夜の町で2

「え?」

「アリサが死ぬと分かっていても留まっていたというその状況……私は詳しく存じませんが、恐らくはカナメ様を守る為ではなくて?」

「それ、は」


 そう、確かにそうだ。アリサはカナメを守る為にドラゴンに立ち向かった。

 だが、それが一体なんだというのかカナメには分からない。


「誰だって、死ぬのは怖いですわ」


 死ぬのは怖くないと嘯く者も時折居る。

 だがそれは大体、その者の望む死に方で死ぬのは怖くないという話だ。

 そして多くの者は、「意味のない死」を怖がる。


「死を眼前にした時、誰もが其処に意味を欲しがる……「我が死よ、どうか輝ける明日の礎たらんことを」というわけですわね」

「……はは、ごめん。その例え話分かんないや」


 小さく笑うカナメに、エリーゼもクスリと微笑んで「古い英雄譚の一節ですわ」と返す。


「我が槍は悪竜を貫き万の邪悪を薙ぎ払った。心の叫ぶがままに駆け抜けた我が生涯に悔いはなし。されど、天よ見よ。我が隣に立つ者は居らず、我の後ろに立つ者は知らずのうちに去った。ならば我が生はこの孤独な蹂躙の為にあったのか。嗚呼、ならばなんと空虚な事か。我が生は何も生み出さなかった事を、我はこの槍で証明したようなものだ」


 エリーゼが謡うように語るそれは、英雄王トゥーロよりも更に昔に居たとされる英雄の物語。

 名前すら伝わらず、「名無しの英雄」とか「語らずの英雄」などと言われる孤独な英雄の伝説だ。


「……ならば、せめて。我が死よ、どうか輝ける明日の礎たらんことを……と。自分の死に意味があると思えるからこそ死を受け入れられるという話ですわね」

「でも、俺は……」

「死ねという話ではありませんわよ?」


 カナメを落ち着かせるように、エリーゼは再びカナメの背中をポンと叩く。


「カナメ様がそうなったのは、死の神レヴェルなどという絶対的存在に「死」を告げられたから。意味があるかどうかすら分からない「死」を突き付けられたから。そんなものに覚悟を決めろという方が無茶なのですわ」

「……」


 そうだろうか、とカナメは思う。

 もし違う状況でそうなったとしても、また逃げないという保証などない。


「逃げる事も、悪ではありませんわ」


 だがそのカナメの思考の行き先をも、エリーゼは先回りするように塞いでしまう。


「逃げる事を悪とする思考こそが悪ですわよ」

「で、でもさ。いざという時逃げだすような奴だってことで……」

「カナメ様?」


 エリーゼはカナメから身体を離すと、その肩を掴んで瞳をじっと覗き込むように睨み付ける。


「私、突撃しか知らない狂戦士バーサーカーを夫にするつもりはありませんわよ?」

「え、あ、いや。夫って……」

「大体、私と森に入った時だって一緒に装甲蟻シルドアントから逃げたでしょうに」

「うっ」


 あれは倒したからノーカウントだという屁理屈をこねる事もできるが、そういうことではないと分かっているからカナメは黙り込んでしまう。


「死を恐れてくださいませ、カナメ様。それは正しく貴方を強くします。死の恐怖から逃れたと錯覚したその時こそ、人は死ぬのですから」


 そう、人は誰だって死ぬ。だが何故か力を得た者程「自分は死なない」と勘違いしてしまう。

 たとえ「死なない力」などというものを手に入れたところで、それが人の手に入るものであるならば「死なない者を殺す力」も必ず何処かで生まれる。

 それが世界の論理であり、しかし誰もがそれから目を背けてしまう。


「……逆に言えば、絶対の死などありませんわ。レヴェルも「このままだと」と仰ったのでしょう?」

「あっ」


 死ぬという言葉のインパクトばかりが強すぎたが、レヴェルは確かにそう言っていた。

 つまり、何らかの対策があればカナメは死を回避できる。

 ……それは、カナメが無限回廊で見て回避しようとしてきた事と何が違うというのか。

 気付いてしまえば、途端に恥ずかしくなってきてカナメは赤面してしまう。


「えっと……あー、その……」

「さ、カナメ様。帰ったらアリサも交えて、相談しましょう? いい方法が見つかるはずですわ」

「そ、そうだな」


 立ち上がって手を差し出すエリーゼにカナメはその手を握り返し、立ち上がろうとして。


 屋根の上にいる「それ」を、見た。


「でっかい魔力の気配があったから来てみたけど……どうにもヘタレくせえなあ。こっちに来たのは無駄足だったかもしれねえ」

「え……!?」

「エリーゼッ!?」


 カナメは一気に立ち上がると背中の弓を構えようとして……しかし、何もない空を切る手が「弓を持ってきていなかった」事実をカナメに思い出させる。


 其処にいたのは、緑色の肌の耳長の男。

 雑に切った茶色の短髪と、黄色く光る眼。

 腰に差した剣と手に持った短めの杖を見る限り、どう見ても「町の人間」ではない。

 黒く染め抜いた布の服は如何にも闇夜に紛れそうな装いだが……その肌が緑色でなければカナメは「ファンタジーといえば」で上位にランクインするであろう「エルフ」だと思っていただろう。

 ……だが相手が何であるにせよ、放たれる敵意は隠されもしていない。


「……なんだ、お前」

「お、一丁前に女を庇う度胸はあるんだな。立派立派」


 エリーゼを庇うようにして立つカナメに、男はニヤニヤと笑いながら杖を向ける。


「ま、とりあえず折角だから死んどけ?」


 杖の先に集うのは、魔力。


「レ・サルーレス・フリジアス!」


 男の唱えた言葉と共に杖の先端に輝きが生まれ……二人を包み込むような吹雪が路地に吹き荒れた。

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