まずは、深呼吸

 目を覚ました要の視界にあったものは、「あの少女」の顔だった。

 あの恐ろしい夢か何かのような場所で「カナメ」を逃がす為にドラゴンに立ち向かった少女。

 溢れる自信を思わせる表情にはあの「夢」のような絶望の色は無く……要に呼びかける声には、生を謳歌する者特有の余裕が満ち溢れていた。

 

「……よかった……っ!」


 生きている。

 あの少女が、生きている。

 ただそれだけの事実が嬉しくて……あまりにも嬉しくて、要は少女を強く抱きしめる。

 生きている。

 生きている。

 その事実を力の限り確かめようとするかのように、要は少女を抱きしめて。


「……あのさー。不安だったのも怖かったのも分かるけど。そろそろ離してくれない?」

「えっ」


 そんな声に要はハッとして……同時に顔から血の気が引いていく。

 自分は一体何をしているのか。

 事実だけを言葉にするなら、「自分よりも年下っぽい女の子にいきなり抱きついた」だ。

 大問題だ。事件発生である。

 

「あ、いや。その」


 嫌な汗を流しながら、要は言葉を探す。

 そう、理由だ。これには納得する理由がある。

 言葉にするなら、そう……「夢で会った女の子に生きて会えたので感動のあまり抱きついてしまった」だ。

 ダメだ。色んな意味でダメな発言にしか聞こえない。

 そもそも、そんなファンタジックな発言を何処の誰が本気にするというのか?

 あんなドラゴンだとか化け物だとか、そんな。


「……えいっ」

「ぎぅっ!?」


 背中の肉を思い切り捻られる痛みに要の思考は強制的に中断され、身体がビクンと跳ねる。

 少女を抱きしめていた腕の力も当然緩み、それをチャンスとばかりに少女は要の腕からするりと抜け出して、要の額を人差し指でトンと突く。


「まずは落ち着いて。はい、深呼吸」

「あ、その、えと」

「深呼吸。はい、吸って」


 再度額を突かれて、要はゆっくりと息を吸い込む。

 少し湿ったような……濃い緑の香りのする空気を吸い込んでいるうちに、要の思考に多少の余裕が生まれてくる。

 緑の香り。

 まるで大自然の中にでもいるかのような、この濃厚な香り。

 街のコンクリートジャングルの中ではありえるはずも無い、その香り。

 

「よし、吐いて」


 少女の声に従い、要はゆっくりと息を吐き出していく。

 クールダウンする思考は同時に「セクハラ」の4文字を要の中に浮かび上がらせ、思わずソワソワしそうになるが……目の前にいる少女を見て、要の頭の中からそんな言葉は一瞬で吹き飛んでしまう。


「落ち着いた?」

「え、あ……ああ」


 要をじっと見つめる少女の瞳は、赤。

 肩まで伸ばした髪も燃える炎のような美しい赤。

「美しい」というよりは「可愛らしい」に属するであろう少女は、控え目に言っても「美少女」であり……何処と無く非現実的に思える赤い髪と瞳ですら、その可愛らしさの前では些細な事実に過ぎないように思えた。

 そして、少女の服装。

 分厚い布の服と、使い込まれた感のある革鎧。

 夢で見た服装そのままではあるが、よく考えてみればありえない服装である。

 だがそれすらも、少女にあつらえたかのようによく似合っていて。

 

「えっと、その……申し訳ないんだけど」

「うん、何かな?」

「ここ……何処?」


 そう、少女の後ろ……そして要の周囲に広がるのは、どう見ても林か森。

 舗装もされていない土が剥き出しの道の上に要達はいるのだ。

 そして残念ながら、記憶をどう辿っても「林」や「森」に居た覚えは無い。

 だからこその要の問いだったのだが……少女は首をかしげて「ふーむ」と唸ると要の顔の前に指を一本立ててみせる。


「答える前に一応聞こっか。名前は覚えてる?」

「え? あ……要。新堂要」

「シン……シンドゥー・カナメ? それが名前ね。記憶喪失とかじゃなくて安心したわ、シンドゥー。シンでいいかな? 私はア」

「あ、違う違う!」


 少女の言葉を遮り、要はパタパタと手を振る。


「カナメの方が名前。カナメ・シンドウって言えばよかったかな?」


 ありがちなミスに気付き要はハハッと声をあげて笑う。

 要は日本人と外人の自己紹介でよくある「ファミリーネーム」の問題なのだが……実際に遭遇してみると、中々照れくさくなるものだと要は思う。

 だが少女は然程面白くなかったようで、明らかにムッとした顔をしてしまっている。


「……わかった、カナメね。私の名前はア」

「あーっ!!」

「はあ!?」


 要があげた大声に少女が不満一杯の声をあげるが、要が指差した先を見て少女も要と同じく「あーっ!」という声をあげる。

 そこには二匹の人間の頭よりは少し大きいくらいの大きさの「何か」が居て、大きな袋を引きずっていたのだ。

 それは、一言で言えば「妖精」だろうか。

 半透明の四枚羽と、小さな子供のような体型。

 されどその身体は青緑色に光るテラテラとしたものであり、顔は2つの複眼と奇妙な形の牙の生えた口。

 無理矢理例えるなら、虫が人間の子供の形をしていたらこうだろうか……という感じだろうか?


「私の荷物! こらあー!」


 少女が駆け寄っていくと虫妖精達はブーンという羽音を立てて逃げていき……残された荷物と近くに落ちていた長剣のついたベルトを大事そうに抱えて、少女は要の方へと振り返る。


「……アリサ」

「え?」

「私の名前。アリサ……ただのアリサ。よろしくね、カナメ」

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