腐り果てた人間賛歌

 夜。11の鐘が鳴り終わって少しもしないくらいの真夜中に、ルドガーは宿の扉を遠慮がちに叩く音に気付いた。

 万が一の事態に備えて交代で見張り番をしているのだが……今の叩き方は、仲間を表す暗号ではない。

 ルドガーは黙って剣を手に取ると、素早く抜き放ち扉へと近寄っていく。

 宿の主人は酒場へ出かけているし、家族や親類の類が訪ねてくる時間帯でもない。

 最大限の警戒をしながら扉を開け……そこに立っていた者の姿を見てルドガーは目を丸くする。


「貴方は……カナメ君? どうしたんですか、こんな時間に……いや、とにかく中に」


 どう見ても最低限の装いだけを整えて走ってきたという風のカナメにルドガーは驚きながらも宿の中に迎え入れる。


「ど、どうも……って」

「おっと、失礼。敵かもしれませんでしたしね」


 笑いながらルドガーは剣を鞘に納める。カナメは分類でいえば部外者に近いのだが、今回の件では協力者であり一時的な同志でもある。

 もっと言えば聖国ではなく帝国の仲間になってほしいのだが……まあ、そこまでは高望みだろう。

 聖国のような国をあげてのバックアップ体制を取れるかといえばルドガーにはそれを確約など出来ない。


「それで、何かありましたか? わざわざ従者ではなく本人が来るなんて」

「そ、それが……説明しにくいんですけど。明日の作戦のことで、ちょっと」

「ああ。心配になったんですね? でも大丈夫ですよ。隊長は仕込み武器も持っていきますし、あの子もメイドナイトなのでしょう?」


 攫われたフリをして監禁場所を特定した後に、大暴れして合図を送る。

 万が一合図が届かなくとも無理矢理突入する。そういう手順だからこそ、ルドガーはそんなに心配していなかった。

 たとえどれ程の手練れが居ようと、あの骨の化け物には及ぶまい。

 ならば問題ないと、ルドガーはそう考えていた。

 しかし完全なる敵地に自分の配下のメイドナイトを送り込むカナメの心配もルドガーには分かる。

 恐らくは作戦実行を前にナーバスになったのだろう……と。そんな事を考えてルドガーはカナメを宥めるが、同時に少しの不安もちらつく。

 ルドガーの知っている「カナメ」は、そんな事でわざわざ飛び込んでくる性格ではない。

 だがそうなると、一体。考えるルドガーに、カナメはこう切り出す。


「明日の作戦……とんでもないモノが潜んでる可能性があります。ダリアもルウネも倒せるような……そんな何かが」

「……馬鹿な。そんなものがいるとしたら、作戦の根本に関わってきますよ? 一体何処で得た情報ですか?」


 当然ともいえるルドガーの疑問に、カナメは少し考える。

 言わなければ信用は当然されないだろう。

 しかし、言ったところで信用してもらえるかは分からない。

 最悪、とんでもない妄想野郎だと信用を失う可能性すらある。

 アリサがカナメを信じてくれたのはとんでもない奇跡的なことだということくらい、今のカナメには理解できる。

 ……だが。だからこそ、カナメは「言う」ことを選ぶ。

 無限回廊の「向こう」に居たダルキンが言おうとした「原因」が何かは分からない。

 だがきっと、未来を変えるならば此処しかない。


「無限回廊です。俺はさっき、無限回廊で……恐らくは最悪の未来を見ました」

「無限、回廊」

「信じて貰えないかもしれませんが……恐らくは監禁場所に、何かとんでもない奴がいて……それにダリアとルウネは敗れます」


 その「とんでもない奴」と思わしき少女がアベルの名を呟いたことは、まだカナメは言わない。

 最初から全てのカードを切っても、ルドガーの理解が追い付かないかもしれないどころかカナメが極度の混乱にあると思わせてしまうかもしれないからだ。


「……」


 実際、ルドガーはカナメの正気を確かめるかのようにじっと見つめている。

 ルドガーとて帝国の誇る特務騎士の一人だ。

 聖国の事情はある程度把握しているし、カナメが現代に現れた神の如き扱いをされているのも知っている。だが、それとカナメの言う事を無条件に信じるのとは別だ。


「これは俺の想像に、なるんですが」

「伺いましょう」

「攫われた子は、何らかの実験をされていたのかもしれません。薄暗い地下道……そう、地下道らしき道で繋がっている牢獄が監禁場所だと思うんですが……くそっ! なんて言えばいいのか!」

 

 何故そうなったか、それが何処にあるのかもカナメには分からない。そんな不確かな情報では信頼など得られるはずもない。

 ……が、焦るカナメとは逆にルドガーは何かを考えるように自分の顎に手を持っていく。


「……地下道と地下の牢獄、ですか」


 カナメが嘘をついていないであろうことくらいは、見れば分かる。

 カナメの見たそういう夢という可能性もないではないが、完全に嘘と断じるには気になる点が多すぎる。


「ダリアを、起こしましょう。私が判断するにはこの件は大きすぎる」

「その必要はないわよ、聞いてたから」


 階段の上から聞こえてくる声に、ルドガーは思わず「起きてたんですか」と溜息混じりの声をあげる。


「たまたまよ。それに今の話、もしそれが本当なら……ひょっとすると、囮作戦自体が不要だわ。そうでしょ、ルドガー?」

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