夜の来訪者

「……ん?」


 夜になり、月が天で輝き始めた頃。

 銀狐の眉毛亭の部屋で寝ていたカナメは、何かの音に気付き目を覚ます。

 コン、コン……と。

 規則的にドアを叩くような、そんな音。

 この宿に今泊まっているのはカナメ達だけだから、当然来訪者もその範囲に限られる。

 しかしエリーゼは夜はしっかり寝てしまうほうだから、アリサかイリスだろう。

 いったい何の用事だろうかとカナメは眠い目をこすりながらドアを開け……しかし、ぼふっと抱き着いてきた誰かに押されるようにしてヨロヨロと後ろに下がる。


「うおあっ……」


 その誰かはカナメから離れると、口元に人差し指を当てて静かに、と示してみせる。

 暗い中ではあるが、見えた顔に……カナメは思わず「えっ」という声をあげる。


「ハ、ハイロジア王女様……?」

「そうよ、カナメ。あ、しー、静かにね。ハインツはクシェルに相手させてるけど、アイツ無駄に勘が良いし」

「え、あの。全く話が見えないんですが」

「いいから。早く着替えて。奢ってあげるから、外行きましょ?」


 見てみれば、ハイロジア王女の服は何やら地味で、王女というイメージからはあまり合わない茶色の厚手の布の服だ。

 腰には剣を差してはいるが、やはり地味な長剣で……どちらかというと冒険者といった装いに近い。

 マントも濃い緑色のそれで、より具体的に言えばレクスオール神殿のマントだ。


「その服……」

「早く着替えて外にきなさい。待ってるから」


 そう言って部屋を出ていくハイロジア王女を見送ると……カナメはどうしようかと悩む。

 今のは間違いなくハイロジア王女だが、誘いにのっていいものかどうか。

 出来ればアリサに相談したほうがいいのだろうが……と、そこまで考えたときに扉の向こうからハイロジア王女が顔を出す。


「言っておくけど、これ王族命令よ。他の人には話さずに、迅速に行動なさい」


 そう言って再び姿を消すハイロジア王女に……カナメは仕方ないかと溜息をつく。

 なにがなんだか分からないが、とりあえず殺されはしないだろう。

 いつもの服を着て、マントを羽織り……少し考えてから、ナイフを腰に差して弓を背負う。

 

「……まあ、いざとなったら逃げよう」


 そんな後ろ向きな事を呟きながらカナメは念の為と少しだけ残っていたドラゴンの鱗を懐に入れて部屋を出る。

 そのまま階段を下り、ロビーにいた主人に「すみませんが、行ってきます」と声をかける。


「すみませんね。流石に相手が王女様では如何ともしがたく」

「いえ。仕方ないですよ」


 そう答えて宿を出ると、そこにはハイロジアが退屈そうにしながら待っていた。

 だがカナメを見つけるとパッと顔を輝かせ、腕に自分の腕を絡めてくる。


「来たわね。さ、行きましょ」


 そう行ってカナメをぐいぐいと引っ張っていくハイロジア王女に引きずられるようにして歩いていくカナメだが……本当に今の状況が理解できずに待ってくださいと声をあげる。


「ん、何よ」

「どういう状況なのか、本気で分からないんですけど……」

「どうって。言ったじゃない。奢ってあげるって」

「いや、そうじゃなくて。なんで突然……」


 正直に言って、カナメはハイロジアに奢られる理由がない。

 何か内密の話……たとえばエリーゼの事で何かあるのではないかと思いもしたが、そういう感じでもない。

 かといって、昼間の件の続きというような真面目な雰囲気でもない。


「んー……まあ、歩きながら話しましょ」


 そう言って歩き出すハイロジアにカナメも仕方なくついていき……横並びになったところで、ハイロジアは口を開く。


「強引だったのは謝るわ。でも貴方を誘ったら間違いなくエリーゼもついてくるし。二人で出かけたかったのよ」

「えっと、だからどうして……」

「理由はそうね。帝国との話し合いに決着がついたの。あの神官女の言った通りに、全部棚上げ。聖国が絡んでくると分かった以上、現状維持で決着でしょうね。で、こっちの懸念が片付いたお祝いと……町を守ってくれた貴方への個人的なお礼。あとは全部貴方への興味。こんなところかしら?」


 興味、と言われてもカナメとしては困ってしまう。

 話せることは多くないし、まさかハイロジアにまで無限回廊の事を話すわけにもいかない。

 レクスオールがどうのこうのと言われているのだから、興味を持たれるのは仕方のないことではあるかもしれないが……。


「どうせ私が英雄好きなのは聞いているでしょう? なら、私が「夫候補に成り得る男かどうか、もっと話してみたい」と来訪する事も予測すべきよ」

「ええ……?」


 ハイロジアの発言にカナメの思考はフリーズし、無理矢理再起動させて今の発言の意味を分析し始める。


「えっと。ハイロジア王女様って、なんかこう筋肉の凄い人とかが好みって話を聞いたような」

「違うわよ。私が好きなのは英傑とか英雄とか呼ばれるような男よ。別に筋肉があれば英雄になれるってわけでもないでしょうに」


 そういえばそうだっただろうか。しかし、その割にはハイロジアの周りにいる騎士達の筋肉は結構凄かった気もするのだが……。


「まあ、そういう男の筋肉が凄かったり、荒くれものが多いのも否定しないわ。そういう連中ばかりだから、私の婚約者候補も決まらないのよ」

「は、はあ……あ、でも俺の事魅力がないとかなんとか」

「知り合ってすぐに「貴方の事全然知らないけど魅力的だから姉妹で奪い合いたいわ!」とか叫ぶ馬鹿が居れば会ってみたいものだわ。あ、それと! 私の事はえーと……ハロって呼んでちょうだい。今はお忍びなんだから敬語も禁止よ!」


 そんなハイロジア……ハロの言葉にカナメは再び「はあ」と答える。

 後で確実にエリーゼに怒られるな、とそんな事をカナメは考えるが……まあ、仕方ないと諦めて。

 そうして二人は、人のごった返す町中へと歩いて行った。

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