赤い夜3

 爆発は衝撃波を伴いながら周囲へ炎と氷の欠片を撒き散らし、要も踏ん張りがきかず吹き飛ぶように倒される。


「ぐ、う……」


 強力な二つの力のぶつかり合い。だが殺し合いに「引き分け」などはない。

 ならば、どちらが勝ったのか。

 要が未来と思われる光景を伝えた事で、現在は変わったのか。

 ふらつく頭を必死で覚醒させようとしながら、要は起き上がって……そして、見た。


「……あ」

 

 要の視界に映るのは、たった一つの光景。


 赤い壁のように燃え盛る火の海と……真っ赤な鱗のドラゴン。

 そして……そのドラゴンに向かい合う、ボロボロの革の鎧を来た誰か。

 丁度背中を向けたその姿は、カナメが今日ずっと一緒に過ごしていたアリサ以外の何者でもない。

 アリサが握っているのは、一振りの長剣。

 ゲームで言うのであれば如何にも安物の「鉄の剣」といった感じで、あんな恐ろしげなドラゴンに勝てそうな武器ではない。

 だがそれでも、アリサは剣を握りドラゴンへと対峙している。

 ……まるで背中にいる「誰か」を守るかのように、精一杯に大地を踏みしめて。


「アリ、サ……」


 そんな武器では。さっきの凄い杖は。慌てて周りを見回して要は、宝石部分が砕けた杖らしきものが地面に転がっているのを見つけてしまう。

 アリサが撃っていた弓は、要の丁度手元。こちらは壊れてはいないが、こんなものでは。


「……カナメ、ごめん。私の見通しが甘かった。もうちょっと私がカナメの言う事を真剣に聞いてたら、こんなことには……」

「そん、な」


 そんなことはない。

 どう考えても怪しい人物でしかない要の言う事を、アリサは真剣に聞いてくれた。

 放っておけばいい要の面倒をわざわざ見ようと言ってくれたのもアリサだし、要の言う事を聞いて回避策だって検討してくれていた。

 あの壊れた杖だって、要の見た光景にはなかった。つまり……アリサは要のいう事を信じてくれて、「未来」を変えてくれようとしていたのだ。

 なのに、言葉にならない。

 アリサは、要の為にこんなにボロボロになってくれているのに。

 なのに……要の無様な姿は一体何なのか。

 こんなところで阿呆のように膝をついて、一体何をしているのか。

 だが、一体何が出来るのか。


「にげ、よう」


 そうだ。敵わずとも一緒に逃げることくらいなら。

 それなら、要にだって出来る。

 背負ったっていい。盾になったっていい。

 こんなところで何も出来ないなんて、それだけは。


「逃ガスト思ウカ」

「うっ……!」


 ドラゴンの黄金に光る目で見据えられ、要は全身から汗が噴き出すのを感じる。

 今この瞬間にも命を吹き散らされるかのような圧迫感。

 叫んで暴れて……身を翻して逃げたくなるような、そんな殺気。

 殺される。

 殺されてしまう。

 溢れ出す恐怖は言葉にならず……しかし、一つの言葉が要を引き戻す。


「……大丈夫だよ」


 そんな優しく言い聞かせるような声が、要を正気の領域まで連れ戻す。

 それは、振り向かぬままに放たれたアリサの言葉。


「カナメのことは、私が守ってあげる」


 もはや、アリサに要の言葉を疑う理由は何処にも無い。

 要の言った事は全て真実で、きっとこの瞬間を要は無限回廊で見ていた。

 それを回避できなかったのは、自分の不足だとアリサは思う。

「まさかこんな場所でドラゴンは出ないだろう」という甘い認識が、この事態を招いてしまったのだ。

 ……だが、それでもアリサには確信できた。

 要が無限回廊を渡ってきたのなら……要の来訪には、何か意味がある。

 ならば、要はこんな所で死なせるわけにはいかない。

 もはやドラゴンに勝てる可能性は万に一つも無い。

 それでも……要だけは。


「……だから、カナメ。早く逃げて。後から私も、絶対に行くから」


 知っている。

 要は、この光景を知っている。

 こう言い残して、アリサは。


「いや、だ」


 自然と口から言葉が漏れる。

 手元に転がってきていた弓を掴み、砕かんばかりに強く握り締める。

