クラン誕生

 その日、「クラン」と呼ばれる組織が聖都でスタートした。

 その建物は聖都に存在する各神殿の本殿と変わらぬ大きさの、石造りの三階建。

 大神殿の近くを区画整理して作られただけはあって、高い壁で区切られたクランの敷地は広い。

 正面の重厚な門から中に入れば、そこはすぐにクラン本部の入口がある。

 正面入り口の上に掲げられた紋章は、守護の象徴である盾とレクスオールの弓を現したものが描かれている。

 ちなみにこの紋章の決定に至るまでには、カナメが物凄い勢いで押し切られたりしているが……それはさておき。

 今日からは各神殿で仲介していた依頼もクランが一括管理すると聞いた冒険者達が、朝からチラホラと見え始めている。


「……思ったよりも混雑してないんだな」


 それを二階の「クランマスター」の部屋の窓から見下ろしているのは、そのクランマスター本人であるカナメだ。

 カナメとしては各神殿に分散していたものが纏まるからには物凄い人数が来るのではないかと心配していたのだが、意外にそうでもない。

 十人か二十人……そんなところだろうか?


「そりゃそうでしょ。聖都に来る冒険者はエルみたいなのが多いんだし」

「うぐっ、ひてて」


 カナメに乗っかるようにして窓から顔を出したアリサの重みに思わずカナメが唸るが、その瞬間にアリサに頬を抓られる。


「依頼を受けるとしたら、それこそダンジョンに安心して潜れる金がないとか。ダンジョンにあんまり興味ないとかいう変わった奴とか。あとは……初心者とかかな?」


 神殿ではなくクランに依頼仲介の業務が移ったことで、神官に顔を覚えて貰おうとかいう下心を持った冒険者も来なくなるだろう。

 まあ、その代わりに神官には頼みにくい……といった類の依頼も持ち込まれる可能性は出てくるだろう。

 他にも出来たばかりで浸透していないというのも理由の一つだ。

 今まで通り神殿に行ってクランを紹介されるという冒険者もある程度いるはずだ。

 

