夜、酒場にて2

「……どうする?」


 逃げるか、という意味で問いかけるカナメだったが、ハロの思考はどうやら逆であったようだ。

 即座に気持ちを切り替えたのか面白そうな表情を浮かべると「じゃあ、ご一緒するわ」とカナメを引っ張り……ダリアの向かい側に座っていたルドガーの肩をトンと叩く。

 それが「席を移動しろ」という意思表示なのに気付き、ルドガーは苦笑しながらも立ち上がりダリアの隣へと移る。

 そうして丁度2人分空いた席にハロは座り、やがて諦めたようにカナメもその横に座る。


「どうも、はじめまして。ハロよ。こっちはハインツよ」

「え」

「いや、貴方達の声聞こえてたから。キャナメとか言ってたでしょ」

「あれ、カノーネじゃありませんでした?」


 初手から誤情報を提供するハロにダリアとルドガーの二人が微妙に違う名前を並べるが、この酒場の喧騒の中では上手く聞こえていなかったのだろうかとカナメは考える。

 しかしまあ、彼女達が誰かは分からないがまあ、ハロの知り合いということは恐らく帝国の使者というのは彼女達なのであろうことは分かる。

 となれば当然カナメの名前自体が情報だということくらいも理解できてしまうので、カナメとしては正しい名前に訂正するのも躊躇われてしまう。

 だからといってカナメに相手を騙すような腹芸が出来るかと言えば答えは否だ。

 嘘を言えば口の端がヒクつくだろうし、目もきっと泳ぐ。

 ……なので、カナメは曖昧な笑みを浮かべて黙っていようと心に決める。


「で、貴女方は?」

「……旅の冒険者のダリアよ」

「同じくルドガーです。よろしくお願いしますね……で、結局そちらの方のお名前は?」

「ハインツよ」

「……」


 ハロが堂々と真正面から二人を見てそう宣言し、カナメはどうとでもとれる曖昧な笑みを浮かべる。

 その様子を見てダリアは噛み付きそうな顔をしているが、ルドガーの方は困ったような笑みを浮かべたまま「分かりました」と答える。


「では、自己紹介も済んだところで私達から一杯奢らせてください。あ、お姉さんこちらのお二人に」

「一番高い酒とジュースよ!」

「はあい!」


 躊躇いなく声を被せるハロにルドガーは店員を呼ぶポーズのまま固まるが、ハロは笑顔で「ごちそうさま」と囁いてみせる。

 やがて運ばれてきたジョッキと引き換えにルドガーは渋々といった様子で料金を払うが、即座に二人へと真剣な表情を向ける。


「一杯で銀貨10枚もする飲み物をお二人に奢るんです。そちらの方の本当のお名前くらい教えてくださいよ」

「そっちが奢るって言ったんじゃないの」

「躊躇いなくあんなもの……っていうか、なんでこんな場所にこんなバカ高いものがあるんですか!」

「見栄っ張りが頼むからに決まってるじゃないの」

「ルドガー、誤魔化されてるわよ。あと経費じゃ絶対落ちないからね」


 ダリアの冷たい言葉にルドガーは肩を落とし……しかし、ダリアはそのままカナメへと視線を向ける。


「まあ、実際そちらのハロさんは仕方ないとしても貴方は本当の名前くらい教えてくれてもいいと思うわよ? こちらとしても調べる手間が省けるし」


 それは、ハロの懸念通りに諜報員がこの町に紛れ込んでいると示すサインなのだろう。

 その言葉にハロはニヤリと笑うと「カナメよ。ただのカナメ」と答える。


「カナメ、ね。貴族でもなんでもない、か」

「さあね。それより手間が省けたなら、ペンも紙も散らかさずに持ち帰って欲しいものね。こちらで片づけるのは面倒だし」

「お互いさまでしょう? 持ちつ持たれつよ」

「潔癖症の癖に。人の家で散らかすのはお好きってこと?」


 言いながら、ハロとダリアは互いの視線で火花を散らす。

 今の一連の発言は纏めるならば「諜報員を撤退させろ。じゃないとこっちで勝手に捕まえちゃうぞ」という牽制に対する「指図すんじゃねーよ」という返答だ。

 潔癖症、というのは諜報員に対する帝国の過敏反応を示しているが……まあ、それはさておき。

 とにかく表面上は笑顔を浮かべている二人がどうにも怖くて、カナメは思わず少しだけ遠ざかる。

 ……が、それはどうやらルドガーも同じであったようで知らずシンクロした動きに気付き互いの視線がぶつかる。


「あ、えっと。どうも」

「ああ、うん。すみませんね、うちのダリアが」

「いえ、こちらこそ。楽しく飲んでたところを邪魔した形になっちゃいましたし」


 思わず頭を下げるカナメに、ルドガーは驚いたように目を丸くする。


「え、あの。どうしました?」


 何か変な事を言ってしまっただろうかとオロオロするカナメに、ルドガーは笑顔で「いいえ」と口にする。


「僕達が「何処の誰か」はもう分かっているでしょうに。そんな気遣いをされるとは思いませんでした」

「え」


 それはまあ、彼等が「帝国の使者」であろうことくらいはカナメにも分かっている。

 だがだからといって彼等に敵対的な態度をとる理由はカナメにはないし……やはりなんだかんだで、乱入したのはカナメ達なのだ。

 だから、カナメはアリサから習った事を思い出しながら慎重に言葉を紡ぐ。


「……別に、俺達は敵ってわけでもないでしょう?」

「ええ。味方と言い切るには少し難しい部分もありますけどね」


 笑顔を……いまいち感情の読み切れない笑顔を浮かべるルドガーにカナメはゴクリと緊張で喉を鳴らしながらも、こう答える。


「そっちのダリアさんが言ったじゃないですか。「仲良く飲もう」って。なら俺達は仲の良い味方同士であるべきです」

「ふむ」


 ルドガーは短くそう頷くと、自分のジョッキを軽く持ち上げる。


「いくらでも反論は可能ですが……まあ、それも「仲良く」という趣旨からは外れていますね。では、仲良く乾杯でもしましょうかカナメさん」

「あ、はい」


 慌ててジョッキを持ち上げたカナメはルドガーとゴツンとジョッキをぶつけ合い……その様子を見ていたハロとダリアは再び睨みあい……しばらくして、両者ともに溜息をつきながら乾杯を交わした。

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