急報3
カナメとアリサを無言のまま見ていたエリーゼの手が扉からするりと離れ、そのまま力が抜けたようにぺたんと座り込む。
視線をカナメとアリサに固定したまま、エリーゼの顔は呆けたように固まっており……カナメは「え、エリーゼ……?」と困惑したような声をあげてベッドから起き上がる。
一方のアリサは何も言う気がないのか、カナメを見て意味深な笑みを浮かべるだけだ。
「えっと。もう一度言うけど、何もないから。単純にアリサが俺に用があっただけで」
「……分かってますわ」
「へ?」
「何もなかったってことくらい、分かってますわ」
どういう意味だろう、と考えて。すぐにカナメはその意味するところをエリーゼの背後に見つけ出す。
背景の一部か何かのようにそこに立っているハインツは、一応カナメと同室なのだ。
気配が全くないからどうにも忘れがちになるのだが、それこそ何かあればエリーゼに筒抜けなのは間違いない。
つまりはそういうことなのだろうとカナメがハインツに視線を向けていると、エリーゼは「カナメ様」と頬を膨らませながら声をあげる。
「え、何?」
「ハインより私を見てくださいませ」
「え、あ、ああ?」
カナメは困惑しながらエリーゼに視線を戻し……そこで、エリーゼが「いつもと違う」事にようやく気付く。
いつものエリーゼの格好はあちこちにフリルや飾りのついた華麗で可愛らしい服だが……今日は、そういった飾りの類がほとんどない。
白い上等そうな生地のシャツはあくまでシンプルで、胸元のボタン周りにレースがあしらわれている程度。
ベージュのスカートはゆったりとしたもので、当然ながら冒険には向きそうにはないが……華美という程でもない。
髪型は軽いウェーブがかった「いつも」の髪型だが、こういう格好をしているといつものような煌びやかさが少し薄れて「ちょっと育ちの良いお嬢様」くらいに見えてくる。
それでもなるほど、前にハインツが言った通り完全に街に馴染むのは難しいだろう。
強いて言うならば、可愛い。可愛いのだ。
カナメがこの世界に来てから会う女性は皆「強い」人ばかりでエリーゼも例外ではないのだが、何処となく「守ってあげたい」オーラを感じるような気すらする。
勿論、そんなものはカナメの勝手なイメージであり思い込みだと分かっている。
分かっては、いるのだけれども。
「……可愛い」
「まあっ!」
思わずそんな声が漏れ、エリーゼの顔が嬉しそうなものに変わる。
しかし、エリーゼのいつもの服とは明らかにデザインというか趣味が異なっているように見えるが……もしかして、ハインツが用意していた服というのが「これ」なのだろうか、とカナメは考えて。
「安心しましたわ……いくら街に溶け込むためとはいえ、カナメ様のご趣味に合わなかったら何の意味もありませんもの!」
「あー……いや。俺の趣味なんかよりエリーゼの趣味に合うもの着てたほうが」
「ひょっとして、カナメ様はこういうデザインがお好きですの!?」
「うっ」
自分を上目遣いで見上げてくるエリーゼに、カナメは「その通り」とも「違う」とも言えずに言葉に詰まる。
そういうデザインが好きというよりは、その服を着ているエリーゼが可愛いという話なのだが……だからといって普段のエリーゼが可愛くないかといえば別の話であって、要はギャップが……。
「いや、ちょっと待って。なんかこう、上手く言える自信がない」
「構いませんわ。全部教えてくださいまし!」
すがるエリーゼを振り払う事など出来るはずもなく、カナメはブンブンと首を横に振る。
「ダメだって! こればっかりはダメだ!」
「そんな! カナメ様はそんなに普段の私に思うところがおありでしたの!?」
「え!? いや、普段のエリーゼも可愛いとは思うけど! そうじゃなくて、えーと」
「はい、そのくらいにしときなよ」
パン、と手を叩くアリサにカナメとエリーゼはハッとしたように動きを止める。
「要はカナメは「普段とはちょっと違うのもいいな」と思ってるって話でしょ?」
「あ、ああ」
「エリーゼもカナメを追い込まないの。ただでさえカナメは口下手なんだから」
「……それは、そうですわね」
ばつが悪そうに視線を逸らすエリーゼの横を通り抜けると、アリサは部屋から廊下へと出ていく。
「じゃ、私は着替えてくるから下行ってご飯食べてきなよ」
そのままスタスタと歩いていくアリサが去った後に残されたのは、カナメと……座り込んだままのエリーゼ。
二人は目を合わせると、そのまま何かを言おうとして互いに遠慮しながら躊躇し……やがてカナメから「ごめん」と口にする。
「え? い、いえ。カナメ様が謝る事なんて何も……」
「いや、俺が悪いよ。なんていうか、色々さ」
「そんな……」
そう、カナメが悪い。そんな事はカナメ自身が一番よく分かっている。
エリーゼの好意を知って問題を先送りにしているのもそうだ。
イリスに、エリーゼ、アリサ。複数の相手を「女の子として好き」な状態もそうだ。
先送りにすればするほど、きっと傷は深くなる。
それなのに行動できていない自分の罪深さが、一番愚かしくて。
けれど、そう分かっていても自分自身の気持ちが分からない。
たとえば、エリーゼと共に歩む事を選んだとして……それはひょっとしたら、エリーゼが好きだと言ってくれているからそこに逃げ込もうとしているだけではないのか。
それは、エリーゼを一番傷つけるんじゃないのか。
そんな考えが、カナメを重たい鎖で縛り付けてしまうのだ。
「俺に、もうちょっと……」
もうちょっと、決断力があれば。そう言いかけて、カナメは「なんでもない」と笑う。
そんな弱音をエリーゼに吐くのは、あまりにも最低だ、と。そう思ったからだ。
「じゃあ、俺も着替えて下に行くよ。それと、さ。先延ばしになってた約束、エリーゼの都合さえ良ければ……」
「は、はい! 勿論ですわ!」
「きょ、うって……あ、ああ。じゃあご飯食べたら行こうか」
「はい! では、私もお先に下に行っておりますわね」
「ああ」
軽く会釈をして、エリーゼは部屋から出て扉を閉めて。
そこで……壁の前に立つハインツにだけ聞こえるような声で、エリーゼは小さく呟く。
「……ハイン。私を卑怯だと思う?」
「いいえ、お嬢様」
「そう。私はね、私を最低な女だと思っていてよ」
自分の好意にカナメが縛られているのは、エリーゼの目には明らかだった。
ひょっとしたら今押せば、カナメは自分を選んでくれるかもしれない。
けれど、それと同じくらいに自分を選ばない可能性もある。
やっぱり今はエリーゼの気持ちには答えられない、と。そういう結論をカナメが出す可能性だって同じくらいに存在する。
それが分かっているからこそ、エリーゼはじりじりと迫る戦法に切り替えている。
……そう。カナメが思っていてくれるほど、自分は純粋じゃない。
自分でも自分が純粋なんだと勘違いするくらいに恋している。
けれど、本当の自分はもっと汚い。
もっと計算高くて、もっと卑怯で。もっと執着心が強い。
「……カナメ様」
そう呟くだけで、なんだか幸せになれる。
純粋ではない自分のこの純粋な気持ちは、きっと尊いもの。
だから。絶対に、負けたくはない。
エリーゼは……強く、そう思うのだ。
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