急報
「……何だ?」
夜のヴェラール神殿に駆け込んでくる男の姿に、門前の神官騎士は怪訝な目を向ける。
実のところ、夜中に誰かが神殿に駆け込んでくるというのは珍しい事ではない。
酔っ払った冒険者が来るのは日常茶飯事だし、喧嘩相手に追われて仲裁を求めに来る事もある。
こういう場合は説教してやればいいだけの話なのだが、そうもいかない場合もある。
たとえば神殿に何らかの緊急の助けを求めに来ていて、朝を待ちきれなかった場合。
こうした場合に対応するために神殿には常に夜番の神官が詰めているが、見る限りは「緊急の用事」であるように見えた。
何処のものとも分からない普通のマントを羽織ったその男はよろけるように膝をつき、ぜいぜいと息を切らしながら近寄ってきた神官騎士の足を掴む。
「お、おい。大丈夫か?」
明らかに体力の限界といった様子の男は途切れ途切れの声で……しかし、ハッキリと「緊急だ」と告げる。
「緊急……? いや、その様子を見ればそうだろうが」
「神官長に取り次いでくれ……! エシュが戻ってきたと言えば分かる!」
「エシュ……? あ、お前……いや、分かった。とりあえず中へ入れ」
マントのフードに隠れた顔がヴェラール神殿に所属する神官であることに気付いた神官騎士は同僚に手振りで合図するとエシュと名乗った男を先導し神殿の中へと歩いていく。
神殿のドアを閉め、近くに誰も居ない事を確認すると……神官騎士はふうと息を吐きエシュへと振り返る。
「久々だからな。ついつい忘れかけてたよ」
「重要事項だろう……」
「そう言うな。エシュが忙しくなるような事態はしばらく無いと思ってたしな」
「俺だってそう思ってたさ。だがどうやら、そうではないらしい」
言いながら、エシュと神官騎士は神殿の奥へと進み……閉じられた扉の前に立っている神官騎士に敬礼をする。
「どうした。まだ交代時間じゃないし、交代要員もお前じゃないはずだぞ?」
「エシュが戻ってきた。神官長に取り次いでくれ」
「エシュが、か」
神官騎士はエシュをジロリと睨むと、軽い咳払いをする。
「そうか。だが本当にエシュならば俺の質問に答えて貰おう……お前の父親の妹の名前は何だ?」
「諸説ある。正確な所は、父のみぞ知る」
「よし、通れ。エシュだけだ」
エシュの答えに満足したように神官騎士は頷くと、扉を開ける。
「え、おい。今の質問って……」
「不勉強な奴は黙ってろ。ほら、行け」
「ああ」
エシュが入ると同時に扉は閉じられ、エシュは先へと進んでいく。
ちなみに今の質問……というよりもエシュについてだが、この男は「エシュ」という名前などではない。
エシュとはヴェラール神殿の関係者が隠密行動をとる時のコードネームであり、もっと簡単に言えば聖国の名簿に名前だけ存在している「実在しない男」である。
ヴェラール神殿関係者しか知らない秘匿事項であるが……エシュに任命された者は他の神殿にも内密に動き、様々な情報を掻き集める為に動くのである。
そして、その際に幾つかの暗号じみた符号を頭に叩き込んでいる。先程のはその一つであり……天秤の神ヴェラールが妹のように可愛がっていた神が誰であるかについて諸説あることから派生した符号だったりする。
「神官長、エシュです」
「入れ」
やがて目的の部屋まで辿り着いたエシュが扉を開けると、そこには相変わらず仕事中のセラト神官長と……護衛の神官騎士が立っているのが見える。
こんな時間まで神官長が仕事をしなければならないのは、毎日山のように届くメイドナイトやバトラーナイト関連の推薦状だの要望書だの嘆願書だの……そういったものに返事をする必要があるからだ。
だがセラト神官長はペンを置くと、椅子をギイと鳴らしてエシュへと目を向ける。
「ご苦労だったな。予想より早い帰りだったが……まあ、報告を聞こうか」
「最悪の事態になりました。可能な限りの希望的観測をのせても尚「最悪」からブレません」
その言葉に、セラト神官長は黙ったまま先を促す。
予想していた可能性の一つではあるからだ。
「聖国に向けて帰還中であったレクスオール神殿の調査隊は、途中で消息を絶っています」
「……何らかの事情でルートを変えた可能性は?」
「レクスオール神殿の神官達の戦闘力をあてにした「隊商もどき」も同時にルートを人知れず変えたというのであれば、あるいは」
「……」
レクスオール神殿の調査隊とはつまり、レクスオール神殿の神官と神官騎士からなる部隊だ。
恐ろしいと噂の彼等がいるとなれば「神官様、どうか我々も同道させてください」とくっついてくる行商人達が出てくるのもある種当然であり……しかし、それも行方不明になっているとなれば只事ではない。
「王国側の見解は」
「着くはずの行商が予定日に着かないということで付近の騎士団への通報があったようですが、動きは鈍いようです。それと、あの近辺はレクスオール神殿の影響力も……その……」
「ああ。そういえば行っていたのは「神に見捨てられた町」だったか」
レクスオール神殿の調査隊を襲うような命知らずの盗賊は居ないだろうし、並のモンスターなら返り討ち。
そんな評判のレクスオール神殿の調査隊がどうにかなったかもしれないなどと言われたところで、騎士団の反応が薄いのも当然だろう。
心配性だと思うか、ダンジョンが決壊でもしたかと深読みするかのどちらかが普通の反応だ。
「……レクスオール神殿の調査隊が壊滅、あるいは連絡不能なほどの逃走劇を余儀なくされたとして。お前達は何を想定する?」
問われて、まずは神官騎士が「ドラゴンではないでしょうか」と答える。
「ドラゴンか、なるほどな」
「はい。完璧な生物とすら称されるアレが地上に出ていたのであれば、流石の連中でも手こずるかと」
「同意見です」
エシュもそれに頷き……セラト神官長は深い溜息をつく。
「……そんな「ドラゴン級」のものが居るということだな。偶然か、故意か……」
言いながらも、セラト神官長の頭の中にはある「最悪の可能性」が浮かんでいる。
「よし、エシュ。お前は念の為レクスオール神殿周辺を探れ」
「は? レクスオール神殿、ですか?」
「ああ。対象は指定しない。一任する」
何故か、は考えない。先入観はあらゆるものを恣意的に見せてしまうからだ。
故に、エシュは「了解しました」とだけ頷く。
「……さて。こうなると、朝一番で連中の所に行く必要があるか……」
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