黄金の林檎

 アリサと話した後、エリーゼは「少し歩いてきますわ」と言って部屋を出た。

 アリサの語った話は、つまるところ「住む世界」の話だ。

 自分とカナメとでは価値観の異なる世界に住んでいると。だから一緒になれないと……つまりは、そういう話なのだ。

 だがそれなら、自分はどうなのだろうとエリーゼは思う。

 王族という「違う世界」に住む自分が、カナメをその世界に引きずり込もうとしている。

 その重大さについて、自分はアリサ程に考えていただろうか?

 自分の事ばかりで、カナメの事を考えていない愚か者。そんな言葉が浮かんできて、エリーゼはそれを頭から振り払い……しかし、同じ言葉が重みを増して頭の中に浮かんでくる。


「私は……愚か者ですわ」


 そう呟きながら歩くエリーゼは「何か」にぶつかって……しかし、弾き返される直前で抱き止められる。


「人は皆迷える愚者ですよ、エリーゼさん」


 そんな事を言ってエリーゼを見下ろすのは、イリス。

 こうしていると丁度豊満な胸がエリーゼの顔に当たるのがどうにも癇に障るが、今はそんな事をどうこう言っている気分でもない。


「そんな神官の常套文句のような助言は結構ですわ」


 だから、一言で切り捨て場を離れようとするも……イリスはガッチリとエリーゼを掴んで離さない。


「いいですか。人間には二種類しか居ません。すなわち自分をそうであると理解する愚者と、自分は賢人であると勘違いする愚者です」

「その話が私に何の関係があるんですの」

「何の関係も何も。自分を愚者であると理解する事からすべては始まります。「愚者であるが故に間違う事は定めであり、故に前進可能である。賢人であると驕る愚者に先はなし」と申します。エリーゼさんが何に対して自分の過ちを自覚したかは存じませんが、今エリーゼさんの行く道には「先」が出来たということですね」


 先。そんなものは、本当にあるのだろうか。

 後戻りなど、もう出来はしない。

 好きになる前に……出会う前にも戻れない。

 違う、戻りたくなんてない。

 後戻りなんか嫌だ。諦めるのも嫌だ。

 だって……もう、好きになってしまったのだ。

 

「……その「先」には、その愚者が望んでいた未来はあるのかしら?」

「願っていたよりは遠回りであるかもしれませんね。ですが、きっと最善の道に辿りつきます」


 たとえばそれは、あらゆる怪我や病を治すと伝えられる黄金の林檎の昔話。

 その輝きに魅せられ「金になる」と林檎しか見えなくなった男と、弟の病を治す為林檎を欲した女が居た。

 女が林檎を欲していると気付いた男は目の前の断崖絶壁を登れば最短で辿り着くと考えた。

 そして同時に、女にはその手段は取れないと侮るが故、「自分に出来る」それが最善であると考えたのだ。

 そして男の目論み通りに女は男のように断崖絶壁を登る事は出来なかった。

 仕方なしに女は違う道を探そうとしたが、林檎の木の生える岩山には緩やかな道など何処にもなかった。

 どれも男の登り始めたような断崖絶壁で、仕方なしに女は岩山の下から男に林檎を一口分分けてくれないかと頼んだ。

 だが男はそれを笑い、完全なる林檎以外に意味はないと吐き捨てた。

 しかし、その男も断崖絶壁を中々登る事が出来ず……二日後にやっていられるかと吐き捨て去っていった。

 だが、女は諦めなかった。男の諦めた断崖絶壁を登ろうと工夫を凝らし……それでも、一週間たっても登れなかった。

 そんな女を見ていた一匹の鷲が、女に「何故そんなにその山に登りたいのだ」と問いかけた。

 女が「弟の病を治すために林檎を欲しています」と答えれば、鷲は「ならば薬を使えばよい。それとも薬を買う金が惜しいのか」と更に問いかける。

 それを聞いて女は崖を登るのを止め、鷲に「いいえ」と答えた。

 すでにあらゆる薬を求め、あらゆる医者を頼った。服を売り家財を売り髪も売って、残る頼りはこの身と、黄金の林檎の噂のみ。ならば諦めるわけにはまいりません、と。

 ならば、と更に鷲は女に問いかける。

 私はあらゆる万病に効く薬を持っている。人の世には出回らぬ神の薬だ。お前が私にその身を売るというのであれば譲ってもよい、と。

 女がそれに首を横に振れば、鷲はそれを嘲笑う。所詮その程度か、自分を犠牲にする覚悟はないか……と。

 だが、女はそれにも首を横に振り答える。この身は惜しくはありません。しかし弟の病が治り私が居なくなれば、弟は何もない家に一人きり。ですから、弟が一人でも生きていけるだけのものを残せる時まで、私は貴方にこの身を捧げるわけにはいかないのです、と。

 それを聞いた鷲は翼を広げると岩山の上へと飛んでいき、黄金の林檎を咥えて女の元へと舞い戻る。

 なんと強欲な女か。それを持って去るが良いと言い残し飛び去った鷲に一礼すると、女は弟の元へと向かうが……家に辿り着いた女が見たものは元気になって飛び回る弟と……家の中を飾る家具の数々。

 そして、自分に黄金の林檎を与えた鷲を思わせる目の男であったという。


「……そのお人好しの鷲人間が居なければ、女も林檎は手に入りませんでしたわね」

「昔話ですから。それに鷲が来ずとも、幾千幾万の工夫の果てに女は林檎をとったかもしれませんよ? この話で大切なのは」

「諦めずに挑戦する事。それこそが目的達成の唯一の道である……でしょう?」

「ご存じでしたか」


 照れたように笑うイリスに抱きしめられたまま、エリーゼは溜息をつく。


「ご存じも何も、レクスオール神殿の神官はその話大好きじゃありませんの」


 ……だが、確かにそうだ。

 住む世界が違うと諦めるのは簡単だ。しかし、それは「崖を登れず諦めた男」と同じで、他の手段など無いと決めつけている事だ。

 確かに問題は多い。黄金の林檎の岩山のように困難を極めるだろう。

 それでも、エリーゼもカナメも同じ人間なのだ。

 ならば、それはきっと解決できる問題だ。

 アリサのように大人の顔をして諦めるなんて、そんな事は絶対に出来ない。

 幸せを望んで身を引くなんて、絶対に嫌なのだ。


「……でも、参考になりましたわ」


 だから、エリーゼはイリスに笑顔でお礼を言う。


「ありがとう、イリス。私も、絶対に諦めませんわ」

「いえいえ。お役に立てたなら神官騎士として嬉しいです」

「あと、カナメ様は貴方にはあげませんわよ!」


 ビシッと指を指して宣言すると、エリーゼはその横を通り過ぎる。

 

 そう、諦めない。嫌われても、また振り向かせる。

 だから、まずはこの戦いが終わったら。

 そうしたら私も「崖」を登ろうと。

 エリーゼは、そんな決意を秘めて廊下を歩いて行った。

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