したままカナメを何処とも知れぬ何処かへと走らせる。

 死。

 ドラゴンと相対した時にも、やはりそれは感じていたはずだ。

 だというのに、何故今こんなにも「死」が怖いのか。


「はぁ、ぜえはあ……はっ……」


 息が切れる。身体が疲労を訴える。

 カナメの身体を覆う魔力が乱れ、その機能を正常に果たさなくなっているせいだ。

 無駄な放出ばかりが増えていることもまた疲労に一役買っているだろうが……カナメにはそれを気にする余裕すらない。


「ひゅ……ぜ、はあ……」


 工房地区の外れ……潰れた工房や人気のない工房などが立ち並ぶ一角で、カナメはようやく立ち止まる。

 立ち止まらざるを得なくなったとも言えるが……よろよろと壁に手をつき、ずるずると崩れ落ちるように座り込む。

 そうしていると、ようやく少しの冷静さがカナメの中に戻ってきて……自分の行動を思い返しカナメは力なく笑う。

 それは、明確な理由のない自己嫌悪。

 理由をつけようと思えば幾らでもできるのだろう。

 それっぽい理屈など幾らでも捻り出せる筈だ。だが、そんなものに意味はない。

 全ては簡単な……たった一言で説明がついてしまうからだ。


「俺、は……」

「カナメ様!」


 呟くカナメの背後から、軽く息を切らせながら誰かが走ってくる音と……すっかり聞きなれた声がカナメの耳に届く。

 足音はカナメの真後ろで止まり……息を整えるような呼吸音と共にカナメの正面にその誰かは回ってくる。


「……カナメ様」

「エリーゼ……」


 その誰か……エリーゼはカナメの正面に膝立ちになり、カナメの顔を覗き込む。

 暖かな手がそっとカナメの頬に触れ、汗ではない液体に触れてピクリと震える。


「泣いて、いらしたの?」

「……」


 カナメは、答えない。

 答えられるはずもない。

 唐突に突き付けられた死が怖くて逃げだしたなんて。

 呆れられてしまうような……幻滅されてしまうような、そんな気がしたのだ。

 だから、エリーゼの視線を感じながらも目を合わせられなくて。

 けれど、それも気まずくてチラチラとエリーゼを見てしまう。

 そうして視界に入るのは本当に心配そうな表情をしているエリーゼの顔で……視界に入る度、カナメは己の不誠実さにズキンと心が痛むのを感じる。

 その度に自分の情けなさを嫌悪し……しかし、それを覆すような言葉など出てはこない。

 時折出てくる「あ」とか「う」とかいう単語にもならない言葉はより一層カナメを自己嫌悪させ……どうしようもない悪循環となってカナメの中でグルグルと巡る。

 どうすればいいのか、何を言えばいいのか。

 何もわからないカナメの中で焦りだけが高まり……しかし、そんな焦燥ばかりを積み重ねた塔は伸ばされた手によって一瞬で崩されてしまう。


「……あ」

「大丈夫ですわ、カナメ様」


 するりと回された手はカナメを優しく抱くように包み込み、その背中をポン、ポンと叩く。

 何が大丈夫なのか、根拠が示されるわけではない。

 気休めにも等しいその行為はしかし、カナメの中に急速に安定をもたらしていく。

 当然、恐怖が消えたわけではない。だが恐怖を包み込む安定はカナメの震えを止め、失いかけていた言葉をも取り戻させる。


「……レヴェルに、会ったんだ」

「そうなんですのね」


 カナメを優しく抱きしめているエリーゼの心臓の音が一瞬跳ねる音がカナメにも伝わってきたが、エリーゼの優し気な口調には何の変化もない。


「俺はこのままだと死ぬんだって、さ。そう言われたよ」

「……そう、ですか」


 エリーゼの心臓の鼓動が早鐘を打つように早まっているのが、カナメにも分かる。

 だがエリーゼの様子にやはり変化はない。


「笑えるだろ? 今までだって死ぬような目にあってきたはずなのに、いざ死ぬと言われると……すっげえ怖かったんだ。神様にそう言われて、なんかこう……逃げられないような気がしてさ。気が付いたら、逃げてた」


 恐怖が、再び顔を出す。小さく震え始める身体に合わせるように、カナメの目からは涙が零れ落ちる。

 

「この世界に来て、ドラゴンとも戦って……強くなったと思ってたのに。逃げたんだ。威勢のいい事は言える癖に……怖いからって俺、逃げたんだ。アリサは死ぬと分かってても戦ったのに……俺は、逃げたんだ」


 思い返してみれば、今までは心のどこかで「死なないかもしれない」とか「死ぬはずがない」と思っていたのかもしれない。

 だからこそ、突き付けられた「確実な死」に心が折れかけた。

 そうして選んだ行動が、逃げる事。

 それはカナメがいざという時に取る行動が「逃亡」であると……それが本質なのだと突き付けられたようで……だが、エリーゼはカナメにこう囁く。


「……それの、何処が悪いのでしょう?」

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