朝
「ん……」
違う何処かから、この世界に戻ってくる時の微妙に何かが「ズレた」ような感覚。
意識、あるいは魂が剥離した先から戻ってきたというのが正しいのかもしれないが……微妙な気怠さが、カナメの意識の覚醒を阻み眠りの世界に連れ戻そうとする。
「……」
こうしてヴィルデラルトの場所に行った後は、誰かに起こされるのが毎回のパターンだったが……今日は誰かに起こされているわけでもない。
新しい組織の建物、人員……色々なものはセラトやイリスの協力で進んでおり、朝から急いで何かをしなければならないような案件もない。
ならば、このまま二度寝してしまおうか。
そう考えて、重い瞼を開けて……そこにあった顔に気付き、急速に意識を覚醒させる。
「おはようございます、カナメ様。お目覚めになられましたのね」
「え、あ。お、おはよう……?」
「今日も良い天気ですのよ」
そう言って笑うエリーゼに、カナメは曖昧な返事を返す。
起き上がったカナメは、ベッドの脇にある椅子に座っているエリーゼをじっと見る。
騒ぎになるからと大神殿に宿を移して数日になるが……朝起きたらエリーゼが居たというパターンは初めてだ。
というか、ここ数日微妙に避けられていた気もしたのだが……目の前のエリーゼからはそんな雰囲気は感じない。
「ん、えっと……」
「カナメ様」
何か話題を探そうとしたカナメの言いかけた言葉を、エリーゼの声が遮る。
「私は、カナメ様に謝らなければならないことがありますわ」
「へ?」
「カナメ様が、あのタカロとかいう男を矢に変えた時の話ですわ」
「あ、ああ」
エリーゼの話を聞くべく、カナメはベッドに座ったままエリーゼに向き直る。
膝を突き合わせて向かい合うような格好になったエリーゼは、カナメに視線を合わせ、外し……また合わせてを繰り返す。
何かを言いたそうで、しかし言えないといった様子のエリーゼに、カナメは自分から何かを言うべきかと口を開きかける。
たぶん、たぶんではあるが。エリーゼが何を言いたいかは予想できているのだ。
「えっと、エリーゼ。俺は」
「私は、あの時カナメ様を恐ろしく思ってしまったんですの」
だが、カナメの声が合図になったかのようにエリーゼの口から言葉が紡がれる。
カナメの予想していた通りの言葉。
そう思われて当然だと思っていた言葉。
「……最低だと分かってはいます。散々好意を示しておきながら、あの体たらく。アリサなど、カナメ様をこれ以上ないくらいに理解していたというのに。私は……」
人を矢に変える。
そんな前代未聞の魔法を恐ろしく思わない人間など、普通は居ない。
そして王族であるエリーゼには、その恐ろしさが誰よりも理解できる。
血を重視し、貴族主義と権力闘争の蔓延る王国。その中にあって、「邪魔な者を矢に変えてしまえる」力があったとしたらどうだろう。
政敵を暗殺などせずとも、矢に変えてしまえば証拠も残らず抹殺できる。
王すら、その魔法を使えば自分の都合の良い者に差し替える事も可能だろう。
簡単な事だ。邪魔な者全てをこっそり矢に変えてしまえばいい。
死体も上がらず、証拠も見つからない。その矢こそが証拠であるなど、何処の誰が信じるというのか。
そんな力を持つ事がバレれば、カナメの王国での価値と危険度は急上昇する。
何が何でもカナメを取り込もうという話になるだろうし、もっと言えばカナメを取り込んだ陣営こそが最も次代の権力の座に近くなる。
だから、恐ろしい。
最初は単純に、カナメの力が恐ろしかった。
次に、カナメの示してしまった価値とそれの招く事が恐ろしかった。
そして……そんな計算をしてしまった自分が、一番恐ろしかった。
「いや、怖がられて当然だと思う。相手の力が自分に向けられたらと思うのは当然だよ」
「そうじゃないんですの。私は、カナメ様の価値が上がってしまうのが恐ろしい。そして何より、そんな価値だとかいう視点で見てしまう私が嫌なんですの」
「価値……」
「私はきっと、どこまでいっても王族ですわ。そう生きてきたから、それ以外を知りません。カナメ様を好きと考えるのと同じ頭で、国の事を考えてる……そういう人間なんですの」
なるほど、エリーゼは王族であり姫だ。
カナメとの出会いもその「国の利益」絡みであったし……今も、その延長のような形ではある。
もしエリーゼとの関係がこの先進むとしたら、恐らくは……カナメを取り込む為に婿入りといったような話だって出てくるだろう。
「……エリーゼは、俺を好きだって言ってくれたよな」
「はい」
「俺が万が一、何もない無能になったら……それでも、俺を好きで居てくれるか?」
「……それ、は」
即答は出来ない。
最初の出会いからして、カナメの弓に目を付けたのが始まりなのだ。
王族としても、何もないカナメ相手に結婚など認められないだろう。
「あ、いや。ごめん。これは卑怯な聞き方だった。誰だってこんな事言われたら即答なんか出来ないよな」
「いえ。でも、アリサなら。それでもいいと言いそうな気もしますわ」
「それはどうかなあ……アリサは結構シビアな気もする……「無能なりにどうにかする算段はあるって前提?」とか聞き返してきそうだし」
「かもしれませんわね」
思わずクスッと笑うエリーゼに、カナメも笑い返す。
「んー……とりあえず、さ」
「はい」
「俺は、エリーゼを嫌いになったりなんかしない。アリサだって俺を無条件に肯定してるわけじゃないし……まあ、気にするなっていうのも無理なんだろうけど……んー」
カナメは悩み唸った後に……「まあ、とりあえず」と口にする。
「ゆっくりやっていこうよ。俺もエリーゼに「王族やめちゃえば?」なんて言えないし」
「アリサなら言いそうですわ」
「ああ、言うかも……」
苦笑するカナメに、エリーゼはふと思いついたように言葉を紡ぐ。
「ねえ、カナメ様」
「え?」
「もし、私がカナメ様の為に王族であることを捨てたら……責任、とってくださいますの?」
その言葉に、カナメは一瞬固まって。
「その時は……覚悟、決めるしかないかな」
頼りなげではあるが……しっかりと、そう答えた。
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