穏やかな朝
そして、朝。
手早く準備を整えて出発してしまったハインツを見送った要は、隣のエリーゼをちらりと見る。
「どうされましたの、カナメ様」
「えーと……なんていうか、さ。エリーゼって、旅の宝石商……なんだよな?」
「それがどうかなさいまして?」
「ん、んん……」
それは、ちょっとした違和感だ。
確かエリーゼとハインツの自己紹介は「没落貴族であり、旅の宝石商」であったはずだ。
だが今朝ハインツは「仲間があちこちに散っている」と言っていた。
てっきりエリーゼとハインツの二人旅だと思ったのだが……実は、規模が大きかったのだろうか?
だがそれ程多くの仲間を抱えているのに「旅の宝石商」というのは……少しばかり、引っかかるものがある。
資金に関してもそうだ。かなりの資金力があることをハインツは匂わせていたが……そこまでの資金力があるのにまだ「没落」のままなのだろうか?
だが、それを上手く言葉にしてエリーゼに伝える自信が要にはない。
アリサなら上手く言えないだろうか、いやむしろアリサなら気付いて何か言わないだろうか……などと少し情けないことを考えながら要はアリサに視線を向けるが、アリサは知らん顔だ。
……ちなみにだが、アリサは当然「その違和感」には気付いている。
気付いているが……ハインツの「契約金」はその違和感に対する口止めと……フォローの為の料金も含んでいるとアリサは理解している。
どういう事情でどういう身分か知らないが、アリサの見る限りエリーゼは「旅の宝石商」などでは断じてない。
行動がそういう「儲け話を逃がさない連中」のものとは異なっている時点でそれは明らかだ。
……が、そういう連中を突っついてもロクなことになりはしない。
特に今回の場合、どうにも要に目をつけているらしい。
聞いた限りの事を目の前でやったなら当然の反応だし、悪人なら何とか遠ざけようとも思える。
しかし結婚云々は本気か知らないが、まあ悪人ではないのは確かだ。
命の借りもあるとなれば……アリサから、それに関して突っつくつもりは一切無かった。
「んー……」
アリサが知らん顔をしているのを見て、要は困ったように天を仰ぐ。
今更なんでもないとも言えず、どう誤魔化すかという考えに至っているのだが……それをエリーゼは見上げて、悪戯っぽく笑う。
「確かに、カナメ様が想像しておられたよりも資金も人材もありますわ」
「あ、ああ」
「夫になりたくなりまして?」
「いや、それはちょっと……」
それで承諾するのはヒモであることを喜びとする男くらいなものだろう。
「はいはい、そのくらいで。カナメも、もう今更でしょ」
アリサの溜息まじりの言葉に、確かに今更だと要も思う。
もうハインツは出発してしまったし、エリーゼは此処に残っている。
ハインツに任された以上、要にはエリーゼを守る義務があるし……何より、エリーゼとハインツからの借りを作ったままでもある。
必要があれば、きっとエリーゼから話してくれるだろう。
そんな逃避にも似た結論で、要は思考を停止する。
「……まあ、うん。よろしく」
「はい。よろしくお願いいたしますわ!」
そう言って微笑むエリーゼから要は何となく顔を逸らし……誤魔化すように反対側に立つアリサに話しかける。
「えーっと。それでアリサ、今日はどうするんだ?」
「ん? そうだなあ……とりあえず神殿行って、それから冒険者ギルドかな。要の水袋と、マントが要るしね」
「カナメ様なら、当然レクスオール神殿ですわね」
「まあねえ。それ以外が似合うイメージも浮かばないし……」
アリサとエリーゼの二人でどんどん話が進んでいくが、その辺りの事情の分からない要には「確かレクスオール神殿のマントは緑色だったような……」などと考えるくらいしか出来ない。
「じゃ、早速行こうか」
「え……今から?」
「そ、行くよ」
そう言って歩いていくアリサを慌てて追いかける要の横をエリーゼが歩く。
その迷いの無い足取りに要は「この街来た事あるのか?」と問いかける。
「あるよ。いい街だと思ったんだけど……あんなアホが支部長やってたとは知らなかったなあ」