「しかしまあ……なんていうか、セラトさんの手際は凄いよなあ」

「有能だからね、あの人」


 なにしろ施設の完成の三日後には、すでに職員の選定どころか教育が終わっているという完璧ぶり。

 しかも全員、各神殿の若手神官達である。

 ぶっちゃけた話、彼等の配属先としての意味もあるのだが……下手に外部から招くよりはいいし、聖国の組織の一部であるからには正しい姿でもある。

 無論、そうとは分からないように彼等の制服は白を基調とした全然別のものになっている。

 ちなみに建物の二階は各種資料の保管庫や会議室、今いるクランマスター部屋などのクラン関連施設。

 三階は、クランの本当の設立目的の為の空間となっている。

 そちらに専念できるように、クラン自体はカナメが何もしなくとも回る。

 ヴェラール神殿から派遣されてきた「副クランマスター」が、そういう雑務を全て請け負うというレクスオール神殿方式が採用されているのだ。

 これはという情報があれば、そこから即座にカナメに回ってくるようになっている。

 よって、普段のカナメはクランマスターなどといったところで暇である、はずなのだが。

 クラン設立が聖国より各国に通知されて以来カナメの周りに諜報員がウロウロするようになったらしく、たまにルウネの姿が消えて鈍い音が何処かから響く事もある。

 まあ、それも仕方ない。

 なにしろ、最近カナメの名前に微妙に変化があった。

 ただのカナメから「カナメ・ヴィルレクス」という名前になってしまったのだ。

 意味としては「レクスオールの如き者」という造語であるらしく……一度は固辞したものの、土下座に近い勢いで押し切られてしまったものである。


「……ねえ、カナメ」

「ん?」

「カナメは、これからどうするの?」


 カナメに圧し掛かったままのアリサの問いに、カナメは苦笑する。


「どうもこうも。まだ何も始まってないだろ?」

「そうだね。だから今、聞いておきたいかな」

「え? 何がだよ?」


 圧し掛かられているせいでアリサの顔は見れないが、視線だけでアリサの顔を見上げようとして。

 そんなカナメに、アリサの言葉が降ってくる。


「元の世界。帰りたいと思ったことはないの?」

「……なんだよ、今更」

「たぶん、ここが引き返せる限界点だよ。今ならまだ、全部投げ捨ててしまえる。此処から先は、もう世界がカナメを手放さない」


 アリサとしては、カナメが適当に生きていきつつ元の世界に戻れる道を見つけられれば……と思っていた。

 しかし、カナメはどんどん大きな事件に巻き込まれ……ついには世界に残るレクスオールの力などというものと繋がってしまった。


 世界を守る組織を作る。それはいい。

 カナメの居なくなった後にも世界の平和を守れるような仕組みを作るというのは、良い事だとアリサは思う。

 だから反対しなかった。

 ……だが、そのトップとして動くとなれば世界の流れと深く……強く関わっていく事になる。

 名前だってそうだ。

 カナメの本当の名前はカナメ・ヴィルレクスなんかではない。

 確かカナメ・シンドゥーとかいうものであったはずだ。

 その名前はアリサしか知らないが……アリサは、それを強く覚えている。

 だが此処から先に進めば、それを捨てることになる。

 それでいいのかと。アリサはそうカナメに問いかける。


「……これは、秘密なんだけど」


 呟くような、アリサにしか聞こえないような……そんな声で、カナメは囁く。


「あんまりもう、元の世界の事……覚えてないんだ。たぶんレクスオールの記憶の焼き付けとかいうやつが、影響してるんだと思うけど。思い出そうとしても、ほとんど何も出てこない」


 悲しくはない。覚えていないから。

 カナメが覚えているのは、アリサと会う直前の……無限回廊からの記憶。

 アリサを助けたいと望んで、此処に辿り着くまでの……その記憶がカナメの持っているほぼ全てだ。


「たぶん元の世界に帰っても……違和感しか感じないと思う。俺にとってはもう、「あっち」の方が異世界なんだ」

「……それは」


 それは、とても悲しい事だとアリサは思う。

 覚えていなくとも、そこにはきっと大切な誰かが居たはずだ。

 だが、そこに帰っても……カナメはもう、それをそうだと認識できない。


「俺はもうきっと、新堂要じゃない。カナメ・ヴィルレクス……それが、今の俺なんだ」


 だから、これでいいんだとカナメは思う。

 たとえ此処から先はもう引き返せないとしても、振り返る気は無い。

 其処にはもう、何もないから。

「要」は暗闇の中に消えて、ここにいるのは「カナメ」なのだから。


「……私のせいだね」


 カナメを、アリサは強く抱きしめる。


「私が、カナメをここまで導いた。そうなる前に、いつでも止められたはずなのに」


 聖国に来るのを反対してもよかった。

 ミーズの町なんか、見捨てたってよかった。

 プシェル村の依頼なんか、放棄してカナメを他の町に連れていく事を優先したってよかった。

 こうなる前に、止めるチャンスはいくらでもあった。

 カナメをそういう方向に導こうとする無限回廊の事を無視しろと窘めてもよかった。

 でも、それをしなかった。


「……それは違うよ。全部、俺が選んだことだ。後悔なんかしてない」

「覚えてないからでしょ」

「かもな」


 ハハッとカナメは笑う。

 本当に何も気にしていないように見えるその笑顔が、アリサには痛々しい。


「でも、本当に後悔なんかしてないんだ。元の世界で俺がどんな奴だったかは覚えてないけど……今の俺は、生きたいように生きてる。大切な人もいる……後悔なんか、するはずもないよ」

「大切な人?」

「ああ」


 短く答えるカナメに、アリサは「ふーん」と……やはり短く返して。カナメからそっと離れて身を翻す。


「なら、安心……なのかな?」

「アリサのおかげだよ。アリサがいたから、俺は此処に立ってる」

「エリーゼは?」

「そりゃ勿論、感謝してるよ。エリーゼがいなきゃ出来なかった事もあったし」

「イリスは?」

「イリスさんも……って、アリサ?」


 カナメが振り向くと、アリサはドアの近くまで歩いて行ってしまっている。


「そういうのはね、「大切な人達」っていうの」

「あ、いや。そうだけどさ。え、なんか怒ってる?」

「何処に怒る理由があるのさ」

「え、でも。ええ?」


 ドアに手をかけたアリサは、そこで振り返って。


「……そういえばさ。カナメがある程度どうにかなるまで、私が面倒みてあげるって言ったけど」


 そう言った瞬間に、カナメは物凄い勢いでアリサに走り寄り肩を掴む。


「何処か行くつもりなのか!?」

「へ!? い、いや。今のところそのつもりはないけど」

「じゃあまさか、ソロで活動する予定だとか」

「そ、その予定もないかなあ」

「……よかった」


 崩れ落ちそうな調子で息を吐くカナメに、アリサは思わず苦笑する。


「もう必要ないね、って言おうとしただけなんだけど」

「必要だよ」

「ん?」

「俺はアリサがまだまだ必要だよ……怖い事、言わないでくれよ」

「んー……ていっ」


 アリサに頭にチョップを落とされ、カナメは「いてっ」と声をあげる。


「な、何すんだよ」

「カナメはこれから人を率いるリーダーでしょうが。私を引っ張っていける男になりなよ」

「アリサを?」

「そだよ?」


 その言葉に、カナメはしばらく考え込んだ後に……「頑張るよ」と答えて。

 アリサはカナメに「期待してるよ」と言って笑うのだった。

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