夜、酒場にて
ミーズの町の酒場は、ここ数日はお祭り騒ぎだ。
絶望的な状況からの生還という現実に、レクスオールが降臨したとか神々が降臨してモンスターを蹴散らしたのだとか、何処まで尾ひれがつくんだか分からない戯言の数々。
近隣の町から唄のネタを仕入れようと吟遊詩人までやってきて、ここ数年でもない盛況となっている。
誰もがそんな明るい顔をしている中で、明らかに不機嫌な顔をしている者もいる。
酒場の奥のテーブル……隅のほうの席で、緑の髪の少年……いや、手に持ったジョッキを見る限りはそれなりの年なのだろう。ともかく、そんな彼が向かい側に座る青髪の青年に絡んでいる。
「ったく……なによ、あのお姫様。聖国を盾にするなんて……」
「仕方ありませんよ、ダリア。聖国が絡んでくる事自体が最初の予定にはなかったことです。元々が、そうなる前に決着をつける算段でしたからね」
柔らかな好青年然とした青髪の青年はそう言って少年……いや、少女をそう宥める。
この少女こそが「帝国の使者」であり、帝国から派遣された中央の騎士団のうちの一人なのだが……鎧を脱いで地味な格好をした彼女達に、それを想起させる要素はない。
今の彼等を言葉にするならば兄と弟……あるいは妹のような、そんな感じだろうか。
「……でも、アリオスが死んだのよ。何の手柄もなしに帰れっていうの? 貴方がそんな弱気な男だとは思わなかったわ」
「そうは言っていません。王国に恩を売りつけるという事自体は成功したのです。ダンジョンを手に入れるのは無理そうですが……後は外交官の仕事というだけです」
「それが弱気だって言ってるのよ!」
ダリアは机を両手でバンと叩いて立ち上がり……周囲の野次馬根性全開な視線に気付き慌てて椅子に座りなおす。
「ダリア、冷静に」
「……悪かったわよ」
少し無言でジョッキを傾けていれば、聞き耳を立てていた野次馬達も「つまんねー」などと呟きながら喧騒の一部に戻っていく。
元より痴話喧嘩かもしれないと酒の肴にしようと思っていただけで、それ以上発展しそうにないと分かれば何の興味もない。
そもそもダリアが机を叩かず大声をあげただけであれば「酔っ払いがいる」程度で振り向く事すらしなかっただろう。
……いや、その大声すら耳を通り抜けていただけかもしれない。
酒の席とはそういう「自分達以外には一切興味がなくなる」場所であり、それ故にダリア達もこうして堂々としているのだ。
彼等の興味を引こうと思ったら、今のように思わず現実に返るような音か……急に全裸になるようなサプライズがあれば少しくらいは気を引けるだろうか。
そしてどちらもダリア達が選ぶはずもなく、彼女達は即座に場の空気へと溶け込んで。
「ここよ、ここ! うわあ、盛況ねカナメ!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてハロ。目立つから」
「カナメはもっと気分を上げていきましょうよ! ほら、空いてる席探さないと!」
どうやら新しい客がやってきたらしく、そうなるとダリア達を覚えている者すら居なくなる。
そういう流れを繰り返すが故に、酒の席では会ったはずの相手の顔を覚えていないという事態が頻発するのだ。
「しっかし、男の方は覇気のなさそうな声だったわね」
「はは、貴方と比べれば大抵の男は覇気がありませんよ」
「ちょっと、どういう意味よルドガー。今私の事は関係ないでしょう?」
「……ええ、そうですね。意味のない言葉遊びですよ」
どうやら少しばかり酔って判断力が落ちているらしいと判断したルドガーは、これ幸いと自分の今の失言をなかったことにする。
そして狙い通りにダリアは「ルトガーは変よね」などと妙な事を言って頷いている。
これで仕事の話を振れば一分の隙も無い回答を返してくるのだから、可愛げがあるのかないのか分からないな……などと思いながらルドガーはジョッキの縁を軽くなぞる。
「それで、どうします? これ以上此処に留まっていても意味はなさそうですが」
「そうね。長居はしないけど、もう一つだけやることがあるわ」
やはりというかなんというか、一瞬で目の輝きが真剣なものになったダリアに「やはり可愛くない」という顔をしながらもルドガーは頷き先を促す。
「噂のレクスオールとやらを、まだこの目で見てないもの。どんな奴かしっかり見ておかないと」
「ああ、それですか。でもどうなんでしょう。僕は実在を疑ってますけど。そんな人間がいるなら、もっと王国が喧伝していてもおかしくなさそうなものですし」
実際、このミーズに紛れ込んでいる帝国の諜報員はその「噂のレクスオール」とやらを見ていない。
戦闘要員ではないから仕方ないが、町中にモンスターが侵入してきた時には頑丈な建物の中に籠って震えていたというのだから溜息も出てこない。
「どうかしら。知られざる強者なんて何処にでもいるものよ。あるいは、今頃あの王女様が抱え込んでるかもしれないわよ?」
「ああ、そうですね。英雄狂いと呼ばれるあのお姫様なら……」
「あ、此処空いてるわね! ごめんなさい、相席いいかしら!」
「ちょっとハロ、もう少し待ってればカウンター空くかもしれないし」
この人達にも迷惑だよ、などと言っている男がハロと呼ばれた女の背中をぐいと押して去ろうとして。
その男の服を、背後からダリアは掴む。
一見して分かるが、男の服と女の服は明らかに価値が違う。
男の着る旅人としては一般的で厚手な布の服は簡単な魔法がかかっているようだが、それでも「普通」の範疇だ。
だが女の着ている服は、何処にでもあるデザインでこそあるが明らかに仕立てが違う。
まあ、そこまで高そうでもないが……恐らくはこの町のお嬢様が恋人の使用人か何かを連れて遊びに来ているのだろうとダリアは判断する。
だとすれば、ダリア達がこの場を譲ってやるのが一番いい。
「お嬢様」は気が強そうだし、男の方は気が弱そうだ。こうするのが一番波風が立たないはずだ。
「いいから、此処に座りなさい。私達は……」
もう行くから、と言おうとして。
振り返った女の顔に、ダリアの顔は引きつる。
一方の女の顔も明らかに「あちゃあ」と言いそうな顔を……いや、実際言っているが、そんな顔をしている。
分かっていないのは男の方だけのようだが……女のほうが「そう」なら、男の方もひょっとするかもしれない。
「……気にしないから。仲良く飲みましょう? ええ、ここは身分も何も関係ない酒場だもの」
絶対逃がしてなるものか。
そんな思いを込めて服を強く握るダリアに、男は……カナメは、困ったような顔を浮かべた。
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