お風呂の帰り

 風呂屋に行って、ほこほこに湯気を立てながらエルとカナメは道を歩く。

 意外にも風呂屋はヴェラール神殿の近くにあり、相変わらず物陰にたくさんの人間が立っている中をカナメとエルは歩く。


「すげえ光景だよな、あれも」

「一日中立ってるわけじゃないよな……」

「まさか。金持ちの貴族様の遣いだろ? 交代してるに決まってんだろ」


 言いながらカナメとエルはヴェラール神殿の前を通り過ぎようとし……そこでガラン、という音が響き思わず立ち止まる。

 ガラン、ガラン、ガラーン……と。響く音が鐘の音だと気づくのに時間はかからない。

 それと同時にヴェラール神殿の入り口にずらりと神官達が並び、腕を組んでバリケードと化す。


「げっ、なんか知らんがヤバいぞカナメ!」

「鐘って確か……あ、まさか!」

 

 カナメの声は、雄叫びをあげながら走ってくる人の群れに掻き消される。

 そう、ヴェラール神殿の鐘の音はメイドナイト、あるいはバトラーナイト誕生の祝福の鐘。


「どけガキ共!」

「おい、通してくれ! 新しく選ばれた人にご挨拶したいんだ!」

「待て、俺が先だ!」

「静粛に! 新たなる旅立ちを見送れぬ者は選ばれる事など永遠にないと知れ!」


 一喝する神官の声に、しかし何とか新しいメイドナイトかバトラーナイトか……そんな誰かに我先に話しかけようとする者達が止まるはずもない。

 何しろ、早く最高の従者を連れて帰れと急かされている者ばかりなのだ。

 声をかけるのを躊躇ったばかりに先を越されてしまったとあっては、下手をすれば解任されてしまう。

 こんな遠い地で解任されたところで仕事が見つかるか分からないし、そもそも権力者に無能と解雇された以上は元の場所にも帰れない。

 つまり必死なのだ。引くはずがない。

 そんな必死な連中の群れに巻き込まれたエルとカナメもなんとか抜け出そうと必死だ。


「いて、いてて! 男に囲まれてもちっとも嬉しくねえぞ!」

「このタイミングでこれって……あだだ!」


 なんとか抜け出したカナメ達は、無くした物が無いことを体のあちこちを叩いて確認する。

 スリがいたと疑っているわけではないが、あの中にあっては何かを落としても不思議ではない。


「……よし、財布もあるな」

「俺も、特に無くしたものはなさそうだ」


 頷き合う二人は、押し合う神官達と男達を見る。

 屈強な神官達が押し込まれることは無さそうだが、なんとも凄い光景ではある。

 永遠に続くかに思われた押し合いだが、突然響いた「おおっ」という声にエルが「なんだあ?」と疑問符を浮かべる。


「消えたぞ!?」

「何処だ!」


 ざわめく門前で男達がキョロキョロと見回しているが……その視線の先をカナメ達が追うより先に「カナメさん」と呼ぶ声が斜め上のほうから聞こえてくる。

 その声の先……ヴェラール神殿の白い塀の上に居たのは、一人の少女。

 太くゆるく編んだ紫の髪と、眠そうな紫色の瞳。

 濃紫のメイド服と、胸元を覆う銀色の胸部鎧。

 それは、以前見たクシェルと同じような……「メイドナイトの正装」だ。

 色こそ違うが、そのあまりにも特徴的な格好は間違えようもない。


「ルウネ……」

「え、マジで?」


 驚いたような声をあげるエルだが……「あ!」という声が門のほうから上がると同時に地響きを立てながら男達が走ってくる。

 どうやら彼等の目当てはルウネであり、先程の鐘の音もルウネの為のものであったらしい。


「おい、やべえぞカナメ! とにかく逃げ……」

「問題ない、です」


 言うと同時にルウネは地面に音もなく降りる。

 スカートはどういう技かほとんど翻らず、その動きは実に優雅。

 壁から飛び降りるというヤンチャ極まりない行為とは対極にあるその美しさに、走り寄ろうとしていた男達の足が一瞬止まって。

 その間にも、ルウネはくるりと回転してカナメに一礼する。


「黒髪の貴方。私はメイドナイトのルウネ。私にお名前を聞かせて頂けますか?」


 いつものルウネとは全く違う流れるような口調にカナメは驚きつつも「カ、カナメ。ただのカナメ」と答える。

 カナメを知っているはずのルウネがこう聞くということは、これは必要な儀式なのだろうと理解したからだ。


「ではカナメさん。貴方に問います。貴方は、私が欲しいですか?」


 背後で見ている男達には見えないように。

 あくまで優雅に……しかし悪戯っぽい笑みを浮かべるルウネに、カナメは困ったように笑う。

 そんなもの、答えはもう決まっている。


「欲しい。ルウネ、俺は……君が欲しい」

「その為に、たとえば「これからの貴方の稼ぎの半分が報酬」と要求したとしても?」

「俺なんて、まだたいして稼げてもいないけど……それでもいいなら」


 そう言って、カナメはルウネに手を差し出す。

 これからはもっと、もっと……ひょっとしたら、想像もつかない額を稼げるかもしれない。

 でも、それでも。このルウネとの出会いが、きっとそんなものより価値があると信じているから。


「どうか、俺と一緒に来てほしい」

「喜んで」

 

 ルウネはカナメの手を取り「契約は此処に成りました」と朗々とした声で告げる。

 同時に「ああ……」という脱力した声や怒号が聞こえてくるが、ルウネは全く気にせずカナメの手を引いて走る。


「じゃあ、帰るです……カナメ、様?」

「はは……なんか「様」なんて言われるとむず痒いよな」

「え、あ、おい。どういうことなんだよ。え!?」


 走るルウネとカナメを、エルが追いかけてくる。

 その後を更に何人かの男達が追いかけてくるが……そんな追いかけっこは、ルウネの先導でエルごと撒くまで続いたのだった。

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