「騎士団の内情なんて、一々公開しませんもの。仕方ありませんわ」
「流石に今は大丈夫だろうけど、あまり長居はしない方がいいかもしれないね」
アリサの言葉に、エリーゼは無言で微笑むだけで返す。
今後もその心配は一切ないだろうが、此処で言うべき事でもないからだ。
早朝の街中はまだ気だるげな雰囲気に包まれており、しかし仕事に急ぐ者や丁度仕事帰りの者が行き交う時間でもある。
それ狙いの屋台などもすでに出ており、果物を売る屋台の主人が欠伸をしているのが分かる。
「……なんか、呼び込みとかしてないんだな」
「うるさいじゃない、こんな朝から呼び込みしたら」
「街によりますけど、早朝と真夜中の呼び込みは規制されている所が多いですわよ」
破れば罰金な為、それでも呼び込みをしようなどという者はそうはいない。
僅かな稼ぎを罰金で台無しにしたいは思わないというわけだ。
ちなみに果物を売っているのは規制の問題ではなく、この時間にあまり胃に重たいものは売れないから……という理由であったりする。
そんな屋台が並ぶ中を進んでいけば、やがて静かな場所に出る。
並ぶ建物を見れば商業区域を抜けて住宅区域に出たのだと理解できるが、そんな静かな雰囲気の中に、明らかに違う雰囲気を出す建物があるのも要には理解できた。
「ひょっとして、アレか?」
「アレだね」
「アレですわね」
要の言う「アレ」とは、視線の先にある白い石造りの建物。
その全てを真っ白な石で作った二階建ての建物はしかし、神殿というよりは「小さな砦」のようでもある。
「なんていうか……神殿っていうよりは……」
「ああ、うん。言いたい事は分かる。でも、レクスオール神殿が変なだけだから」
「あまり気にしない方がよろしくてよ」
そんな事を言う二人に首を傾げつつ、要はレクスオール神殿へ近づいていく。
まだ朝も早いというのに神殿の木の扉は開かれており、中に入ると高い場所に作られた窓から光が入ってきているのが分かる。
一番奥の祭壇らしきものと、並ぶ長椅子。
神殿や教会といえばこれだろう、というものを体現したかのような内装に要はほっとする。
まさか内部まで砦じみているのでは……と思ったが、そんな事はなかったようだ。
「おや、礼拝ですか? 中々に感心ですな」
そんな要達に声をかけたのは、白い神官服を着た老齢の男。
どうやら神官であることは確かなようだが、てっきり緑色の神官が出てくると思っていた要は一瞬理解が遅れ……きょとんとした後に「あ、お、おはようございます」と挨拶をする。
「おはようございます、神父様。本日は旅の無事を祈りに参りましたのと……彼の為に水袋とマントを用意したいと思いまして。レクスオールの加護があるように、こちらで余裕がございましたらお分け頂きたいと……」
「敬虔なる方のお力になるのは我々の定めでございます。このような物等ご用意頂かなくとも……」
アリサが取り出した小さな革袋の中身を軽く確かめた神官は押し返すような仕草を見せるが、アリサは笑顔でその手に革袋を握らせる。
「その高潔な心、感服致します。しかし何の代償も無く恵みを受けるは狩猟の神たるレクスオールの御心にも反する事と存じます。このようなものしか捧げるものを持たぬ私達の不出来をお許しくださるならば、どうぞ受け取ってくださいませ」
「おお……まだお若いのに立派な方だ。その祈りは、必ずやレクスオールの御許へ届くでしょう。では少々お待ちください。お望みのものをお持ち致します」
革袋を受け取っていそいそと奥へ消えていく神官を見送ると、アリサは小声で「めんどくさ……」と呟く。
結局のところ、「礼儀として一回遠慮して、その後に受け取る」ということを仰々しくやっただけだ。
要も「やれ」と言われても上手く出来るかどうか自信が無い。
「……毎回こんな事やってんの?」
「何処の神殿もこのような感じですわよ」
「マジかよ……」
思わず頭を抱えそうになる要の視線の向こうでは、満面の笑顔の神官が真新しいマントと革袋を抱えてくるところであった。
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