その世界に、ただ一人
その場所には、誰も居ない。ただ一人、彼を除いては。
その場所は、神の世界と呼ばれている。今はただ、彼一人。
運命の神ヴィルデラルト。そう呼ばれる彼は、彼の頭くらいの大きさの透明な球体……たとえるなら、水晶玉のようなソレを覗き込んでいた。
そこに映るのは、愛すべき人類の世界。
彼が、そして此処には居ない彼の仲間達が、命がけで守った世界。
……そして、その1人。彼の友人でもあった弓の神レクスオールの生まれ変わりである、男の姿。
「……ディオス。君の目論見通りになったよ」
魔法の神ディオス。魔法を司る彼の作った再臨の宮は、正しく機能した。
生まれ変わった神々に元の世界への愛着を捨てさせる為の、記憶の焼き付け。
そう説明していたソレが成功しようとも成功せずとも、ディオスには構わなかった。
要は、元の世界への愛着を捨てられるように……そこを上書きしてしまえば全く問題はない。
それをする為に、ディオスは無限回廊にも仕掛けを施していた。
「肉体の作り替え。それもまた正常に機能している。彼はもう、完全に魔人だ」
そう、肉体の作り替え。
かつての英雄王が半端ではあるが無限回廊を通る事で戦人に近い存在になったように。
カナメが、魔人になったように。
その肉体と魂は、ゆっくりと……ゆっくりと内部から変えられていった。
最初は、言語能力を彼の居た世界のモノからこの世界のモノへ変える程度の細やかな変更。
記憶も、元の世界の事が思い出しにくくなるような……その程度。
力が目覚めた後は、加速度的に。
……だから彼が、カナメが元の世界に帰らないことを選んだのは、正しい。
元の世界に帰ったところで、彼はもう元の世界の言葉など分からない。
彼には……もう、元の世界の自分が何処の誰であったかも分からない。
知らない人間が知らない言葉で喋る世界は、カナメにとって苦痛でしかないはずだ。
「……アルハザール。君が僕とディオスの企みを知ったら、激怒するだろうな」
きっと、動かなくなる直前まで殴ろうとするだろう。ひょっとしたら、そうなる前にシュザラードが止めてくれるだろうか。
カナンは、きっと止めないだろう。倒れる自分を見下ろして「当然の結果よ。何考えてんの。愛が無さ過ぎよ」とでも言うだろうか。
でも彼女の事だ、自分とディオスの企みが世界への愛ゆえであることも分かってくれるはずだ。
……それでも、認めはしないだろうけど。
「レクスオール」
もう居ないかつての彼の事を、ヴィルデラルトは思う。
きっと彼も、こんな所業を許しはしないだろう。
ディオスとヴィルデラルトのやった事は、疑いようもなく悪だ。
だが、それでも……これしかないことは、分かっていたのだ。
ゼルフェクトの欠片は蘇りを画策し続け、その影響はダンジョンとして各地に萌芽している。
世界に残った神々の力で押さえつけるのも、もう限界に来ている。
「……分かってほしい。レクスオール、そしてカナメ君。この世界には、どうしても新しい神が必要なんだ。肉体を持ち、ゼルフェクトの欠片と……奴等と戦える……新しい、神が」
ヴィルデラルトではダメだ。ヴィルデラルトは戦う力に欠けているし、万が一ヴィルデラルトが死ねば「次の策」が打てなくなる。
魔法の神であるディオスがこの場に残っていればどうとでもなったのかもしれないが、彼は全てをヴィルデラルトに託し逝ってしまった。
その彼の生まれ変わりを呼び戻し導く事も、今は出来ない。
「……真実を知ったら、君は……いや」
悲しげに笑うような、自嘲するような……あるいは、泣くような。そんな複雑な笑みを、ヴィルデラルトは浮かべる。
「きっと君は、僕を責めないのだろうな。それとも、責めようとしつつも「今更どうしようもない」と自分を抑え込んでしまうのだろうか」
カナメは善人だ。どうしようもないくらいに善人で、自分を抑える事を美徳と考えてしまっている類の人間だ。
それはかつてのレクスオールとは違うようで……しかし、根本はやはり似ている。
彼もまた、苦しい時に笑うのが上手だった。自分を隠すのが……とても、上手かった。
誰も知らないところで苦しむのが、上手だった。
「せめて僕は、僕に出来る範囲で君を助けよう。それで許されるとは思っていないし、許されるつもりもない」
何故なら、反省しているわけではないからだ。
この行為が悪だと……ヴェラールの天秤に間違いなく判定されるとしても、必要な事だと。
そう信じているからだ。
「だから、僕は君を騙し続けよう。君はひょっとしたら気付いているのかもしれないが、僕は真実を君には告げない。全ては偶然だと、偶発的な事態の末だと君に言い切ろう。世界は善に満ちているのだと、演じ続けよう」
それが、生き残ったヴィルデラルトの背負うべき事。
ディオスから託された、ヴィルデラルトの仕事。
共に戦った神々の全てに罵られようとも為すべき、たった一つの……世界を守る為の方法。
「クラン、か」
世界を守る為の組織。
カナメがいなくとも、それを出来る為の組織。
それが上手く回っていくかは、ヴィルデラルトには分からない。
運命の神などといったところで、そんな先の未来まで見通せるわけではない。
「応援しているよ、カナメ君」
その場所に、彼はただ一人。
数千年、数万年。
過去も、今も……未来も、たった一人のこの世界で。
ヴィルデラルトは、寂しそうに笑った。
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