「嫌だ」と、要は立ち上がり呪文のように呟く。


「いやだ……いやだ、嫌だっ!」


 逃げたくない。逃げられない……逃げない。

 一人で逃げるなんて……絶対に嫌だ。

 だから、要は叫ぶ。


「俺は……逃げない」

「な、何言って……!」

「ハハハハハハハ!」


 動揺するアリサの声を打ち消すように、ドラゴンの嘲笑が響く。

 もはや魔法の杖は壊れ、残った武器は小さな剣と弓のみ。

 ドラゴンの勝ちは揺るがず、その傲慢は当然のものと化していた。


「面白イ、面白イ! ヤッテミヨ、何ガデキル! ソレ、ソコニ矢ガ転ガッテイルゾ!」


 別の場所に転がり散らばった矢を拾えと囃し立てるドラゴン。

 そんなものが自分の鱗を貫くことはないと知っているが故に、そんな愚かな抵抗がたまらなく面白いのだ。

 そしてそれは当然、要も知っている。アリサの放った矢が弾かれる瞬間を要は見ていたし、まともに弓なんか使った事の無い要にはアリサのような射撃すら無理だろう。

 ならば、どうすれば。

 どうすれば、あのドラゴンをどうにかできるのか。

 手の中にあるのは、弓。


「……こんなの……」


 要の頭の中に、歪に欠けた月のような弓が浮かぶ。

 レクスオール。

 弓と始まりの神、レクスオール。

 神話によればレクスオールはゼルフェクトの復活に備え天上世界より矢を番えていて、「再びの戦いの始まり」は、そのレクスオールの一矢によって告げられる……とアリサは言っていた。


「こんなの……もう始まってるようなものじゃないか」

「カナメ……?」


 戸惑ったようなアリサの声も、今の要の耳には入らない。

 ドラゴンの嘲笑も威圧も、届かない。

 要の頭の中にあるのは、あの弓。

「赤」を駆逐した、黄金弓。

 あれがあれば。あれが、この手にあれば。

 そう、そうだ。

 レクスオールが撃たないというのならば。


「俺がやる……俺が、始まりを告げる」


 だから、寄越せ。

 お前の弓を、お前の矢を。

 この「赤」を駆逐する力を。

 願う要の手に、輝きが集まっていく。


「え……っ!」

「オオ……!?」


 それは、目も眩むような黄金の光。

 要の手から弓へと広がり、包み……全く別の「何か」へと変じさせていく。

 そして……その「何か」に、ドラゴンは……いや、ドラゴンの中にある原初の記憶は、一つの単語を紡ぎだした。


「レクス……オール……」


 それは、記憶にすらない記憶。

 遥か古、神々の時代に破壊神ゼルフェクトと戦いし神々の一柱。

 欠片となったゼルフェクトの記憶に刻まれ、それ故にダンジョンの生物たるドラゴンの中にも「その弓の記憶」が残されていたのだろう。

 ……もっとも、それは奇跡的な確率ではある。

 ドラゴンにとっては悪夢的なと言い換えた方が良いのかもしれないが……。

 歪に欠けた月のような黄金弓。それを持ち立つ要の姿にドラゴンは言い表せぬ恐怖を覚え、しかし「それ」に気付き余裕を取り戻す。


「フッ、ハハハ! ソンナ矢モ無イ弓デドウスル!」


 撃つ暇など与えない。

 ドラゴンは最高威力の火を吹くべく、大きく息を吸い込み……それを見た。


「……矢なら、此処にある」


 要の弓に番えられたのは、輝ける光の矢。

 限界まで引き絞られた弦は放たれる時を待つかのように音を立て、その矢の先はドラゴンにしっかりと向けられている。


「ウ……オオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 その翼を羽ばたかせ、ドラゴンは空高く舞い上がる。

 殺す。今すぐ殺す。矢など届かぬ超高度から、最大威力の炎で焼き殺す。

 それでおしまいだ。だから、死ねとドラゴンは裂帛の気合と共に炎を吐き出す。

 小さな村ごと焼き尽くすかのような炎の赤は、地上へ向かって勢い良く放たれ……その「赤」を蹴散らして、黄金の光がドラゴンを貫いた。

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