君の名前

「ただの……アリサ?」


 まさか「タダノ」が名前というわけでもないだろうと要は聞き返す。

 単純に考えるならば「アリサ」が名前の全てということになるが……続くアリサの言葉は、その要の想像を肯定する。


「そうよ。家名なんかないし、二つ名が付くほど有名じゃないしね。他に自分を示す術を持ってるわけでも無し。それでも名乗るなら「冒険者ギルド、ラナン王国ザルク支部のアリサ」だけど。別に職員ってわけでもないから微妙よね」

「冒険者……」


 呟きながら、要は確信を深めていく。

 先程の虫妖精のような化け物。冒険者という単語。アリサが腰にカチャカチャと音を立てながらつけているベルトの長剣。

 あらゆる要素が、たった一つの事実を要に告げている。

 それを理解した瞬間に要の心臓はドキドキと鼓動を早め、混乱し過ぎた頭は逆に冷静な思考を要にもたらしてくれる。

 けれど口は上手く回らず、「あ」とか「おう」とか妙な音を漏らした後に要はようやく意味のある言葉を口にする。

 そう、聞かなければならない。此処は……この場所は、一体何処なのか。


「あの、それで……アリサ、さん」

「アリサでいいよ?」

「えっと、じゃあ……アリサ。此処は……」


 要の質問にアリサは「ああ、そっか」と頷き疑問に答えてくれる。


「ラナン王国シュネイル男爵領の端っこの方だね。一応聞くけど、お貴族様?」

「え、あ、いや。違うけど」


 少なくとも、要は貴族と呼ばれるような身分ではなく一般庶民だ。

 それどころか……この「恐らく異世界」では。


「じゃあ、商人か騎士か……「シンドゥー」って家名は王国風じゃないよね。帝国風でもないし……あ、連合の出身?」

「えっと……」

「あ、ごめんごめん。私が喋ってたら言いづらいよね。どうぞ?」


 さっと手を差し出すようにして黙ったアリサは腰のベルトの具合を確かめると荷物の袋に座り、要をじっと見てくる。

 その可愛らしい顔に見つめられるとどうもやりにくいが……言うべき事は言わなければならない。

 何しろ此処が異世界なら、要は頼るべきモノを何も持たないのだ。

 具体的には此処でアリサに見捨てられでもしたら、要は何も出来ず当ても無く……何処ともしれぬ場所を彷徨うだけになってしまう。

 それどころかさっきの虫妖精のような化け物が出てきたりでもしたら、要などエサにされてしまうかもしれないのだ。


「俺は……その、たぶんだけど」

「うん」


 頷いて先を促す少女に、要はゆっくりと……しかし、しっかりとそれを口にする。


「此処じゃない世界から来た……と思う」

「つまり王国人じゃないってことでしょ? 何処の人?」


 どうやらイマイチ理解してもらえなかったらしいと要は気付く。

 まあ、「違う世界」などと言われた所で「違う世界」とか「異世界」などというファンタジーの定番な単語や定義に慣れていなければ意味不明だろう。

 とはいえ、理解して貰わなければ始まらない。


「えっと……何て言えばいいのかな。地球の日本っていう国の出身で」

「知らないなあ……まあ、連合のどっかなんだろうけど」

「その連合ってとこじゃなくて」

「んー?」


 首を傾げてしまうアリサに、要は「ぬう」と唸ってしまう。

 つまり、双方の前提とする常識が全く違うのだ。

 要の常識前提で語っていては、いつまでも通じないだろう。


「……君が知ってるどの国でもない国から来たんだよ」

「ふむふむ。私の知らない国なんて一杯あるけど、まあいいや。私の見た限りだと貴方は空から落ちてきたんだけど、そうなった理由とかは覚えてる?」

「えっ、空から……」


 空から落ちてきた。

 どのくらいの高さから落ちたのか知らないが、よくそんな事になって無事だったものだと思い、要は顔を青くして……そこで、アリサの得意そうな顔に気付く。


「私が助けたんだよ。魔法まで使ったんだから、たっぷり感謝してほしいな」

「え、あ、ありがとう」

「うん、よろしい」


 頷くアリサに要もなんとなく頷き返し……そのまま、少しの沈黙が場を支配する。


「で、覚えてる?」

「あ、えーっと」


 なにやら「魔法」という心躍る単語もあったが、それは後回しだと要は頭の隅に単語を追いやる。


「……空から落ちてきたっていうのは覚えてないけど。気がついたら穴みたいな所を落ちてたのは覚えてる」

「穴?」


 そう、穴だ。

 あの場所を穴と表現するのは違うのかもしれないが……万華鏡と言っても通用しないだろうし、他に要は表現する術を知らない。


「うん。周りにキラキラと光る風景みたいなものが広がってて……そこをずっと落ちてたんだ。最初はのどかな光景みたいなものが次々に映し出されてたんだけ……ど……」


 どう説明したものかと一生懸命言葉をひねり出していた要は、目の前のアリサの顔が真剣なものに変わったのに気付き言葉を止める。

 アリサの表情は真剣そのもので、先程の気楽そうな様子など欠片も無い。


「……カナメ。今のそれ、本気で言ってる?」

「え? あ、うん……」

「もう一回聞くよ。私を騙そうとしてるなら許さない。本気で言ってるんだね?」


 アリサの殺気じみた剣幕に要が慌てて頷くと、アリサは難しい顔をして黙ってしまう。


「あ、アリサ……?」

「……無限回廊」


 おそるおそる声をかける要に、アリサはそんな呟きを返す。


「神様と魂だけが入れる場所から来たなんて言うのはほら吹きか狂人か……あるいは、「選ばれた人間」だけだよ。カナメは……どれのつもりなのかな?」

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